原文 (実践女子大本) |
現代語訳 (渋谷栄一) 〈適宜当サイトで改め〉 |
注釈 【渋谷栄一】 〈適宜当サイトで補注〉 |
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「箏の琴しばし」 |
「箏の琴〈のことで少し〉 ×をしばらくお借りしたい」 |
〈箏(そう):琴の変化形で雅楽に用いる楽器。しかし筝は琴ではないのがミソでキーボードがピアノでないのと同じ。これは筝のことに掛けたおかしな素人的発言と解する〉 【箏の琴しばし】-下に「借らむ」などの意が省略されている。 とするのが通説でそれに加え教えてほしいの意かとする説(上田廣田・世界)もある。 しかし補う場合文脈にある文言をまず検討する。それをせずに想像しない。これはメールタイトル調の「箏のことで少し(伺い=訪ね+尋ねたい)」と解し、続く「参りて」も一続きに見る。 |
と書いたりける人、 | と文に書いて寄こした人が、 | 本歌集の「人」は基本男と想定し、必然なく女とみなすのは誤った解釈態度(女性なら明示するのが当時の習わし)。 |
「参りて御手より得む」 | 「参上して〈御手手から手にしたい〉、あなたから直接に習いたい」 |
【御手より得む】-直接に琴の奏法を習得したい。 得むは確定できない。頂戴したいかもしれない。これは続く4番歌の方逢へを方便にした夜這いから、男のアプローチとして相手が詳しそうな何かを興味はないが教えてと言いよったものと解する。相手を女と想定する必然がなく、こう見ると後述の出仕云々の問題が解消される。「御手より得む」も口説いてきた男の発言と見ると、妙に嫌らしい味が出て、それが本段の趣旨と思う。 |
とある返り事に、 | と言ってきた返事に、 | 【返り事】-「カヘリコト」(日葡辞書)。江戸時代以後「かへりごと」と濁音化した。 |
露しげき | 露がしとどにおいた | しげし:本来草木の形容のところ、露とよもぎ双方に効かせる。 |
よもぎが中の | 草深い庭の |
【よもぎが中の虫の音】-「蓬」は雑草、自邸を卑下していう。 よって良い意味ではない。 |
虫の音を | 虫の音のようなわたしの琴の奏法を〈訪ねるように〉 |
「虫の音」は筝の音の比喩だが、訳出すると歌の趣旨を損なう。 |
おぼろけ |
〈よく分からない〉 ×並み大抵の |
〈通説は渋谷訳と同旨(新大系「並みの並みの気持ちで」、集成「並み一通りの思いで」、岩波文庫「並のお気持ちではまあ」)だが、これはおぼろな心象を解せない学者が立てた誤ったドグマに基づく解釈。素朴な語義と「にてや」を無視し、意味がよく通るどころか意味が全くわからない。その反動で最後真逆にひねる。 「おぼろけ」は、よく分からない・何となくという意味に解する。学者などは意味がわからないという意味が認められない〉 |
にてや |
〈ものを〉 |
〈にて:形容詞ナリ活用連用+接続助詞「て」。 「や」は係り結びの反語。反語は必然の否定を導く問いかけで、新しい内容を導くのではない。よって、諸説のように先行する文言の根拠ない意を読み込むのは誤り〉 |
人の尋ねむ |
〈人は尋ねてこようか、いや来ないでしょうよ=本当はどういうつもりですか〉 △人は訪ねて来ないでしょう、 |
〈最後に一体どういうつもりで尋ねて来るのかという問い質しを見る。それが疑問形の結びと本段のみならず次段まで拾いきる解釈〉 |
×まことにご熱心なこと |
【おぼろけにてや人の尋ねむ】-係助詞「や」は推量の助動詞「む」連体形に係る、係結びの法則。反語表現。わざわざ出向いて直接に習いたいとは殊勝なことです。 〈通説はこのように相手の熱心さをいい、新大系を筆頭に感心・感謝説、酔狂説(集成)に分かれるが、紫式部の一貫した消極的文体、枕詞「露しげき」「虫の音」「おぼろけ」から、そのような心象と対極の感心の感情を読み込むのは、文言に根拠がない恣意的解釈〉 |
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「上東門院に侍りけるを、さとにいでたりけるころ、女房のせうそこのついでに箏のことつたへにまうでこんといひて侍りける返事につかはしける 紫式部
露しげきよもぎがなかの虫のねをおぼろけにてや人のたづねん」(陽明文庫本「千載集」雑上 九七七)
上記千載集の詞書は本和歌を出仕後の歌とするが(「上東門院」とは式部が仕えた彰子)、通説はその認定を否定し、本歌集の歌序から疑わしく(新大系)、宮仕え以前(集成)とする。
他方で有力説には、千載集通り宮仕え後の里居の時期のもので(研究)、それを類纂的に年代順を破って置かれた(評釈、紫式部と和歌の世界)という説がある。
この点、歌序のみから排斥する通説は決め打ち感が強く、これに対し筝と御手という技法の内実を直感的に重んじ千載集を筆頭とした有力な見方があると思われる。感覚的には有力説の見立てが一見素直そうではある。通説が歌序というのは一応強い上位の文脈で、それを類纂とできるかは具体的文脈が必要なところ、千載集は具体化しているように見せかけ、実は「上東門院」以外固有の事実関係を示していない(裏返せば、具体的な関係は何もない)。
しかし個人的には「御手」で解説したように、「筝の琴」についての実力や出仕は関係なく、男が言い寄ってきた方便と思う。そう見ると3から5番まで一貫する(1から2番も男への歌と解する。女と見る必然が文言上全くない)。