論語3-6 季氏旅於泰山:原文対訳と解説

夷狄 論語
八佾第三
6
泰山
君子無所争
原文 書き下し 現代語訳
下村湖人+【独自】)
季氏
旅於
泰山
季氏きし
泰山たいざんに
旅りよす。
 季氏が
泰山たいざん
【に行った】
△の山祭りをしようとした。
     
子謂
冉有
子し
冉有ぜんいうに謂いつて曰く、
先師が
冉有ぜんゆうにいわれた。

弗能救與
女なんぢ
救すくふ能あたはざるかと。
「お前は
季氏の過ちを救うことが出来ないのか。」
     
對曰
不能
対こたへて曰く、
能はずと。
 冉有がこたえた。
「私の力ではもうだめです。」
     
子曰
嗚呼
曾謂泰山
不如
林放
子曰く、
嗚呼あゝ、
曾かつて泰山たいざんは
林放りんぱうに
如しかずと謂おもへるか。
 先師が
ため息をついていわれた。
「するとお前は、泰山の神は
林放りんぽうという
一書生にも及ばないと思つているのか。」

 

夷狄 論語
八佾第三
6
泰山
君子無所争

下村湖人による注釈+【当サイト注】

 

季氏
【魯の大夫という地方の有力者ながら、天子の儀式をして調子に乗り続ける論語における問題人物。3-1参照。ここでは、ま~た奴か!という文脈】
泰山
支那五嶽の一つで、魯の領内の名山。領内の山祭りは天子か諸侯かが行うのが礼であつた。季氏が大夫の身分でこれを行おうとしたのを孔子は非難したのである。
冉有
孔子の門人。姓は冉(ぜん)、名は求(きゆう)、字は子有(しゆう)。当時季氏に仕えてその執事役をしていた。
【季氏は周公(天子)より富むとされており(11-16:季氏富於周公)、冉有は近くでそのおこぼれにあずかっているから、それ相応の責任があるということ。孔子が面倒を押し付けている訳ではない】
林放
前出(四四章)。孔子に礼の根本義をたずねた人。孔子がここに林放のことをいい出したのは、泰山の神が非礼をうけないという事を強調するためである。
【と下村注にあるが、どういう強調か意味が判然としない。これは泰山の神は若い林放より礼儀のことを深く考えてないと思うか、という意味。山と林を引っ掛けた頓知・ちょっとした機知と見たい】