原文 |
書き下し 漢文叢書 |
現代語訳 独自 |
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子張 問 善人之道 |
子張しちやう 善人ぜんにんの道みちを 問とふ。 |
子張が 善人の道を たずねた。 |
子曰 | 子曰く、 | 孔子曰く、 |
不踐 跡 |
跡あとを 踐ふま【ず】×ざれども、 |
過去と同じ轍を 踏まず、 |
亦 不 入於室 |
亦また 室しつに入いら ず。 |
また(加えて+再び) 来し方に後戻り しない道である。 |
/國譯漢文大成 子し曰いはく、 跡あとを踐ふまず、 亦また 室しつに入いらずと。 |
※これが古来=先進の趣旨。 「不踐跡」は多義的に解す。 ①過去を顧み同じ轍を踏まない ②その上で自らの道を行く これと同旨が温故知新(2-11) |
以下、下村湖人の訳。「異説の多い一章だが、独自の見解に基いて訳して見た」と注されるが、以下で自己流では奥義をつかめないとしているのはどういう訳か。文言から離れて訳と言えるかも疑問。一見して理解が難しいほど文言に忠実にするのが解釈で、すぐ文言から離れるなら素人でもできる。道と家(ここでは室)は同じレベルの高次の象徴的表現で、そのレベルの理解力が問われる。轍は車(カー・カルマ)の跡で足跡と違うのも古の知識。足跡を踏むとは言わない。
「天性善良な人は、べつに学問などしなくても、自然に道に合するようになる、というようにも考えられますが、いかがでしょう。」
「どうなり危険のない道を進むことは出来るかも知れない。しかし、せっかく先人に開拓してもらったすばらしい道があるのに、その道を歩かないというのは惜しいことだ。それに、第一、そんな自己流では、所詮、道の奥義をつかむことは出来ないだろう。」