論語11-10 顔淵死 門人欲厚葬之:原文対訳

顏淵死 子哭 論語
先進第十一
10
顏淵死 門人欲
鬼神
原文 書き下し
漢文叢書
現代語訳
下村湖人+【独自】
要検討
顏淵死 顏淵がんゑん死しす。  顔渕が死んだ。
門人

厚葬之
門人もんじん
厚あつく之これを葬ほうむ
らんと欲ほつす。
門人たちが
彼のために葬儀を盛大に
しようともくろんだ。
     
子曰 子曰く、 先師はそれを
不可 不可ふかなり。 「いけない」といって、とめられたが、
門人
厚葬之
門人もんじん
厚あつく之これを葬ほうむる。
門人たちは
かまわず盛大な葬儀をやってしまった。
     
子曰 子曰く、 すると先師はいわれた。
回也 回くわいや 「囘は


猶父也
予よを視みること
猶なほ父ちゝのごとく
せり、
【(以下の文脈から子・弟子として見ない)私を
なお父(ユウフ:本章から父同然の師)のように
遇して見ていたが、

不得

猶子也
予よの
視みること
猶なほ子このごとくするを
得えざるや、
私は(最期まで)
なお子(猶子:猶父と対にした表現で高弟)のように
みて
やれなかった。

我也
我われに
非あらざるなり、
私は
まだ猶お猶父では
なかった。
    猶=同然(名詞と成句)と未然(字義)の掛詞。独自。
「なお…ごとし(まるで何々)」では未然を捨象し不適)

二三子也
夫かの
二三子にさんしなり【か】。
彼はかの(葬式をした)
二三人の弟子の猶子だったのか。
    ※語尾は主語「回也」と対になる微妙な嘆き。
かの:①彼の(that)と②彼の(his)と同義の掛詞で、
「二三」は唯一と対照並列した並みの表現。独自。
孔子の意を継ぐ者は特別でもそれ以外華美を欲す】
  /國譯漢文大成
回くわいや
予われを視みること
父ちちの猶ごとくせり、
予われ
子このごとく視みることを
得えざりき。
我われにあらず、
夫かの二三子しなり
×私を父のように思っていてくれた。
私も彼を自分の子供同様に葬ってやりたかったが、
それが出来なかった。
それは私のせいではない。
みんなおまえたちのせいなのだ。」
顏淵死 子哭 論語
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顏淵死 門人欲
鬼神