原文 (黒川本) |
現代語訳 (渋谷栄一) 〈適宜当サイトで改め〉 |
注釈 【渋谷栄一】 〈適宜当サイトで補注〉 |
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三日に ならせたまふ夜は、 宮司、大夫よりはじめて 御産養仕うまつる。 |
御誕生三日目に おなりあそばす夜は、 中宮職の官人が 中宮大夫を始めとして 御産養に奉仕する。 |
〈御産養(おん うぶ やしない):新生児誕生から3,5,7,9日の奇数の夜に行われる祝宴の儀で衣服・調度・食物などが贈られる〉 |
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右衛門督<大夫斉信>は 御前の事、 沈の懸盤、 白銀の御皿 など、 詳しくは見ず。 |
中宮大夫の右衛門督〈は 中宮御前の御膳の事で〉、 沈の懸盤や 白銀の御皿 〈などを提供したが〉、 詳しくは見ていない。 |
【右衛門督】-『絵詞』の割注に「大夫斉信」とある。従二位権中納言中宮大夫右衛門督藤原斉信。四十二歳。 〈渋谷訳:△右衛門督が中宮様の御祝膳の事にあたったが…御皿などについては、詳しくは見ていない |
3 |
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源中納言<権大夫俊賢>、 | 源中納言と | 【源中納言】-『絵詞』の割注に「権大夫俊賢」とある。この時、正三位権中納言治部卿中宮権大夫、十月十六日には行幸の賞に従二位に叙される。四十九歳。源高明の三男。 |
藤宰相<権亮実成>は | 藤宰相は | 【藤宰相】-『絵詞』の割注に「権亮実成」とある。この時、正四位下参議中宮権亮侍従、十月十六日には行幸の賞に従三位に叙される。三十四歳。内大臣公季の長男。 |
御衣、 御襁褓、 衣筥の折立、 入帷子、 包、覆、 下机など、 |
若宮の御衣や 御襁褓、 衣筥の折立、 入帷子、 包み、覆い、 下机など、 |
〈御衣(みそ・おほんぞ・ぎょい) 御襁褓(お むつ き):おむつ 衣筥の折立(ころもばこ の をたて):衣装箱の中の仕切り 入帷子(いれかたびら):かたびら(肌着)を入れる長方形の箱 下机(したづくえ):机の下に置く物を載せる台〉 |
同じことの、 同じ白さ なれど、 |
通例のことで、 同じ白一色で あるが、 |
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しざま、 人の心々 見えつつ し尽くしたり。 |
〈仕立て方に 人の〉趣向が うかがえて 念入りになされていた。 |
△その作り方に、 ×女房たちは各自の趣向が 〈全集・集成は作り手の心と解するが、ここに上記二者を含めないのは無理があるので、関わった人達と見る。作って終わり置いて終わりではなく、見せ方(プレゼン→プレゼント)も指揮者的な技術だが、そこが日本は伝統的に弱い(という解釈)。見せ方というと広報宣伝・口先小手先・街頭ポスター的含みがあるが、そうした認識が彼我の違いと、エリザベス女王の葬式、米大統領(プレジデント)の聖書宣誓等と比較すれば分かると思う〉 |
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近江守は、 おほかたの ことどもや 仕うまつるらむ。 |
近江守源高雅は、 その他全般的な 事柄を 担当したのだろうか。 |
【近江守】-『絵詞』には「高雅」ナシ。『全注釈』は「高雅」を削除し「近江守」とする。従四位下中宮亮兼近江守源高雅。道長の家司。 |
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東の対の 西の廂は、 上達部の座、 |
東の対の 西の廂の間は 上達部の座席で、 |
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北を上にて二行に、 南の廂に、 殿上人の座は 西を上なり。 |
北を上座として二列に並び、 南の廂の間の 殿上人の座席は 西が上座である。 |
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白き綾の御屏風、 母屋の御簾に添へて、 外ざまに 立てわたしたり。 |
白い綾の御屏風を、 母屋の御簾に沿って、 外向きに 立て並べていた。 |
【御屏風】-底本「御ひやうふともを」。『絵詞』は「御ひやうふ」とある。諸本「御屏風どもを」とするが、『絵詞』に従って「ともを」を削除する。 |