竹取物語の和歌15首。現代語訳を併記、対応関係を示し原文と通じさせた。
内訳:6(かぐや姫)、2×3(石作皇子、車持皇子、帝)、1×3(竹取翁、阿倍御主人、石上麻呂)
かぐや姫は古事記、竹取翁は万葉16巻長歌に由来。
竹取物語の著者は未詳とされるが、縫殿の文屋で、かぐやは小町(衣通姫のりう=光を放つ姫。小町針=男を徹底拒絶する話で、つまり小町も縫殿)。
縫殿は後宮の女官人事・職掌を担当し、その後宮目線で女に言い寄った天皇とその周辺を描いている(ここまで男目線で帝周辺の男全員滑稽に描いた例は他にあるのだろうか。一般に帝だけ美談にしたり、最後は地上を惜しんだ涙の別れとするが文脈を全く無視している。滑稽で無礼な男達をひたすら拒み続けた文脈の後で月を見て涙しているのに、地上を惜しんだと無理やりひねり出すこと自体、地上の男目線で無理筋。最悪だから涙した。これが天人の地上穢い発言で小町の境遇。かぐやは竹から生まれたという一般の説明は、そこから天が下したという著者の記述を無視している)。
文屋と小町は、古今の記録上表裏一体(小町の歌に出てくる男は文屋のみ、かつ小町の歌は作品数に比し詞書が不自然に少なく文屋はその裏返しで、かつ両者は秋下と恋二の巻先頭連続で対になり配置される)、つまり文屋が作詞で小町が歌手。これは仮説ではなく事実であるから、これに即した証拠しか出てきようがないし、貴族(公)スポンサーの学者都合で曲げて認定しても、記録は曲げられない。それが受け入れられないから、衣で一貫する竹取も伊勢も、二条の后に歌を提供し小町と接点がある公的記録を持つ文屋を断固無視し、著者想定で適当な貴族を羅列し、文屋の作の多くは息子の作と一方的に貶める(つまり六歌仙というのにその実体は息子の作品と言うが、無視するだけでは危ないダメ押し戦法)。しかし身分も家名も何もない卑官が、歌仙という伝説の称号を得る根拠は実力しかない。小町の根拠は文屋との関係。他の六歌仙に業平筆頭に内実がない。だから伊勢物語を当初業平歌集と認定したが、それを維持できず、学者達はそれを正当化するために伊勢の在五関連文言を全力で曲げ(「在五」蔑称とその「けぢめ見せぬ心」という非難を、分け隔てなく寝る心で著者は業平を思慕した人物とみなし続け)、どこかにあったはずの業平原歌歌集という想像の産物を根拠にすげ替え、その想像を根拠に業平認定を維持して絶対視し続けている。解説対象が抜けた馬だと御しやすい・見切ったことにできる側面がある。
そして竹取の記述が幼いと学者達に馬鹿にされるのも、まさにこうした一連の文脈の集大成。翁の70歳は自称、事実は50歳、天人が20年は片時と言う意味を通して解せず、翁の年齢の相違は矛盾であり著者のうっかり間違いとみなす。この点でも、学者側の足りてない一面的読解力を、著者に丸ごと転嫁して見切ったことにする村社会的知的構造が完璧に投影されている(竹取の著者は海外の宝物を出すような国際派で、文脈でも自国の支配至上主義ではない)。
そうして唯一六歌仙たる内実を持つ文屋と小町の関係が、竹取の翁(山出身の狂言回し)とかぐや姫の関係であり、その周囲の名前だけで調子にのった男達の投影が貴公子達。
これを裏付ける話が、大和物語168段の小町の話で、一緒に寝ようと歌を寄越してきた遍照が、小町が出向くとなぜか逃げ失せた背景である。
この話は、竹取の貴公子の一連の滑稽な話とパラレルに捉えるべきもの。そういうお笑いの意図で文屋(ゴシップ屋)が後宮に残した物語でしかありえない。
この点、通説的学説は、遍照はひょうひょうと大胆に色めいた歌を小町に送ったが、確かに人生に達観しつつ洗練された者の姿を見ることができ、俗世を拒否せず包含しその中に遊び、僧界に帰して行くと評する。これが学説にありがちな夢想的論評。宗教の理解がどこまでも都合で空虚で、肝心の世俗での行動規範の真っ当さと一切結びつけない。そして何より徹底した男目線。原文では遍照が小町から見て「逃げてうせぬ」とある。ひょうひょうと帰ったではない。逃げた。女に共に寝ようとメールで送ることを人生に達観して洗練された遊びという、これがまさに色坊主。宗教というベールをかぶっても裸の王様は裸の王様(その心は見るに堪えない)。遍照という坊主と寝ようとして追いかけたなど、小町が男性を拒絶する逸話と全く相容れないし、遍照との関係を裏付ける類型的情況証拠も動機も何もない。しかし専ら男目線の思い込みで女は好いていると正当化できるのが、世界有数の男性本位社会。
竹取の和歌は後半ほど朕要素が強くなる。男が思う以上に、女性は男の諸々の短さに憤る。
大和138段では、丈がいみじく短いことを女の毛が長いせいとしてきた「こやくしくそ(くそ中のくそ)」という男について、通説(大系・全集・全訳注)は「くそ」は愛称で軽い敬称と本気で言う(こやくしは未詳だが小薬師と当てるが文脈に全く根拠がない)。これは一部の珍説ではなく通説である。
これこそが古文・和歌読解全体の宿痾。批判と文言を肝心ほど捻じ曲げ美化する。この阿りが募集したが募ってはいないを産み出した。「くそ」も尊いと認識させようとする態度。
原文 | 現代語訳 | |
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石作皇子(壺♀) |
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1 贈 |
海山の みちにこゝろを つくしはて みいしの鉢の なみだながれき |
〔石作皇子〕海山の 未知の路に心を 尽くし果て 御石の鉢で 涙流れた (これはマジです) |
2 答 |
おく露の 光をだにも やどさまし をくら山にて なにもとめけむ |
〔かぐや姫〕置く露なら 光も少しは 宿しましょう 近くの山で 何を買ってきたのや (これはゴミですか) |
3 答 |
しら山に あへば光の うするかと はちを棄てゝも たのまるゝかな |
〔石作皇子〕しらねーの あえばあんたの光も 失せるかと思うと 鉢を捨ててもう 頼まれてもヤらねーからな (捨て台詞) |
車持皇子(金玉枝♂) |
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4 贈 |
いたづらに 身はなしつとも 玉の枝(を) 手をらでさらに かへらざらまし |
〔車持皇子〕下らない 身の上話をしないと 玉の枝を 手にもとれず 帰りもしない かも (これが恋の駆け引きや) |
5 独 |
呉竹の よゝのたけとり 野山にも さやはわびしき ふしをのみ見し |
〔竹取翁〕不死の呉竹園生(宮殿)のみならず 世々の竹取 野山にも そんなわびしい フシダケ見たことは (ワシにもあります。喪男はつらいよ) |
6 答 |
わが袂 けふかわければ わびしさの ちくさのかずも 忘られぬべし |
〔車持皇子〕わが袖は 今日乾いたので振れない わびしさで どんな些細なことも 忘れられねえ (これの金払えよ) |
7 答 |
まことかと 聞きて見つれば ことの葉を 飾れる玉の 枝にぞありける |
〔かぐや姫〕まことかと 聞いて見てみると 言葉だけを 飾った玉金の 枝(PB)でありました (女に立替、させる気か) |
阿倍御主人(皮袋♂) |
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8 贈 |
かぎりなき おもひに燒けぬ かはごろも 袂かわきて 今(日)こそはきめ |
〔阿倍御主人〕限りない 思いで焼けた 私の皮衣 袖も乾いて 今こそキメにきました (無い袖はふれぬ) |
9 答 |
なごりなく もゆと知りせば かは衣 おもひの外に おきて見ましを |
〔かぐや姫〕跡形もなく 燃えたと知ったなら その鼠並みの小財布も 思いの他に 置いて見てほしい (アベの小金=実弾=タマは汚い) |
石上麻呂(子安貝♀) |
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10 贈 |
年を經て 浪立ちよらぬ すみのえの まつかひなしと 聞くはまことか |
〔かぐや姫〕年を経て 波も立たない 住之江で 待つ貝もないと 聞いたがまじか (難波しよっと?) |
11 答 |
かひはかく ありけるものを わびはてゝ 死ぬる命を すくひやはせぬ |
〔石上麻呂〕貝はこうして あったのに わびしいまま 死ぬる命を なんで助けにこねーのか(なんばしよっと) |
帝(朕♂) |
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12 贈 |
かへるさの みゆき物うく おもほえて そむきてとまる かぐや姫ゆゑ |
〔帝〕帰る折に 御幸なのに物憂く 思われて 振り返って泊まる かぐや姫のため (あきらめませんやるまでは) |
13 答 |
葎はふ 下にもとしは 經ぬる身の なにかはたまの うてなをもみむ |
〔かぐや姫〕草生い茂る ウチの下の毛は 長いこと長いですが 貴朕のナニかの玉は キッチン(うてな=台)と見れるでしょうか |
14 贈 |
今はとて 天のはごろも きるをりぞ 君をあはれと おもひいでぬる |
〔かぐや姫〕今はといって 天の羽衣 着る時に 君の皮衣を哀れと 思い出してしまいました |
15 独 |
あふことも 涙にうかぶ わが身には しなぬくすりも 何にかはせむ |
〔帝〕やりきれきず 涙に浮かんでしおれた チンの身には 果てぬくすりも ナニに用いればよいだろう |