原文 (実践女子大本) |
現代語訳 (渋谷栄一) 〈適宜当サイトで改め〉 |
注釈 【渋谷栄一】 〈適宜当サイトで補注〉 |
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七月朔日ごろ、 | 七月上旬ころの、 | |
あけぼのなりけり。 | 夜明け方の事であった | |
返し、 | 【返し】-夫の一〇八番歌に対する返歌。〈しかし108で述べたように夫との歌という根拠は文脈文言になく、恋愛観に偏狭な男達の常識以外ない〉 | |
しののめの | 明け方の空が | |
空霧りわたり | 霧りわたっており、 | 〈108の句「しののめの ほがらかにだに」と対比〉 |
いつしかと | 〈いつの間にか〉早くも | 【いつしかと】-いつのまにか、早くも。 |
秋のけしきに | 秋の様子に |
【秋】-「飽き」を掛ける。 〈とするの通説だが文面上根拠がなく、左の訳出もその部分に唐突感と無理がある。108うち忍び嘆き明かせばは情熱的な歌で、これで飽きたとは曲解以外の何物でもない。文面も歌序も無視した夫との歌という一方的なみなしにより飽きたという解釈を作出している。なぜ秋になったら飽きると言える。 「秋のけしき」は94おほかたの「秋のあはれを思ひやれ」95垣ほ荒れの「寂しさまさる常夏に露置き添はむ秋までは見じ」を踏まえ、常夏(撫子)の自分の体のほてりがいつしか収まった状態と見る(独自。京女のイケず)。 |
世はなりにけり | 世の中は、あなたもわたしに飽きておしまいになったようですわ |
【世】-夫婦仲を譬喩。 〈これも通説だが「世」の一般的字義から全く導けないので(包括性を利用した入れ込み)、前提の秋で飽きという見立て自体が誤り。都合で理を曲げ、自分達で正しさを決めれると思う態度を背理という。必然論理に背く〉 |
「七月一日あけぼのの空をみてよめる 紫式部
しののめの空きりわたりいつしかと秋のけしきに世はなりにけり」(吉田兼右筆本「玉葉集」秋上 四四九)