原文 (実践女子大本) |
現代語訳 (渋谷栄一) |
注釈 【渋谷栄一】 囲みなし当サイト補注 |
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方違へに | 方違えのために |
方違へ:不吉な方角の外出を避けること。渋谷注後掲。これに加え目的地近くの前泊まで含める説が多いがそれは特殊な文脈により、ここでは3番の文脈及び方違えの方便で夜這いした訪問と解する。源氏物語でも源氏が方違えの宿泊先で空蝉を夜這う(他所に赴くことは男女の出会いの機会と「上田廣田・世界」は帚木巻を出典にして指摘)。 |
わたりたる人の、 | やって来た人が、 |
この「人」につき早くから夫宣孝かという議論がある(世界)とされるが、男=夫という発想で根拠が実質ない。 通説は非限定だが男とする(新大系・集成)。すると本4番歌は1番2番の幼馴染・3番の琴の人の流れとあまりに脈絡がない。ひるがえり3~2~1番も男への歌と見れ、そう見ずに女との歌とみなすから通らない。だから3番の琴だけ出仕後云々・局所的類纂形式ではないかという議論がされている(通説は歌序から単純否定)。 |
なまおぼおぼしきこと | 何となくはっきりしないことが |
【なまおぼおぼし】-何となくはっきりしない。何となく隔てがましい。 なま:何となく・中途半端・未熟・世なれない おぼおぼし:はっきりしない・よそよそしい・たよりない・たどたどしい 表面的には渋谷訳通りだが、含みとして後の文脈から遡及的に「式部が何となくおぼこい・幼い感じがする(どうも未経験か)」(独自)と見る。感情の齟齬か肉体的なものも含むか議論ありとされるが(世界)、和歌「朝顔」の字義及び引歌の文脈から後者。 しかし前後の文章構造から男目線の客観言動で式部の主観印象ではない。よって「懸想の意図がありつつ男が明確な行動をとらなかったことか」(同)は不適当。 「夜中に不審な振舞いをすることがあって」(同)「式部姉妹の寝室を窺ったというようなこと」(新大系)「作者と姉のいる部屋にやってきて二人のどちらに対してともなく色めいたことを語りかけた」(集成〉とするのは文言からかけ離れており誤り。通説本が姉を持ち出すのは、5番歌の「手を見わかぬにやありけむ」からだが、伊勢69段・狩の使のように他者の存在すら示されない以上それは解釈と言えない。肝心ほど記述から離れ想像を膨らませる姿勢には致命的問題がある。 |
ありとて、 | あるといった格好をして、 | 岩波文庫は「なまおぼおぼしきことありとて」としつつ、「諸本「ありて」が良い」とするが恐らく上記の解釈からの循環論法。新大系・集成「ありて」。しかし原文だけ見ると「ありて」は唐突で、「ありとて」だと「やるとて」と対になる。付属語一字で左右されるならそもそもの見立てが間違っている。 |
帰りにける | 帰って行った | 【帰りにけるつとめて】-「帰りにける」と「つとめて」とは同日のこと。 |
つとめて、 | その朝早くに、 | つとめて:早朝。ここで上の人を夜泊めたことが確定し、歌で男女関係と決定できる(後掲引歌の文脈)。 |
朝顔の花をやるとて、 | こちらから朝顔の花を送ろうと思って、 | この時点で式部には好意があると見るが女子的にどうか。ちなみに朝顔の花言葉は「愛情」「結束」「あなたに絡みつく」とされ、男も好きなら冥利。 |
おぼつかな | はっきりしませんね。 | 何が「おぼおぼしき」か「おぼつかな」い |
それかあらぬか | そうであったのか、そうではなかったのか、 |
それ(単に方違へ)が目的だったか、そうではなかったのか(独自) ×「昨夜のあの方なのかそうではないのかと」(新大系。集成同旨) ×「男の前夜のあやしい行動に対する皮肉と詰問」(岩波文庫) 上記通説解釈は引歌の第二句「だれとかしらむ」を誤解し(寝起きで前夜と顔が別人になっているのが本来)、しかも変化しているのに代入して不適当。 文庫の批判と詰問説は、そう限定できる文言は文脈になく、大意を象徴する枕詞「おぼつかな」の語義にも反し誤り(これが和歌解釈の基本ルール)。 |
明けぐれの | まだ朝暗いうちに | 【あけぐれ】-明け方のまだ暗いうち。 |
そらおぼれする | ぼんやりと咲いている | 【そらおぼれ】-「そら」は「あけぐれのそら」と「そらおぼれ」の掛詞。「おぼれ」は「おぼほれ」の略。とぼけているさま。 |
朝顔の花 | 朝顔のような、今朝の顔は |
【朝顔の花】-作者の庭に咲いている朝顔の花を方違えに来た人の顔に見立てた。竹内『評釈』では作者自身を喩えるとする。『集成』では男の「朝の顔」をかけていると注す。 これは以下の通り引歌なので庭に咲いているかは無関係。日記でも女郎花の文脈で朝顔の恥ずかしさをいう。だから式部的には朝で顔がむくんで気に入らなかったかというのが第一。加えて「おぼつかな」が枕詞で全体の趣旨であるから双方の顔を意味すると解すべきである。本4番歌では男の顔色を見ても真意をはかりかねた。それが式部の「なまおぼおぼしき」状態。 |
・「おぼつかな だれとかしらむ あさきりの たえまにみゆる あさがほのはな」(古今六帖3895)→この「おぼつかな」は夜を共にした男女の内容つまり典型的な後朝の歌であるから、これを引く以上は共寝は前提。「それ」を覆す明白な事情ない限り、共寝なし前提の「おぼつかな」とは見れない。
*「方たがへにまうできたりける人のおぼつかなきさまにてかへりにけるあしたに、あさがほを折りてつかはしける 紫式部
おぼつかな それかあらぬか あけくれの 空おぼれする あさがほの花」(尊経閣文庫本「続拾遺集」恋四 一〇〇二)
【方違へ】〈渋谷注釈〉
天一神(中神ともいう)が遊行する方角を忌避する信仰。平安時代中期以降盛んに行われた。
天一神は己酉の日から四十四日間を四方(北=子・東=卯・南=午・西=酉)に各五日ずつ、四隅(東北=丑寅・東南=辰巳・南西=未申・西北=戊亥)に各六日ずつ移動して一周し、癸巳から戊申までの十六日間は天上にいるので忌避を要しない。天一神は天上の中央と地上の八方を六十日で一巡するという信仰。
方違えは天一神(中神)の遊行している方角に出向くことを避ける信仰。四方の場合は五日間、四隅の場合には六日間の忌避となる。『御堂関白記』の具注暦によれば、天一神の寛弘元年(一〇〇四)二月六日庚申に「天一辰巳」、寛仁二年(一〇一八)正月二十一日乙卯に「天一卯」と見える(図録『宮廷のみやび 近衛家一〇〇〇年の名宝』。しかし「大日本古記録」には翻字されない)。
~以上渋谷注釈~
一般にこのように陰陽道理論と説明されるが、風水が平安京造営に影響した説も有力で、神仏習合の如き融合的宗教風土から陰陽と限定する必然はない。
これは一般に前世・因果応報が仏教思想とされ専売特許のように勘違いされるが、それは文字通り釈迦の空理空論(色即是空・空即是色)を補うため、家出してきた本家ヴェーダのカルマ理論を取って付けたに過ぎないことと同じ。