段 | 冒頭 |
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1 | 御頂きの御髮下ろし |
2 | 東面なる人びとは |
3 | 化粧などのたゆみなく |
4 | 宰相の君の顏変はり |
5 | ましていかなりけむ |
6 | されど、その際に見し |
7 | 今とせさせたまふほど |
8 | 源の蔵人には心誉阿闍梨 |
9 | 阿闍梨の験の薄きにあらず |
10 | 宰相の君のをき人に |
11 | 御もののけ移れと |
原文 (黒川本) |
現代語訳 (渋谷栄一) 〈適宜当サイトで改め〉 |
注釈 【渋谷栄一】 〈適宜当サイトで補注〉 |
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1 |
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御頂きの御髮 下ろしたてまつり、 |
中宮様の御頭頂のお髪を 形ばかりお削ぎ申し上げて、 |
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御忌む事 受けさせ たてまつりたまふほど、 |
御忌戒を お受けさせ 申し上げる間、 |
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くれ惑ひたる心地に、 | 途方に暮れるほどの気分で、 | |
こはいかなることと、 | これはどうなることかと、 | |
あさましう 悲しきに、 |
驚きあきれるほど 悲しいと思っているうちに、 |
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平らかに せさせたまひて、 |
無事に 御出産なさって、 |
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後のこと まだしきほど、 |
後産のことが まだの間に、 |
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さばかり 広き母屋、 |
あれほど 広い母屋から、 |
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南の廂、 高欄のほどまで |
南面の廂の間、 外の簀子の高欄の際まで |
〈高欄:こうらん・欄干〉 |
立ちこみたる 僧も俗も、 |
立て混んでいた 僧侶たちも俗人たちも、 |
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いま一よりと よみて 額をつく。 |
いま一段と 大きな声を上げて 礼拝した。 |
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2 |
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東面なる 人びとは、 |
東面にいる 女房たちは、 |
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殿上人に まじりたるやうにて、 |
殿上人に まじって控えている格好で、 |
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小中将の君の、 | 小中将の君が、 | 【小中将の君】-中宮付きの女房。〈人定未詳〉 |
左の頭中将に 見合せて、 |
左の頭中将源頼定と ぱったり顔を合わせて、 |
【左の頭中将】-源頼定。為平親王の次男。 |
あきれたりし さまを、 |
茫然とした 様子などを、 |
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後にぞ 人ごと 言ひ出でて笑ふ。 |
後になって それぞれが 話し出して笑った。 |
【人ごと】-底本「人こと」。「こ」は字母「古」とも「悲」とも読める事態。『全注釈』『集成』は「ひ」と読む。『新大系』は「こ」と読み「人々」と改める。『新編全集』『学術文庫』は「人ごと」と読む。 |
3 |
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化粧などの たゆみなく、 |
化粧などが 行き届いて、 |
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なまめかしき人にて、 | 優美な人で、 | |
暁に顏づくり したりけるを、 |
明け方に化粧を していたのだが、 |
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泣き腫れ、 | 泣き腫らして、 | |
涙にところどころ濡れ そこなはれて、 |
涙でところどころ 化粧くずれして、 |
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あさましう、 | 驚きあきれるくらいで、 | |
その人となむ 見えざりし。 |
〈小中将の君その人〉とも 見えなかった。 |
×小少将の君とも〈渋谷誤記〉 |
4 |
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宰相の君の、 | 宰相の君が、 | 〈蜻蛉日記の著者の孫。藤原豊子。前段その他多数〉 |
顏変はりしたまへる さまなどこそ、 |
涙で顏変わりなさった 様子などは、 |
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いとめづらかに はべりしか。 |
とても珍しいことで ございました。 |
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5 |
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まして、 | それ以上に、 | |
いかなりけむ。 |
わたしの顔などは どう見えたことであろうか。 |
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6 |
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されど、 | けれども、 | |
その際に見し 人のありさまの、 |
その際に見た 女房の様子が、 |
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かたみに おぼえざりしなむ、 |
お互いに 覚えていないというのも、 |
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かしこかりし。 | 幸いなことであった。 | |
7 |
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今と せさせたまふほど、 |
いよいよ 御出産あそばすというときに、 |
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御もののけの ねたみ ののしる声などの むくつけさよ。 |
御もののけが 妬み声や 大きな声を出すことなどの 何とも気味の悪かったことよ。 |
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8 |
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源の蔵人には 心誉阿闍梨、 |
憑坐らの源の蔵人には 心誉〈しんよ〉阿闍梨を、 |
【源の蔵人】-中宮付きの女蔵人。憑坐(よりまし〈悪霊を代わりに憑かせる体〉)を差し出した女房。 【心誉阿闍梨】-藤原重輔の三男。三十八歳。源の女蔵人が差し出した憑坐を担当。 |
兵衛の蔵人には 妙尊といふ人、 |
兵衛の蔵人には 妙尊という僧侶を、 |
【兵衛の蔵人】-中宮付きの女蔵人。憑坐(よりまし)を差し出した女房。 【妙尊】-底本「そうそ」。『全注釈』は「そ」は「め」の誤写と見て「妙尊」とする。延暦寺の僧侶。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本のまま。 |
右近の蔵人には 法住寺の律師、 |
右近の蔵人には 法住寺の律師を、 |
【右近の蔵人】-中宮付きの女蔵人。憑坐(よりまし)を差し出した女房。 【法住寺の律師】-権律師尋光。藤原為光の子、斉信の弟。 |
宮の内侍の局には 千算阿闍梨を 預けたれば、 |
宮の内侍の局には 千算阿闍梨を 担当させていたところ、 |
【宮の内侍の局】-中宮付きの女房。憑坐(よりまし)を差し出した女房。〈橘良芸子。前出〉 【千算阿闍梨】-底本「ちそう」。『全注釈』は「そう」は「さん」からの音韻転化と見て「千算」とする。勝算の弟子。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本のまま。 |
もののけに 引き倒されて、 |
阿闍梨たちが もののけに 引き倒されて、 |
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いと いとほしかりければ、 |
ひどく 気の毒だったので、 |
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念覚阿闍梨を 召し加へてぞ ののしる。 |
念覚阿闍梨を 呼び寄せ加えて 大声で祈祷した。 |
【念覚阿闍梨】-藤原済時の子、円明寺検校。 |
9 |
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阿闍梨の 験の薄きにあらず、 |
阿闍梨たちの 効験が薄いのではない、 |
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御もののけの いみじう こはきなりけり。 |
御もののけが ひどく 手強いのであった。 |
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10 |
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宰相の君の をき人に 叡効を 添へたるに、 |
宰相の君担当の 招祷人に 叡効阿闍梨を 付き添わしたところ、 |
【宰相の君】-典侍藤原豊子。憑坐(よりまし〈悪霊を代わりに憑かせる体〉)を差し出した女房〈4参照〉。 【をぎ人】-底本「せき人」。「せ」は「を」の誤写。『集成』『新大系』は清音「をき人」と読む。「呼 ヲク」(色葉字類抄)。 【叡効】-園城寺の僧侶。阿闍梨。 |
夜一夜 ののしり明かして、 |
一晩中、 叡効阿闍梨は 大声を上げ続けて、 |
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声も涸れにけり。 | 声も涸れてしまった。 | |
11 |
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御もののけ 移れと 召し出でたる 人びとも、 |
御もののけを 移らそうと 呼び出した 憑坐たちも、 |
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みな移らで 騒がれけり。 |
すべては移らないので 大騒ぎしたことであった。 |