原文 (黒川本) |
現代語訳 (渋谷栄一) 〈適宜当サイトで改め〉 |
注釈 【渋谷栄一】 〈適宜当サイトで補注〉 |
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1 |
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九日、 | 九月九日に、 | 【菊の綿】-菊の着せ綿。重陽の節句の行事。 |
菊の綿を | 菊の綿を | |
兵部のおもとの | 兵部のおもとが | 【兵部のおもと】-中宮付きの女房。素姓未詳。 |
持て来て、 | 持って来て、 | |
2 |
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「これ、 | 「これを、 | |
殿の上の、 | 殿の北の方倫子様が、 |
【殿の上】-藤原道長の正室源倫子。四十五歳。 〈最低でも紫式部より5歳以上年上〉 |
とり分きて | 特別にあなたに | |
『いとよう | 『〈よくよく〉 | △たいそう念入りに |
老い 拭ひ捨てたまへ』と、 |
老いを 拭い捨てなさい』と、 |
〈「とり分きて…いとよう老い拭い」から明らかな挑発(あなたは私より年下なのに、とりわけ大きな態度が染みついていて老けて見えるから、これで入念に若く見えるよう手入れしなさい、不遜な態度をなくしなさい)と見る。続く歌の内容はこれに対する意趣返し。学説は全注釈のみ皮肉を想定するが、他の主要本は想定しない。後掲和歌参照。 女性に年の話は無用と思う気配がない人は、どのような環境で大きくなり、なぜ紫式部に取り組んだか。彼女が代理や使者を選ぶならどういう人か。目上の配慮は感謝してるに決まってるよな? 物事を正しく見てるよな? という人を選ぶか、考えてもらいたい〉 |
のたまはせつる」 | 仰せになりました」 | |
とあれば、 | と言うので、 | |
3 |
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【菊の露若ゆばかりに袖触れて花のあるじに千代は譲らむ】-『紫式部集』第一一四段。詞書「九月九日、菊の綿を上の御方より賜へるに」。『新勅撰和歌集』(賀 四七五 紫式部)に入集。 | ||
菊の露 | 菊の露に〈は〉 |
〈菊:一般に葬式の花。深い理解では霊的世界につながる花。独自。文脈一連の薫物・祈祷もその意味がある。 露:道長の歌の白露(女の白々しい涙)と対になる悲しみの涙(当てつけ)。通説は先に恩恵と解していたが、ここではそう見ないことも場当たりな証拠〉 |
若ゆばかりに | 〈若返る一心で〉 |
×わたしはちょっと若返るくらいに 〈若ゆ:若くなる・若返る〉 |
袖触れて | 〈直接手で触れないようにして〉 |
×袖を触れることにして 〈通説解釈や旧大系本文「袖ぬれて」のように、袖で触れることに意味があるのではない。独自。後掲全注釈のように裏返して触れないことに意味がある〉 |
花のあるじに | この花の持ち主であるあなた様に | 〈菊は敬老・長寿を祝うともいう〉 |
千代は譲らむ | 千年の寿命はお譲り申し上げましょう | 〈意趣返し。紫式部の万歳ネタは常に皮肉。 |
「倫子の長寿を祝う心」(全集)は皮相的過ぎ、「ひたすら相手の延寿を祝うという気持ちの明白な歌であるにもかかわらず、裏を返せば、はなはだ慇懃無礼ともいうべき皮肉な意味が汲み取られるところに問題がある」(全注釈)説が前段及び後段「ところに問題がある」除き妥当。しかしその問題は子供の躾の御用学者目線の問題。それを女の問題に限定し、同じ露の道長の歌や、二人の息子頼道の女郎花の野辺という捨て台詞は全力礼賛するところに家父長本位読解の限界がある。 更に言えば、全〇釈は他本より経歴類型的に上から目線でこの皮肉を認知・表現できた(一面では私もそうだが、国内序列を絶対視しない点で学説と根本で異なる。狭い序列の中で紫式部を立てようと思ってない。小町のように)。 「よくよく老いを拭い捨てろ」と言ってきた相手に、大真面目に長寿を祝い返したとできるのが日本の学問の限界。本質的に江戸以前のぬるま湯情緒で、突如ぽぽ〇ぽーんでも問題ない。そう、あれは科学的な私達が制御したぽ〇ぽぽーんなのだ。大前提を揺るがされると改めるでなく上書きする、それがはじめより我々はの世界の限界〉 |
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とて、 | と詠んで、 | |
返したてまつらむ | ご返礼申し上げよう | |
とするほどに、 | としているうちに、 | |
4 |
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「あなたに |
「北の方様は あちらに |
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帰り渡らせ | お還りに | |
たまひぬ」 | なられました」 | |
とあれば、 | ということなので、 | |
用なさに |
差し上げる 用が無くなったので |
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とどめつ。 | 手許にとどめ置いた。 |