原文 (黒川本) |
現代語訳 (渋谷栄一) 〈適宜当サイトで改め〉 |
注釈 【渋谷栄一】 〈適宜当サイトで補注〉 |
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またの朝に、 内裏の御使ひ、 朝霧も 晴れぬに 参れり。 |
翌日の朝に、 内裏からの勅使が 朝霧も まだ晴れないうちに 参上した。 |
〈学説はこれを後朝(きぬぎぬ)の文の使者とするが、直前で帝は夜に中宮の部屋に入るやいなや時報で帰途についており、ここでも朝より前のおかしな文脈と解する。独自〉 |
うちやすみ 過ぐして、 見ず なりにけり。 |
〈ふと〉寝 過ごして 見ないで 終わってしまった。 |
〈朝早すぎるため〉 |
2 |
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今日ぞ 初めて 削い たてまつらせ たまふ。 |
今日、 初めて 若宮のお髪を剃り 〈差し上げ〉 なさる。 |
△申し上げ |
ことさらに 行幸の後 とて。 |
特に 行幸の後に ということでこうした。 |
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3 |
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また、 その日、 宮の家司、 別当、 おもと人など、 職定まりけり。 |
また一方、 その日に 若宮家の家司〈、〉 の別当や 侍人などの 職員が決まった。 |
【宮の家司、別当、おもと人など】-若宮敦成親王家の家司。その別当や侍者たち。 〈別当:宮家等の家政を担当する家司の長官。別に本当の職位ある名誉職。宮内庁長官的で現場プロパーではない行政キャリア(の傍流)〉 |
かねても 聞かで、 ねたきこと 多かり。 |
前もって 聞いていないで、 〈寝ていたくて、憎らしい〉ことが 多かった。 |
×悔しい(渋谷・旧大系)、残念・無念(全集・新大系)、口惜し(集成)、しゃくにさわる(全注釈) 〈ねたき:羨ましく憎らしい。ここでは一貫した早朝文脈から①妬きに②寝たきを掛け、②最近朝も色々多く寝たかったがかなわず、①憎らしいとして①②共に軽い憎まれ口と解する。独自。 直前の「かねても聞かで」は、余裕もって支度できず朝起きるのが面倒だった意味。 |
この点学説は専ら疎外された①妬みと解するが、その感情と背景を裏付ける具体的文脈が日記中一切ない上に、妬ましさの本義、相手の幸運への一方的苛立ちを、残念無念・口惜し悔しいと自分の問題にすり替えており不適。権威に都合がいいと字面を強調し、理解しがたく権威に不都合なら字義を曲げる。この種の軽妙なをかしさを、大真面目一辺倒で上書きする。 身内(集成)、縁者知人(全集)の推挙が叶わず、その内実をぼかした(新大系)など、本文中に全く根拠がない学説マッチポンプ(循環論法)。内実というが憶測。だから全集と集成で説明が違うし、ねたみの本義を無視してもいる。中宮付き式部が若宮担に嫉妬する客観的道理も、わざわざ他人をかませて妬む動機もない。全注釈はほぼ一頁費やし道長への不信を説き、『新釈』の関係者共通の感情説を出し「なんら根拠がない」とするが、専ら男目線の願望が根拠の道長親密説から派生した道長不信説(即ち自説が根拠の循環論法)と比較すると、まだ女社会の一般論に沿う根拠がある〉 |
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4 |
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日ごろの 御しつらひ、 例ならず やつれたりしを、 |
〈これまで〉日ごろの中宮様の 〈御召し物は 例がないほど やつれていたが |
×部屋のしつらいは、普段と違って質素にしていたが、 〈しつらひ:御前従前の描写(御前のありさまのをかしさ…例よりも悩ましき御けしき)と本段で「やつれ」「御前のありさま」に続ける文脈から、中宮の身なりの整えと解する。学説は部屋の調度とするが、数文字で決めつけどんなに妙でも強弁し続けるのが、貫之女装い説以来の玉砕雲隠れ文化。 やつれ:ほつれ・ほころびと対をなし、明示ない限り、意図的質素状態ではない。意図的なのはやつす。しかもやつれるのは身で部屋ではない(「御身のやつれ」源氏・若菜下)。学説は「やつれたりし」を「お産のために簡素」(全集。旧大系同旨)「行幸を迎えるため…閑散」(新大系。集成・全注釈同旨)とするが、特に後説は帝が出入りすべき貴族の居所なのに行幸で閑散とは道理に反する。学識良識の前に常識〉 |
あらたまりて、 御前のありさま いと あらまほし。 |
以前と打って変わって 御前の有様は とても 望ましい〉 |
×平常に改まって、御前の様子はとても素晴らしい。 〈「あらたまり」は改まり、新たになる。 学説は元に戻る(集成)・元通り(旧大系)とするが最早言葉の意味がないので(全集「もとに改めて」、全注釈「模様替えされて」)、改めて欲しい〉 |
5 |
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年ごろ 心もとなく 見たてまつり たまひける 御ことの うちあひて、 明けたてば、 |
何年もの間、 〈まだ来ないと不安に〉 お思いに なっていた 〈出来事が ふと面前に来てその僥倖で〉 夜が明けると |
〈心もとな(し) △まだかまだかと待ち遠し(旧大系) ×待ち遠しく(渋谷・新大系・全集) ×もどかしく(全注釈)〉 〈御ことの うちあひ △若宮誕生が 叶って(渋谷、集成同旨) ×思い通り・望み通り(旧大系全注釈・全集。全注釈は「ぴったりの符節」で望み通りとするが、前提となる「心許なし」を「待望」と真逆に積極化したおし着せで背理。は? だってやればできるだろ、不安などなかったよな! な!?) 「うちあひ」は①ふとした僥倖的若宮誕生(めぐり合わせの幸運)、②先段の多くない行幸、③帝がわずかでも中宮に立ち寄ったこと。つまり①若宮②③内裏天皇という掛かり。独自。冒頭で天皇を内裏としてもいる) |
【年ごろ心もとなく見たてまつりたまひける御ことのうちあひて】-彰子の長保元年(九九九)入内から十年後の寛弘五年(一〇〇八)九月の若宮敦成親王誕生であった。 | ||
殿の上も 参りたまひつつ、 |
殿の北の方も 〈参りつつ〉 |
△参上なさって、 【殿の上も】-底本「殿うへも」。『栄花物語』には「とのゝうへも」とある。諸校訂本「殿の上も」と校訂する。 〈殿の上:中宮彰子の母、源倫子〉 |
もてかしづき きこえたまふ、 にほひ いと 心ことなり。 |
若宮をお世話 申し上げなさる、 〈雰囲気は、 とても いつもと違う感じがする(ようだ)〉。 |
×その華やかさはとても格別である。 〈にほひ:匂いの他、雰囲気=空気・アトモスフィア、かんばしさ。 色・美・栄華などは全て本義ではないマンセー的拡大解釈(新大系:はなやかで盛んなさまをいう)。 心こと なり(形容動詞):心もとなくと対になり、いつもの感じと違う、なごやかな様子。格別という定義も拡大解釈で不適当。意味を注入することは解釈ではない。 |
この文脈の趣旨は、中宮のこれまでの公務もなおざりな態度とセットで、とりわけ中宮の母=殿の上(道長正妻)の日頃の態度を揶揄したと解する。まず文面が全く礼賛ではない上、あらたまり・あらまほし(=かんばしい)ともあり「そんな顔もできるんだ」的含み。
全注釈は「にほひ」は「皇子の御さま」説(註釈)に対し「朝廷の威光や左大臣家の権勢に守られて、水入らずの平和と幸福に満ち溢れた、この場の雰囲気」であり、道長家の盛運説もいささか的外れで「あくまでも、おばあちゃまが毎日朝早くからやって来て、嬉しそうに孫宮のお世話を申し上げる時の、この場の雰囲気でなければならない」とするが、これを見ると戦前教科書はこうであったかと思う。紫式部がこの「おばあちゃま」から、よう老いを拭いされと言われたと言ってきても、嫌味に見るのは的外れだから水に流せ、ちゃんと美化して書けと説教するタイプだろう。しかもこの後に妻戸の御湯殿で濡れるけはひの描写がある〉 |