論語3-1 孔子謂季氏八佾舞於庭:原文対訳と解説

見義不為 論語
八佾第三
1
八佾舞
三家者
原文 書き下し 現代語訳
【独自】
孔子
謂季氏
孔子
季氏を謂ふ。
孔子が
季氏(魯の大夫=有力者)について言った。
八佾舞
於庭
八佾はちいつして
庭に舞はす、
庭での
八佾はちいつの舞、
  八はつ佾いつ
庭ていに舞ぶす
(國譯漢文大成)
 

 可忍也

不可忍也
是れを
忍ぶ可んば、
孰いずれか
忍ぶ可からざらん。
これを
見過ごしていい(大丈夫)なら
何か
見過してだめな(大丈夫でない)ものがあるか。
    ※下村訳はシリアスな許せん調だがそうではなく、
距離を置いた嘆きで、詩歌要素を入れたと解する。
    下村湖人
先師が
季氏きしを批評していわれた。
「季氏は前庭で
八佾はついつの舞を舞わせたが、
これが
ゆるせたら、
世の中にゆるせないことは
ないだろう。」

 

見義不為 論語
八佾第三
1
八佾舞
三家者

下村湖人による注釈+【当サイト注】

 

季氏
魯(ろ)の大夫、季孫(きそん)。
【魯は孔子の生まれた国。季氏はこの後、問題人物として度々非難され(3-6)、「季氏きし周公しうこうより富とむ」(11-16)ともされる。周公とは周の文王の子・周公旦のことで、魯の開祖】
八佾
佾(いつ)は舞人の行列。たてよこに八人ずつ、計六十四人が一団となるのが八佾の舞で、天子の礼楽である。
諸侯は六佾、大夫は四佾というのが当時の制度であつた。
季氏は大夫でありながら、天子の礼楽を行うような僣上の振舞をしたわけである。