論語5-1 子謂公冶長可妻也:原文対訳・解説

子游 論語
公冶長第五
1
公冶長
南容
原文 書き下し
漢文叢書
現代語訳
下村湖人+【独自】
要検討


公冶長
子し
公冶長こうやちやうを
謂いふ。
 先師が
公冶長こうやちょうを
評していわれた。
     
可妻也 妻めあはす可べきなり、 「あの人物なら、娘を嫁にやってもよい。


縲絏之中
縲絏るゐせつの中うちに
在あり
と雖いへども、
【獄中にある
といえども

其罪也
其罪つみに
非あらざるなりと。
それは罪ではない。
    ※国に道なく無法状態という次章参照。
むしろ善のため身を賭してそうなった】
    ×かつては縄目の恥をうけた
こともあったが、
無実の罪だったのだ。」

其子
妻之
其子こを
以もつて
之れに妻めあはす。
 そして
【孔子の子を
彼の妻にした】
    ×彼を自分の婿にされた。

 

【自分の婿にするのと、 子を妻にするのとでは意味が異なる。娘には安定した暮らしをさせたいのが普通の親心。政治犯として獄中にある者(例えるなら戦時下の日本で、公然と体制の政治能力に疑問を呈してしょっぴかれた人物)と娘を結婚させることが、世間で真面目に教員をしてきた帝大系の訳者達には心底理解しがたい(絶対にそのようなことは認められない)から、下村訳は、捕縛される恥を受けたがそれはかつての話だと補って話を曲げているが、それは文面と話の肝心を損なう。

 ここで孔子は義を見てせざることをせず、公冶長同様リスクを負った。しかしそれは「君子争う所なし」とした孔子にとって、そこまで単純な感動物ではないことが、無法の世でも刑を免れると評した人物に孔子の兄の娘が嫁いだ、次章の話に象徴的に表現されている。つまり本章は素直に見れば、孔子の娘が公冶長を好いて、それを孔子がやむなく追認して言った内容。そういう文面でもある(可妻)。そして次章で「可」はない。日本の基準で「可」は、良くはないが不可ではない=まぁいいでしょう、仕方ないでしょう】

 

子游 論語
公冶長第五
1
公冶長
南容

下村湖人による注釈

 

公冶長
孔子の門人。公冶(こうや)は姓、長(ちよう)は名。字は子長(しちよう)。魯の人とも斉の人とも伝えられている。