原文 | 書き下し |
現代語訳 (下村湖人+【独自】) |
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子夏 問曰 |
子夏 問うて曰く、 |
子夏しか(前出:2-8)が 先師【孔子】にたずねた。 |
『巧笑 倩兮 |
巧笑かうせう 倩せんたり、 |
【笑顔が上手で うるわしい(倩:男名美称・婿・雇人・口元が愛らしい(後掲画像参照)・美しい) |
美目 盼兮 |
美目びもく 盼へんたり、 |
目が美しく 見ていたい(盼:目が美しい、望む願う、じっと見る) |
素以 爲 絢兮』 |
素そ以もつて 絢けんを 為なす |
そういう人のすっぴんを 最強の美と(絢:凝視と掛け(へん→けん)凝ってる。素とも対で解する) なす】 |
笑えはえくぼが愛くるしい。 眼はぱっちりと澄んでいる。 ×それにお化粧が匂ってる。 |
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通説はこの「素」を化粧の素(胡粉:白粉)、下村訳は「絢」を匂いとするが、 一般の字義から逸脱しており、自分達の理解をこじつけた曲解と解する。 孔子的に美と礼は上辺ではありえない。これは礼同様、美の根本理解による。 なお修正訳は独自のもので、特に「素」の解釈の類説はないと思う。 |
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何謂也 |
とは、 何なんの謂いひぞや。 |
という歌がありますが、 これには何か深い意味がありましょうか。」 |
子曰 繪事 後素 |
子曰く、 絵えの事ことは 素しろきを後のちにす。 |
先師がこたえられた。 「絵の場合でいえば、 【努力が先、地力は後。】 |
×見事な絵がかけて、その最後の 仕上げにごふんをかけるというようなことだろうね。」 |
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曰 禮後乎 |
曰く、 礼は後か。 |
子夏がいった。 【では礼は後でしょうか】 |
×「なるほど。すると 礼は人生の最後の仕上げにあたるわけでございましょうか。 しかし、人生の下絵が立派でなくては、 その仕上げには何のねうちもありませんね。」 |
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子曰 起予者 |
子曰く、 予よを起おこす者ものなり。 |
先師が喜んでいわれた。 「お前には私も教えられる。 |
商也 始可與 言《詩》 已矣 |
商しやうや 始はじめて興ともに 詩しを言いふ可べき のみ。 |
商しょうよ、(商=子夏の名) それでこそいっしょに 詩の話が出来るというものだ。」 |
参考画像(Wikipedia):呉倩(女優)。中性的雰囲気。