原文 |
書き下し 漢文叢書 |
現代語訳 下村湖人+【独自】 要検討 |
---|---|---|
先師が【前章で】人物評をやつておられると、 | ||
子貢 問曰 |
子貢しこう 問とうて曰いはく、 |
子貢が たずねた。 |
賜也 何如 |
賜しや 如何いかん。 |
「私は いかがでございましょう。」 |
子曰 女 器也 |
子曰く、 女なんぢは 器きなり。 |
先師がこたえられた。 【そなたは 器である。 |
※子曰君子不器 (2-12)及び 前章「子賤君子哉」参照。 賜は一をもって十を知る(5-9)とも】 |
||
×「お前は見事な 器うつわだね。」 |
||
曰 何器也 |
曰く、 何なんの器きぞ。 |
子貢がかさねてたずねた。 「どんな器でございましょう。」 |
【これは何に供する器かと解する】 | ||
曰 瑚璉也 |
曰く、 瑚璉これんなり。 |
先師がこたえられた。 「瑚連これんだ。」 |
【瑚連は神前に供える器。 つまり肉体の人ではなく神に供せられる、 天命に従える器だから天に仕えよという意味。独自説。
なお以下は下村注釈】
○ 瑚連=宗廟の祭典に用いた最も貴重な食器で、玉をちりばめたものである。
○ 孔子は子貢を役に立つ人間とは認めていた。そしてその才華を瑚連にさえたとえた。しかし、「器」という言葉を孔子がふだんどんな意味につかつていたかを子貢が知つていたとすれば。恐らく冷汗三斗の思いがしたであろう。
【として上記君子不器 (2-12)を引き、「器」を機械的人間とするが、論語の文脈に全く根拠がなく、一般用法にもない意味を恣意的に当てており不適当。そもそも「君子は機械的な人間であってはならぬ」としているが、君子にそんな幼稚な条件を付すことがあるか。君子は人の心がなければならぬくらい無意味。それと同義だろう。孔子は世界的哲人かつ詩を愛する詩人だから、そういう即物的な意味ではない。機械的人間という訳者の評価と、瑚連が一般に貴重な神前の貴重な器とされることとの論理的関係がなく、そこだけでも論理的に失当。子貢の評価が真逆ですらある】