目次
・伊勢物語41段:紫・上の衣
→源氏の話は41巻まで
若紫のすりごろも(伊勢物語最初の歌詞)
紫式部の紫は源氏物語の「紫の上」が由来とされるが(その初出の巻名が若紫)、その由来は伊勢初段と伊勢41段としか説明しようがなく、源氏は竹取伊勢の統合という成立論からもそれを直接表現した絵合からも伊勢物語を無視するのは無理。
・葵:伊勢24段・梓弓
→昔男の幼馴染の妻で早世。葵の境遇。
源氏原文で葵に上は一度もつかない。
葵と争う構図の六条御息所は二条の后。昔男が仕えた相手。
・無名の主人公:伊勢の昔男
中将・業平・在五の否定と無名の伊勢の昔男の復活(ふりにし伊勢をの海人・伊勢の海の深き心)。在五は「けぢめ見せぬ心」で海ほど深い心などない。
絵合で「在五が物語」ではなく「伊勢物語」と定義し中将陣営を負かす。他作品は「竹取の翁」「宇津保の俊蔭」「正三位」で意図的に人物を排した。
昔男は文屋。夕霧は朝康(妻の雲居雁と合わせ影薄い)。中将の子の柏木は棟梁。光と並ぶ輝く日の宮こと藤壺は不死壷のかぐやで小町=衣通姫のりう。
文屋22、業平17、朝康37=源氏222首、頭中将17首、夕霧37首。百人一首の定家は伊勢源氏写本の不動の大家。
紫式部の紫、その投影たる作中の「紫の上」は、伊勢物語41段の「紫」「上の衣」とされる段に由来している。
これが一番素直かつ唯一通る説明。
伊勢41段は、藤原の大臣の娘が、卑しく貧しい嫁ぎ先で、大晦日まで張り切って洗濯をし(つまりのんびりお姫様できる実家には戻らず)服を張っていたら切れてしまい、しょうもなと泣いたという話を聞いて、伊勢の著者にその心意気やよしとされた話。
それで紫の服を贈ろうという。
そして紫は藤原の娘である。
一応説明すると、夫の家に仕えよという話ではない。金と楽な生活より、心底好きな男と一緒にいて、苦労をも共にすることを選んだとことを称えている。
そういう心意気が伊勢の本質。世俗の成功なんてのは心底どうでもいい(だから無名)。美しい心を貫きたい。「恋に死なずば」(14段。24段・12段参照)
そして美しい心とは、ヨゴレと捨て身をも厭わぬ愛の献身である。だからその心に相応しい一番美しい衣をあげようという話。
それだけではなく、服を張ると掛け高価と解き、捨て身で一張羅を贈ります、としたちょっとした笑い話でもある。
相手を思い・尽す愛なくして真(心・芯)の美しさはありえない。尽すといっても自分本位でこれみよがしなのは自己愛。一般に美しい行為とはいえない。
ちなみに服を贈るのは、女の義兄で昔男の友人。それに対し、君は豊かで女房に捨てられたけど、オトコだね、武蔵野の話(12段)のように体を張ったね。
と良いのか悪いのか、褒めているのか褒めていないのかよく解らないという筋。もちろん大筋は褒めている。
以上が源氏でいう「伊勢の海の深き心」。
業平にそんなポリシーはない。
(63段「在五…この人は思ふをも思はぬをもけぢめみせぬ心なむありける」一般はこの「けぢめ見せぬ心」を大らかに愛する心などとするが絶対無理)
ちなみに伊勢が服を云々するのは、昔男が縫殿という女所にいる極めて特殊な男だからである。だから貫之の仮名序のよききぬと、定家選のふくからに。
だからこの話を記した無名の伊勢の著者が、源氏のモデル。
という他ない。この一連一体の緻密な文脈を無視して他にあれやこれやというのはない。ナンセンス。というより意図的な無視(これまでの伊勢の議論)。
ある意味、紫の生みの親で、心の育ての親。つまり源氏そのもの。
なぜ源氏というかだが、帝の血筋と示す意味以外ないだろう。(昔男の母は宮:84段。だから桐壺は「母北の方なむいにしへの人のよしあるにて」)
そして伊勢といえば、一般に淫奔の色恋物語と評されており、したがって主人公と目される人物はイケメンの称号を得ているのである。しかしこれは誤り。
それは文屋であり、業平でも源融でも光孝でもない。それらの歌を代作・翻案した描写も伊勢にある(源融:初段・81、光孝:114、業平101等ほぼ全て)。
その実力者のありえない境遇と人生を例えたのが、冒頭の桐壺である。つまり産み落として果てたのは、伊勢であり源氏である。
無名の昔男だから源氏に名がない。
それは在五中将こと業平ではないから中将はライバルであり、
そして伊勢121段(梅壺)を受けて、源氏での梅壺には前伊勢斎宮を当てるのである。
つまり源氏冒頭の「先の世」「契り」とは、その男の作品である伊勢竹取のことであり、源氏はその続きとして描かれたものである。
光る君とかがやく日の宮(藤壺)とは、竹取の光るかぐやと、伊勢の無名の男のことである。
つまり伊勢竹取の主人公の二人。その両者の意義を特別に論じたのが、初段の特別な説明であり、17巻・絵合の内容。
そのモデルとなるのは文屋と小町しかない。可能性や推測ではなく、主に貫之の残したあらゆる証拠を総合し、これ以外ない。
小町と親密なのは文屋以外ありえないし、古今の配置と詞書も二人の共同、つまり小町の歌は文屋の作詞であることを確実に示している。
一般の古今の業平認定に、貫之は配置で対抗した。文屋・小町・敏行(秋下・恋二・物名)のみ巻先頭連続、業平は恋三で敏行(義弟)により連続を崩す。
この分野選定と人選に意味を見れないのは完全素人。歌を知らない。少なくともそういう人が源氏を語っても的外れ。
この別格性が冒頭の光かがやく二人。業平の物語? なんだろうそれは。そういう人は実力者の慎み深い、苦慮に富んだ慮りを読むことが全くできてない。
だから絵合でも貫之を実名で出している。伊勢の御もその一人。こちらは実名ではないが。
伊勢の御というのも、他に同類がいない。伊勢の子に掛けているのだろうと思う。申し子。お気に入りを自身のハンドルネームにする、ありふれたスタイル。
えてしてそういうのは若干これみよがしになる(源氏名)。ただ、紫はシンプル(みやび)なのでいいだろう。
色がつくのは葵と紫のみであり、葵は最初の揺るがない妻であり(早世した幼馴染の妻・伊勢24段の梓弓に対応)、紫も明言されずとも同様の立場である。
そして紫の上と「上」がつくのは彼女しかいない(葵の上という表現は原文にはない)。そして紫の命運は源氏と共にあった。
つまり紫が著者の視点の投影というに何の問題もなく、かつ伊勢の紫・上の衣を明確に受けているのである。何となくの上ではない。
「紫(式部)」は死後の呼称という指摘もあるが、他人の呼称は、あえて言えば関係ない。
紫目線の物語ということは揺るがないから。
源氏と共にあった紫の更なる投影が浮舟であり、だから彼女は古のことを知らずとも体が反応し、一見源氏っぽくするが、おかしな男達を拒絶するのである。
紫と上という語を説明できるのは伊勢41段しかない。これしかないから1000年たっても誰も説明できていない。みな伊勢を軽視しているから。
だから参照元を伊勢ではなく古今にする。
古今ではなく伊勢が先。記述内容年代登場人物からも伊勢が先。悉く伊勢が先。学説が伊勢を無視して古今に従っている。
一箇所だけ源順という後撰時代の人名が39段末尾にあるが、このような末尾の二文字程度をもって全体が覆るなら、成立年代は好きなだけ操作できる。
この文字はそれを意図していると考えるほかない。伊勢を公の影響下に置くという。
その極まったのが朱雀院塗籠本であり、好き勝手に改変し、114段では業平没後の仁和帝を存命時の深草に変えてしまう。
この伊勢の不遇を表したのが桐壺であり、源氏物語が記された動機。朱雀院が源氏の兄というのは何かの因縁か。
周囲に全くその真意を理解されなかった男の賛美。
いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。
はじめより我はと思ひ上がりたまへる御方がた、めざましきものにおとしめ嫉みたまふ。
これが伊勢の昔男の境遇。「二条の后に仕うまつる男」(伊勢95段)。縫殿の文屋の境遇。縫殿=服所にかけて更衣。
伊勢は二条の后に付き添っていた男の話。業平は女に言い寄って回る滑稽な脇役(63段・65段・76段・99段等)。
全く恋愛話ではないが、付き添いの夜の外出が、駆け落ちなどと噂されたとある(伊勢6段)。
在原なりける男は、後宮で女に拒絶されてもつきまとい笑われ陳情され流され(65段)、入内させた姪を孕ませたと噂される外道(79段)。
最終的に六位の地下が歌で帝に重用された(69段)のが許しがたく、素行に問題のある業平の日記とみなされた。
現に文屋の歌詞は、現代でも歌もまともに読めない人々に嘲笑されてすらいる。そのような人物が他にいるだろうか。全くありえない。
唯一二条の后の完全オリジナルの詞書を二つも持つ人物なのに、伊勢の著者の候補に全くあげられない。
だから伊勢の作者が何人もいたとか、何度も付けたし改変されたなどと言い出す。つまり突出した伊勢の徹底した解体と卑しめと、文屋の排除。
それが貞観以来の伊勢の議論の大きな方向性。
そしてそういう人としてありえない一般の認定が許せなかったのが、紫と、貫之(古今8・9で最初に厚い二条の后の詞書を当てる)。
源氏は伊勢末尾の梅壷を受けて桐壺から始まる。これは源氏で前伊勢斎宮に梅壺を当てることからも確実。
そうした絵合の巻で、梅壷方に伊勢物語を海ほど深い心と擁護させ勝利させ、業平(在五)の名を貶めていいのかとする方が負ける。
そしてその発言の直後、伊勢の無名の男(つまり業平ではない昔男=著者)の名を貶めていいのかという歌が提出される。
「在五中将の名をば、え朽たさじ」
とのたまはせて、宮、
「みるめこそうらふりぬらめ 年経にし伊勢をの海人の名をや沈めむ」
この発言主の宮は一般に藤壺(中宮)とされるが、文脈上では梅壷。前斎宮の宮。
しかし藤壺は小町でかぐやなので、より強力な発言になるだけなので別に問題はない。ただ文脈では梅壷。論争でのトリを務めている。
かぐや=小町は、他人の論争に割って入って発言などしない。この巻で以前にただ「宮」とあるのが中宮でも、ここでは違う。
そして斎宮は伊勢において勝気と描写されている(昔男になめた口をきく。いとなめし。105段)。
それが「みるめこそうらふりぬらめ 年経にし」という言葉。見る目なし。という意味。はー見る目な。という意味。
それで直後「かやうの女言にて、乱りがはしく争ふに」となる。
現代でも伊勢=業平言う人達にそう言ったら、こうなるだろう。それは確実。全く同じことが起こる。つまり1000年たっても理解は進んでいない。
それをわかったのは貫之と紫と定家だけ。定家は特別なので、実質貫之と紫だけ。だから二人は別格。
「在五中将の名をば、え朽たさじ」とあるが、在五が伊勢中での蔑称ということは分かっていて言わせている。だから業平としていない。
つまり在五が蔑称ということもわからず、それを主人公とか著者が思慕しているという人たちのおかしさを表現している。
在五で著者が業平を装っているとか思慕しているなどありえない。思慕しているとは、紫の源氏に対する扱いのようなことをいう。
伊勢のどこにそんな表現が。「けぢめ見せぬ心」で。しかも「在五」で。ありえなさすぎる。
この国の国語の根幹がこれというのは極めて深刻な問題である。しかも子どもが言っているのではない。この国で千年以上言われてきたこと。
源氏の死直後の、
「対の上の、かやうにてとまりたまへらましかば、いかばかり心を尽くして仕うまつり見えたてまつらまし。
つひに、いささかも取り分きて、わが心寄せと見知りたまふべきふしもなくて、過ぎたまひにしこと」を、口惜しう飽かず悲しう思ひ出できこえたまふ。
これはそのまま伊勢の著者に対する紫の思い。紫が幼い頃から源氏に育てられたのも、伊勢竹取を読んで育ったという意味。
著者は源融などではありえない。紫がここまで神格化する客観的根拠も動機もない。
なぜ貴族や帝を要所でないがしろにするかというと、地位を重視していないから。しかし帝の血だから。
だから身分とは何かについて冒頭で語らせて、源氏をあえて無官にしても称えている。
普通はそんな設定などしないだろう。無官になったらアホなことするなで終わり。