竹取物語~石上麻呂

大伴御行 竹取物語
石上麻呂

 
 
 「中納言石上麻呂は」から、「それよりなん少し嬉しきことをば、かひありとはいひける」まで。 
 前に「かぐや姫、石上中納言には、燕(つばくらめ)のもたる子安貝一つとりて給へといふ」とあった。
 

本文

       
和歌  文章
 番号
竹取物語
(國民文庫)
竹とりの翁物語
(群書類從)
       
  〔682〕 中納言
石上麻呂は、
中納言
磯のかみのまろたり[もろたかイ]は。
  〔683〕 家につかはるゝ男どもの許に、 家につかはるゝをのこどものもとに。
  〔684〕 「燕(つばくらめ)の
巣くひたらば告げよ。」
との給ふを、うけたまはりて、
つばくらめの
すくひたらばつげよ
との給ふを承て。
       
  〔685〕 「何の料にかあらん。」と申す。 何の用にかあらむと申。
  〔686〕 答へての給ふやう、 こたへての給ふやう。
  〔687〕 「燕のもたる子安貝
とらん料なり。」との給ふ。
つばくらめのもたるこやすの(イ无)かひ
をとらんれうなりとの給ふ。
       
  〔688〕 男ども答へて申す、 をのこどもこたへて申。
  〔689〕 「燕を
數多殺して見るにだにも、
腹になきものなり。
つばくらめを
あまたころしてみるにだにも
腹になき物也。
  〔690〕 たゞし子産む時
なんいかでかいだすらん、
たゞし子うむ時
なんいかでかいだすらん。
  〔691〕 はら\/と はう〳〵かと申。
  〔692〕 人だに見れば失せぬ。」と申す。 人だにみればうせぬと申。
       
       
  〔693〕 又人のまをすやう、 又人申やう。
  〔694〕 「大炊寮(おほゐづかさ)の
飯炊ぐ屋の棟の
おほいづかさの
いひかしぐ屋のむねに[のイ]。
  〔695〕 つくの穴毎に
燕は巣くひ侍り。
つくのあなごとに
つばくらめは巢をくひ侍る。
  〔696〕 それにまめならん男どもを
ゐてまかりて、
それにまめならんをのこどもを
ゐてまかりて。
  〔697〕 あぐらをゆひて上げて
窺はせんに、
あぐらをゆひあげて
うかゞはせんに。
  〔698〕 そこらの燕子
うまざらんやは。
そこらのつばくらめを
うまざらむやは。
  〔699〕 さてこそとらしめ給はめ。」と申す。 扨こそとらしめ給はめと申。
       
  〔700〕 中納言喜び給ひて、 中納言よろこびたまひて。
  〔701〕 「をかしき事にもあるかな。 おかしき事にも有哉。
  〔702〕 もともえ知らざりけり。 尤えしらざりけり。
  〔703〕 興あること申したり。」との給ひて、 けうある事申たりとの給ひて。
  〔704〕 まめなる男ども
二十人ばかり遣して、
まめなるをのこども
廿人ばかりつかはして。
  〔705〕 あなゝひに上げすゑられたり。 あなゝひにあげすへられたり。
       
       
  〔706〕 殿より使ひまなく給はせて、 とのより使隙なくたまはせて。
  〔707〕 「子安貝とりたるか。」
と問はせ給ふ。
こやすの[イ无]かひとりたるか
ととはせ給ふ。
       
  〔708〕 「燕も
人の數多のぼり居たるにおぢて、
つばくらめも
人あまたのぼりゐたるにおぢて。
  〔709〕 巣にのぼりこず。」 すにものぼりこず。
  〔710〕 かゝるよしの御返事を申しければ、 かゝるよしの御返事を申たれば。
  〔711〕 聞き給ひて、 聞給ひて。
  〔712〕 「いかゞすべき。」
と思しめし煩ふに、
如何すべき
とおぼしめし煩ふに。
       
  〔713〕 かの寮の官人(くわんじん)
くらつ麿と申す翁申すやう、
彼つかさのくわん人
くらつまろと申翁申やう。
  〔714〕 「子安貝
とらんと思しめさば、
こやすの(イ无)かひ
とらむとおぼしめさば。
  〔715〕 たばかり申さん。」とて、 たばかり申さむとて。
  〔716〕 御前に參りたれば、 御前に參たれば。
  〔717〕 中納言
額を合せてむかひ給へり。
中納言
額を合てむかひゐたまへり。
       
  〔718〕 くらつ麿が申すやう、 くらつまろが申やう。
  〔719〕 「この燕の子安貝は、 此燕めこやすのかひは。
  〔720〕 惡しくたばかりてとらせ給ふなり。 あしくたばかりてとらせ給ふ也。
  〔721〕 さてはえとらせ給はじ。 扨はえとらさ(イ无)せたまはじ。
  〔722〕 あなゝひにおどろ\/しく、
二十人の人ののぼりて侍れば、
あなゝひにおどろおどろしく
廿人のひと〴〵ののぼりて侍るなれば。
  〔723〕 あれて寄りまうで來ずなん。 あれてよりまうでこず・[なりイ]。
  〔724〕 せさせ給ふべきやうは、 せさせ給ふべきやうは。
  〔725〕 このあななひを毀ちて、
人皆退きて、
此あなゝひをこぼちて
人みなしりぞきて。
  〔726〕 まめならん人一人を
荒籠(あらこ)に載せすゑて、
まめならむ人を
あらこにのせすへて。
  〔727〕 綱をかまへて、鳥の子産まん間に
綱を釣りあげさせて、
つなをかまへて鳥のこうまん間に
つなをつりあげさせて。
  〔728〕 ふと子安貝をとらせ給はんなん ふとこやすの[イ无]かひをとらせ給なん。
  〔729〕 よかるべき。」と申す。 よき事なる[ばよかるイ]ベきと申。
       
  〔730〕 中納言の給ふやう、 中納言の給ふやう。
  〔731〕 「いとよきことなり。」とて、 いとよき事なりとて。
  〔732〕 あなゝひを毀ちて、 あなゝひをこぼし。
  〔733〕 人皆歸りまうできぬ。 人みなかへりまうできぬ。
       
       
  〔734〕 中納言くらつ麿にの給はく、 中納言くらつまろにの給はく。
  〔735〕 「燕はいかなる時にか
子を産むと知りて、
人をばあぐべき。」とのたまふ。
つばくらめはいかなる時にか
子うむとしりて
人をばあぐべきとのたまふ。
       
  〔736〕 くらつ麿申すやう、 くらつまろ申やう。
  〔737〕 「燕は子うまんとする時は、 つばくらめ子うまむとする時は。
  〔738〕 尾をさゝげて
七度廻りて
なん産み落すめる。
おをさ・[さイ]げて
七度めぐりて
なんうみおとすめる。
  〔739〕 さて七度廻らんをりひき上げて、
そのをり子安貝はとらせ給へ。」と申す。
扨七度めぐらんおり
ひきあげてそのおり
こやすの(イ无)貝はとらせたまへと申。
       
  〔740〕 中納言喜び給ひて、 中納言喜て。
  〔741〕 萬の人にも知らせ給はで、
みそかに寮にいまして、
よろづの人にもしらせ給はで
みそかにつかさにいまして。
  〔742〕 男どもの中に交りて、 をのこどもの中にまじりて。
  〔743〕 夜を晝になしてとらしめ給ふ。 夜をひるになしてとらしめ給ふ。
  〔744〕 くらつ麿かく申すを、
いといたく喜び給ひての給ふ、
くらつまろかく申を
いといたく喜ての給ふ。
  〔745〕 「こゝに使はるゝ人にもなきに、
願をかなふることの嬉しさ。」
と宣ひて、
こゝにつかはるゝ人にもなきに
ねがひをかなふることのうれしさ
との給ひて。
  〔746〕 御衣(おんぞ)ぬぎてかづけ給ひつ。 御ぞぬぎてかづけ給つ。
       
       
  〔747〕 更に「夜さりこの寮にまうでこ。」
とのたまひて遣しつ。
さらによさり此司にまうでこ
との給ひてつかはしつ。
  〔748〕 日暮れぬれば、
かの寮におはして見給ふに、
誠に燕巣作れり。
日暮ぬれば
かのつかさにおはして見給ふに
誠につばくらめ巢つくれり。
       
  〔749〕 くらつ麿申すやうに、 くらつまろ申やう・[にイ]。
  〔750〕 尾をさゝげて廻るに、 おうけて[をさゝげイ]めぐるに。
  〔751〕 荒籠に人を載せて
釣りあげさせて、
燕の巣に手をさし入れさせて探るに、
あらこに人をのぼせて
つりあげさせて
つばくらめの巢に手をさし入させてさぐるに。
       
  〔752〕 「物もなし。」と申すに、 物もなしと申に。
  〔753〕 中納言
「惡しく探ればなきなり。」と腹だちて、
「誰ばかりおぼえんに。」とて、
中納言
あしくさぐればなきなりと腹立て
たればかりおぼふらんにとて。
  〔754〕 「我のぼりて探らん。」とのたまひて、 われのぼりてさぐらむとの給ひて。
       
  〔755〕 籠にのりてつられ登りて
窺ひ給へるに、
籠に入てつられのぼりて
うかゞひ給へるに。
  〔756〕 燕尾をさゝげて
いたく廻るに合せて、
つばくらめ尾をさげ[さゝげイ]て
いたくめぐりけるにあはせて。
  〔757〕 手を捧げて探り給ふに、 手をさゝげてさぐり給ふに。
  〔758〕 手にひらめるものさはる時に、 ・[手にイ]ひらめる物さはりけるとき。
  〔759〕 「われ物握りたり。 我物にぎりたり。
  〔760〕 今はおろしてよ。 今はおろしてよ。
  〔761〕 翁しえたり。」との給ひて、 おきなしえたたり[イ无]との給ひて。
  〔762〕 集りて「疾くおろさん。」とて、
綱をひきすぐして、
綱絶ゆる、即
あつまりてとくおろさんとて
綱を引すぐして
つなたゆるとき[すなはちにイ]に。
  〔763〕 やしまの鼎の上に
のけざまに落ち給へり。
やしまのかなへのうへに
のけざまにおちたまへり。
       
       
  〔764〕 人々あさましがりて、 人々あさましがりて。
  〔765〕 寄りて抱へ奉れり。 寄てかゝへたてまつれり。
  〔766〕 御目はしらめにてふし給へり。 御目はしらめにてふし給へり。
  〔767〕 人々御(み)口に水を掬ひ入れ奉る。 人々水をすくひ入たてまつれり。
       
  〔768〕 辛うじて息いで給へるに、 からうじていき出給るに。
  〔769〕 また鼎の上より、 又かなへの上より。
  〔770〕 手とり足とりしてさげおろし奉る。 てとりあしとりしてさげおろし奉る。
  〔771〕 辛うじて
「御(み)心地はいかゞおぼさるゝ。」
と問へば、
からうじて
御心ちはいかゞおぼさるゝ
ととへば。
  〔772〕 息の下にて、 息の下にて。
  〔773〕 「ものは少し覺ゆれど 物はすこしおぼゆれど。
  〔774〕 腰なん動かれぬ。 こしなむうごかれぬ。
  〔775〕 されど子安貝をふと握りもたれば
嬉しく覺ゆるなり。
されどこやすのかひをふとにぎりもたれば
嬉敷おぼゆれ[ゆるなりイ]。
  〔776〕 まづ脂燭さしてこ。 まづしそくさしてこ。
  〔777〕 この貝顔(かひがほ)みん。」と、
御ぐしもたげて御手をひろげ給へるに、
このかひがほ(貝面)見むと
御ぐしもたげ御手をひろげ給へるに。
  〔778〕 燕のまりおける
古糞を握り給へるなりけり。
つばくらめのまりおける
ふるくそをにぎり給へるなりけり。
       
  〔779〕 それを見給ひて、 それをみ給ひて。
  〔780〕 「あなかひなのわざや。」
との給ひけるよりぞ、
あなかひなのわざや
との給ひけるよりぞ。
  〔781〕 思ふに違ふこと
をば、かひなしとはいひける。
思ふにたがふ事
をばかひなしといひける。
       
       
  〔782〕 「かひにもあらず。」と見給ひけるに、 かひにもあらずと見給ひけるに。
  〔783〕 御こゝちも違ひて、 御心ちもたがひて。
  〔784〕 唐櫃の蓋に入れられ給ふべくもあらず、 からびつのふたに入られ給ふべくもあらず。
  〔785〕 御腰は折れにけり。 御こしはおれにけり。
       
  〔786〕 中納言は
いはけたるわざして、病むことを
中納言は
はら[いはイ]はげたるわざしてやむことを。
  〔787〕 人に聞かせじとし給ひけれど、 人にきかせじとしたまひけれど。
  〔788〕 それを病にていと弱くなり給ひにけり。 それをやまひにていとよはく成たまひけり。
  〔789〕 貝をえとらずなりにけるよりも、 かひをもとらずなりにける〔よりも。
  〔790〕 人の聞き笑はんことを、 人の聞き笑はん〕事を。
  〔791〕 日にそへて思ひ給ひければ、 日に添て思ひ給ひければ。
  〔792〕 たゞに病み死ぬるよりも、
人ぎき恥(はづか)しく覺え給ふなりけり。
たゞにやみしぬるよりも
人聞媿敷おぼえ給ふ成けり。
       
       
  〔793〕 これをかぐや姫聞きて 是をかぐや姫聞て。
  〔794〕 とぶらひにやる歌、 とぶらひにやる歌。
       
♪10 〔795〕 年を經て
浪立ちよらぬすみのえの
年をへて
浪立よらぬすみのえの
 まつかひなしと
 聞くはまことか
 まつかひなしと
 きくは誠か
       
  〔796〕 とあるをよみて聞かす。 とあるをよみてきかす。
       
  〔797〕 いと弱き心地に頭もたげて、 いとよはき心にかしらもたげて。
  〔798〕 人に紙もたせて、 人にかみをもたせて。
  〔799〕 苦しき心地に辛うじてかき給ふ。 くるしき心ちにからうじて書給ふ。
       
♪11 〔800〕 かひはかく
ありけるものをわびはてゝ
かひはなく
有ける物をわひはてゝ
 死ぬる命を
 すくひやはせぬ
 しぬる命を
 救ひやはせぬ
       
  〔801〕 と書きはてゝ絶え入り給ひぬ。 と書はてゝたえ入給ひぬ。
       
  〔802〕 これを聞きて、 是を聞て。
  〔803〕 かぐや姫少し哀(あはれ)とおぼしけり。 かぐや姫少哀とおぼしけり。
  〔804〕 それよりなん少し嬉しきことをば、
かひありとはいひける。
それよりなん少嬉しきことを
ばかひあるとはいひけり。