段 | 冒頭 |
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1 | 暮れゆくままに →おもしろ |
2 | 万歳楽、太平楽、賀殿 →おもしろ |
3 | いとよく払らはれたる遣水の →をかし |
4 | 左京の命婦の →をかし |
5 | 筑前の命婦は →あはれ |
6 | 御前の御遊び始まりて →おもしろ |
7 | 主人の大殿「あはれ +をかし |
8 | 殿は、あなたに出で |
9 | 主上は入らせたまひて →真面目 |
10 | 新しき宮の御よろこびに →真面目 |
11 | 宮の御方に入らせたまひて →おもしろ+をかし+あはれ |
原文 (黒川本) |
現代語訳 (渋谷栄一) 〈適宜当サイトで改め〉 |
注釈 【渋谷栄一】 〈適宜当サイトで補注〉 |
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1 |
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暮れゆく ままに、 楽ども いとおもしろし。 |
日が暮れてゆく につれて、 いろいろな楽の音が とても〈楽しい〉。 |
×興趣深い(渋谷) △おもしろい(全集)〈そのままでは微妙に変だからこそ一般語義の範囲内で解釈を要するのであり、それにより言葉の普遍的原意が明らかになる〉 →楽しい(全注釈) |
上達部、 御前に さぶらひ たまふ。 |
上達部が 帝の御前に 伺候 なさっている。 |
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2 |
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万歳楽、 太平楽、 賀殿 などいふ 舞ども、 |
万歳楽や 太平楽、 賀殿 などという 舞なども、 |
〈(まんざいらく) (たいへいらく) (かてん)〉 |
長慶子を 退出音声に あそびて、 |
長慶子を 退出音声として 演奏して、 |
〈長慶子(ちょうげいし):雅楽の一。雅楽といえばこれという典型的な調子といっていいと思う。 退出音声(まかでおんじょう):舞人が退出する際の音楽〉 |
山の先の 道をまふほど、 遠くなりゆくままに、 |
〈山の向こうの 道を回るように 遠くなっていくにつれて〉 |
楽船が築山の向こうの 水路を漕ぎめぐって行く時、 遠くへ行くにつれて、 |
笛の音も、 鼓の音も、 松風も、 木深く 吹きあはせて、 いとおもしろし。 |
笛の音も 鼓の音も、 それに松風も 木立の奥から 吹き合わせて、 たいそう素晴らしい。 |
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3 |
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いとよく 払らはれたる 遣水の |
とてもよく 〈掃除されている 遣水も |
△手入れされた遣水が 〈道長が手塩にかける遣水(やりみず・屋敷の水路)で、冒頭、出産直後に払う(掃除)とセットで出てきて今回3回目〉 |
心地ゆきたる 気色して、 |
思うまま(存分に)流れている 様な心地がして〉 |
客観描写説(渋谷以外、水の擬人化) △遣水がさらさらと流れて(渋谷) ×遣水が、さも満足げな様子で(全集) ×遣水が、いかにも気持ちよさそうに流れ(全注釈) ×気持ちよさそうな様子で(新大系・集成) ×小川が、(見ると)気持ちの晴れ晴れとしているようすで(学研辞典) 主観投影説 ×見ても気分のさっぱりする有様で(旧大系) 〈主要学説は遣水を擬人化するが文学表現として拙い。これは「心地ゆく」は客観物理に主観を投影した心象描写で、「気色」も主客両面に解する〉 |
池の水波 たちさわぎ、 |
池の水波が さざなみを作り、 |
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そぞろ 寒きに、 |
何となく 肌寒いのに、 |
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主上の御袙 ただ二つ たてまつりたり。 |
主上は御袙を ただ二枚だけを お召しになっている。 |
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4 |
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左京の命婦の おのが 寒かめるままに、 |
左京の命婦は 自分が 寒いものだから、 |
〈左京の命婦:前出の帝の御膳係。続く筑前の命婦とセットで描かれ、その描写も対照的に描かれる〉 |
いとほしがり きこえさするを、 |
帝にご御同情 申し上げているのを、 |
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人びとは しのびて笑ふ。 |
女房たちは ひそひそと笑う。 |
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5 |
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筑前の命婦は、 | 筑前の命婦は、 | 〈筑前の命婦:上記左京の注釈参照〉 |
「故院の おはしましし時、 |
「亡き女院(詮子)様が ご在世中でした時、 |
【故院】-東三条院詮子。〈筑前の面前にいる〉一条天皇の母。長保三年(一〇〇一)閏十二月二十二日崩御。 |
この殿の行幸は、 いと たびたび ありしことなり。 |
この邸への行幸は、 とても 度々 あったことでした。 |
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その折、 かの折」 |
その折は……、 かの折は……」 |
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など、 思ひ出でて 言ふを、 |
などと、 思い出して 言うのを、 |
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ゆゆしきことも ありぬ べかめれば、 わづらはしとて、 |
〈けしからぬことも 起きて〉 しまいそうなので、 厄介なことだと思って、 |
〈底本「ゆかしきこと」(新大系注釈)。ゆかしは知りたい・興味がある。つまり原文解釈が真逆だったほど微妙な描写であるから、一面的に解すのは違う〉 △縁起でもない涙を流すことにもなってしまいそう(渋谷) △縁起でもないことも起こりかねない(全注釈) △晴れの行幸の日に不吉な涙を流すということ(新大系・全集同旨) △泣き出すという縁起でもないことが起こりかねない(集成) 〈「ゆゆし」はひどい。「ゆゆしき」はけしからぬ。「わずらはし(うるさい)」と相まって周囲目線の批判。帝はよく来ないという暗の批判は面倒になりかねないのでやめてほしい。この国の万歳ポリスは電車内で皇居に90度最敬礼しない子供を殴るレベル。学説の縁起でもない不吉という意味は二の次。それに縁起でもなく涙を流すとは「ゆゆしき」の文言から遊離した拡大解釈で、最早読者の想像の域〉 |
ことに あへしらはず、 |
ことさらに〈あえて〉 相手にせず、 |
人々は(全集)・女房達は(集成) |
几帳隔てて あるなめり。 |
几帳を隔てて いるようである。 |
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「あはれ、 いかなりけむ」 |
〈おやおや、 なにかあったでしょうか〉 |
△「ああ、 その時はどんなだったのしょうか」(渋谷等、一致した通説) |
などだに 言ふ人 あらば、 うちこぼしつ べかめり。 |
などとでも 言う人が いたならば、〈みな ぽろりと(思いの丈や涙など)こぼし〉て しまいそうである。 |
△ほろりと泣き出し(渋谷) ×それこそきっと涙をこぼして(全集) ×すぐにも涙をこぼしてしまいそう(新大系・集成同旨) ×すぐと涙をこぼしてしまいそう(全注釈) ×どっと涙を落としかねない(旧大系) |
〈学説は一致して「うちこぼし」を①筑前の②涙とするが一面的で不適当。 ①主語は左京の「人びとはしのびて笑ふ」とパラレルで、この部分も筑前に限定せず几帳の此方彼方双方の女達の描写と解する。主体の明示がないので限定する必然がない。 ②「うちこぼし」は、ふとこぼすこと。①の人々の涙の他、思いに掛けたと解する(独自)。ほのかな感情につく接頭「うち」に強烈な意味はない。 学説は涙として美談一本調子にするが、それへの著者評が「ゆゆしき」「わずらはし」なのと整合しない。よって、これは感動美談的文脈ではなくどこまでも不謹慎な意味。 この視点はどこにもないと思うが、筑前と左京は対をなし、左京の気遣いで人々は笑ったが(をかし・自分達の不謹慎)、筑前の気遣いは笑えない(あはれ・対象の不謹慎)と解すべきである(色々忙しい)。そして両者の要素が合わさり、道長があはれな思いをぶちまけた酔い泣き(殿の不謹慎・無礼講)に続く。これが千年以上残る筆力〉 |
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6 |
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御前の 御遊び 始まりて、 |
帝の御前における 管弦の御遊が 始まって、 |
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いと おもしろきに、 |
たいそう 〈愉快になって〉 |
×興趣深い時分に(渋谷) 〇興がのってきた時分(全集) |
若宮の御声 うつくしう 聞こえたまふ。 |
若宮の声が 〈よく映えて〉 聞こえなさる。 |
△泣き声が(渋谷) △可愛らしく(渋谷、一致した通説) 〈うつくし:うつし+尽くし=非常に映える(独自)。愛しは派生の当て字で論理的な原意ではない。乳児の声に「うつくし」はおかしいので、つまり「おもしろ(愉快な)」の文脈のヨイショ〉 |
右の大臣、 | 右大臣(藤原顕光)が、 | 【右の大臣】-藤原顕光。六十五歳。 |
「万歳楽、 御声に あひて なむ聞こゆる」 |
「万歳楽が、 若宮のお声に よく合って 聞こえます」 |
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と、 もてはやし きこえたまふ。 |
と言って、 お褒め 申し上げなさる。 |
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左衛門督など、 | 左衛門督などは、 | 【左衛門督】-藤原公任。〈前出〉 |
「万歳、 千秋」 と諸声に 誦じて、 |
「万歳、 千秋」 と声を合わせて 朗詠して、 |
【万歳、千秋】-底本には「万さいらく千秋楽」とあるが、『栄花物語』には「万歳千秋」とある。『和漢朗詠集』の「嘉辰令月歓無極 万歳千秋楽未央」の詩句を誦した。 〈旧大系「萬歳樂 千秋樂」。最近の主要諸本は全て「万歳千秋」〉 |
7 |
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主人の大殿、 | ご主人の大殿は、 | 〈主人の大殿:道長〉 |
「あはれ、 さきざきの行幸を、 などて 面目ありと 思ひたまへ けむ。 |
「ああ、 これまでの行幸を、 どうして 名誉なことだと 思っていた のであろうか。 |
〈これも筑前の言動同様ゆゆしい文脈。ここだけ見ると失敬すぎるだろう。 それであえて「酔ひ泣き」と理性を欠いている旨説明している。学説は道長の人間味とするものがあるが、そういう一面的な大政翼賛レベルの日記ではない〉 |
かかりけることも はべりけるものを」 |
こんなにも めでたく素晴らしい行幸も あったのに」 |
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と、 酔ひ泣きしたまふ。 |
と、 酔い泣きなさる。 |
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さらなる ことなれど、 御みづからも おぼし知るこそ、 |
いうまでもない ことだが、 ご自身でも〈無礼講と〉 お感じ入っている様子が、 |
〈学説にこの視点はないが、「御みづからもおぼし知る」は、今日は無礼講として自らの無礼さを弁えていると解する。でなければ天皇の前で酔い泣きなどしないだろう。 この点全注釈は「さらなる」を「(誰が考えても)当然」とするが、道長の先の発言は誰にとっても当然ではないだろう〉 |
いと めでたけれ。 |
まことに 〈ほほえましくめでたい〉ことであった。 |
×素晴らしい 〈めでたし=愛でたし=ほほえましい(喜ばしい)。独自。素晴らしいとする定義は派生解釈だから、常に通用するとは限らず、むしろ通常不適当。 |
8 |
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殿は、 あなたに 出でさせたまふ。 |
殿は、 あちら(西の対)へ お出ましになる。 |
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9 |
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主上は 入らせ たまひて、 |
主上は 御簾の内側にお入り あそばして、 |
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右の大臣を 御前に召して、 筆とりて 書きたまふ。 |
右大臣を 御前に呼び寄せて、 筆をとって お書きになる。 |
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宮司、 殿の家司の さるべき かぎり、 加階す。 |
中宮職の役人や、 殿の家司の しかるべき者 すべてに、 位階を上げる。 |
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頭弁して 案内は 奏せさせ たまふめり。 |
頭弁に命じて 加階の手続きは 奏上させ なさるようだ。 |
【頭弁】-源道方。 |
10 |
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新しき宮の 御よろこびに、 |
新たな若宮の親王宣下の 慶祝のために、 |
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氏の上達部 ひき連れて、 拝し たてまつり たまふ。 |
〈殿が同氏の上達部を ひき連れて 拝礼を 主上に差し上げ〉 なさる。 |
×藤原氏の上達部たちが連れ立ってお祝いの拝礼を(渋谷) 〈「ひき連れ」の主語を上達部とするのが通説(旧大系・全集・全注釈)だが、集成は「殿」(道長)とし、こちらが妥当。源氏物語では連れ立ち用法では主語の前に「は」を置き(田舎びたる人びとは、おどろおどろしくひき連れ参り)、引率の場合は対象に続け「ひき連れ」とする(君達皆ひき連れ)。 |
またこの「ひき連れて」を「うちそろって」(全集・全注釈)とするのも違和感があり、文脈上屋敷の主人の道長が「あなたに出で」たのは御前以外の上達部を「ひき連れて」くるためといえ、この場の主格を道長と見ても支障はない〉 | ||
藤原ながら 門分かれたるは、 |
同じ藤原であるが 門流の分かれた人たちは、 |
【藤原ながら門分かれたるは】-『新大系』では「道長一門に属さぬ実資・顕光・公季・隆家であろう」と注す。 |
列にも立ち たまはざりけり。 |
その列にお加わりに ならなかった。 |
【立ちたまはざりけり】-『全注釈』『集成』『新大系』『新編全集』は『栄花物語』によって「立ちたまはざりけり」と改める。『学術文庫』は底本のまま。 |
次に、 別当に なりたる 右衛門督、 大宮の大夫よ、 |
次に、 親王家の別当に なった 右衛門督は、 中宮大夫ですよ、 |
【右衛門督、大宮の大夫よ】-右衛門督藤原斉信。「大宮の大夫」(中宮大夫)はその説明。 |
宮の亮、 加階したる 侍従の宰相、 |
中宮権亮は、 加階した 侍従の宰相で、 |
【宮の亮、加階したる侍従の宰相】-中宮権亮藤原実成。「加階したる侍従の宰相」はその説明。〈上記学説で道長一門に属さないとされた公季の子〉 |
次々の人、 舞踏す。 |
続いて次々の人びとが、 お礼の拝舞をする。 |
〈舞踏(ぶたふ・ぶとう):拝礼が踊りの様な様。西洋貴族のお辞儀やハウルの冒頭の去り際を想像してほしい。全注釈は「平安時代の宮廷では、このように優雅」「現代の日本人はなんと無作法無表情になったものかと実に不思議」とするが、一億の一般人と最上級貴族の作法を比較して嘆くとは、論者の前世は、殿上人以外人と認識してなかった人ではないか〉 |
11 |
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宮の御方に 入らせたまひて、 ほどもなきに、 |
帝が 中宮様の御帳台に お入りになって、 間もないうちに、 |
〈渋谷訳「帝は」から「帝が」に変更〉 |
「夜 いたう 更けぬ。 御輿寄す」 と、 ののしれば、 |
「夜が たいそう 更けました。 御輿を寄せます」 と、 大声で言うので、 |
〈この点全注釈は、通説が単に時間経過とするのは続くののしるとの関係で不適当で、①「何度も催促せねばなかなか御輿のあがらぬものであるから…(夜も更け還幸の)判断を促」し、②「御出ましがなければまことに不調法なことになりますよという警告にも等しい催告」とするが、帝は即反応しているから①は不自然だし、②の警告も①の催促の意味をなくす上、親子ならともかく側用人が天皇に怒鳴るのは失礼過ぎるので、これは事前の段取りに形式的に従った日本的おかしさ(即ち全注釈的態度)、彰子入内から10年後の子で類型的に執心情況ではないので、むしろ帝の意向とも思える〉 |
出でさせ たまひぬ。 |
帝は御帳台から お出ましに なった。 |