冒頭「人知れぬ、御心づからのもの思はしさは、いつとなきことなめれど」から始まる源氏物語・花散里の原文。要所で原文対訳に通じさせた。
源氏物語 原文目次 本巻冒頭、他巻へのジャンプにご活用下さい |
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1 桐壺 |
2 帚木 |
3 空蝉 |
4 夕顔 |
5 若紫 |
6 末摘花 |
7 紅葉賀 |
8 花宴 |
9 葵 |
10 賢木 |
11 花散里 |
12 須磨 |
13 明石 |
14 澪標 |
15 蓬生 |
16 関屋 |
17 絵合 |
18 松風 |
19 薄雲 |
20 朝顔 |
21 乙女 |
22 玉鬘 |
23 初音 |
24 胡蝶 |
25 蛍 |
26 常夏 |
27 篝火 |
28 野分 |
29 行幸 |
30 藤袴 |
31 真木柱 |
32 梅枝 |
33 藤裏葉 |
34 若菜上 |
35 若菜下 |
36 柏木 |
37 横笛 |
38 鈴虫 |
39 夕霧 |
40 御法 |
41 幻 |
42 匂兵部卿 |
43 紅梅 |
44 竹河 |
45 橋姫 |
46 椎本 |
47 総角 |
48 早蕨 |
49 宿木 |
50 東屋 |
51 浮舟 |
52 蜻蛉 |
53 手習 |
54 夢浮橋 |
※以上全て定家本系。
重視される順に、定家(自筆)本、明融(臨模)本、大島本。
詳しくは、上位ページの源氏物語・写本理論の概要を参照。
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以下、校訂原文データ提供の高千穂大名誉教授・渋谷栄一氏による説明を引用。
本文は、現存する藤原定家本四帖の一つである尊経閣文庫本である。当帖には、奥入はない。その代わりに引き歌を指摘した付箋が二枚貼付されている。また朱の合点も二ケ所打たれている。なお本文は定家自筆ではなく定家風の書跡である。定家監修のもとに書写された一帖であろう。
人知れぬ、御心づからのもの思はしさは、いつとなきことなめれど、かくおほかたの世につけてさへ、わづらはしう思し乱るることのみまされば、もの心細く、世の中なべて厭はしう思しならるるに、さすがなること多かり。
麗景殿と聞こえしは、宮たちもおはせず、院隠れさせたまひて後、いよいよあはれなる御ありさまを、ただこの大将殿の御心にもて隠されて、過ぐしたまふなるべし。
御おとうとの三の君、内裏わたりにてはかなうほのめきたまひしなごりの、例の御心なれば、さすがに忘れも果てたまはず、わざとももてなしたまはぬに、人の御心をのみ尽くし果てたまふべかめるをも、このごろ残ることなく思し乱るる世のあはれのくさはひには、思ひ出でたまふには、忍びがたくて、五月雨の空めづらしく晴れたる雲間に渡りたまふ。
何ばかりの御よそひなく、うちやつして、御前などもなく、忍びて、中川のほどおはし過ぐるに、ささやかなる家の、木立などよしばめるに、よく鳴る琴を、あづまに調べて、掻き合はせ、にぎははしく弾きなすなり。
御耳とまりて、門近なる所なれば、すこしさし出でて見入れたまへば、大きなる桂の木の追ひ風に、祭のころ思し出でられて、そこはかとなくけはひをかしきを、「ただ一目見たまひし宿りなり」と見たまふ。ただならず、「ほど経にける、おぼめかしくや」と、つつましけれど、過ぎがてにやすらひたまふ、折しも、ほととぎす鳴きて渡る。もよほしきこえ顔なれば、御車おし返させて、例の、惟光入れたまふ。
「をちかへりえぞ忍ばれぬほととぎす
ほの語らひし宿の垣根に」
寝殿とおぼしき屋の西の妻に人びとゐたり。先々も聞きし声なれば、声づくりけしきとりて、御消息聞こゆ。若やかなるけしきどもして、おぼめくなるべし。
「ほととぎす言問ふ声はそれなれど
あなおぼつかな五月雨の空」
ことさらたどると見れば、
「よしよし、植ゑし垣根も」
とて出づるを、人知れぬ心には、ねたうもあはれにも思ひけり。
「さも、つつむべきことぞかし。ことわりにもあれば、さすがなり。かやうの際に、筑紫の五節が、らうたげなりしはや」
と、まづ思し出づ。
いかなるにつけても、御心の暇なく苦しげなり。年月を経ても、なほかやうに、見しあたり、情け過ぐしたまはぬにしも、なかなか、あまたの人のもの思ひぐさなり。
かの本意の所は、思しやりつるもしるく、人目なく、静かにておはするありさまを見たまふも、いとあはれなり。まづ、女御の御方にて、昔の御物語など聞こえたまふに、夜更けにけり。
二十日の月さし出づるほどに、いとど木高き蔭ども木暗く見えわたりて、近き橘の薫りなつかしく匂ひて、女御の御けはひ、ねびにたれど、あくまで用意あり、あてにらうたげなり。
「すぐれてはなやかなる御おぼえこそなかりしかど、むつましうなつかしき方には思したりしものを」
など、思ひ出できこえたまふにつけても、昔のことかきつらね思されて、うち泣きたまふ。
ほととぎす、ありつる垣根のにや、同じ声にうち鳴く。「慕ひ来にけるよ」と、思さるるほども、艶なりかし。「いかに知りてか」など、忍びやかにうち誦んじたまふ。
「橘の香をなつかしみほととぎす
花散る里をたづねてぞとふ
いにしへの忘れがたき慰めには、なほ参りはべりぬべかりけり。こよなうこそ、紛るることも、数添ふこともはべりけれ。おほかたの世に従ふものなれば、昔語もかきくづすべき人少なうなりゆくを、まして、つれづれも紛れなく思さるらむ」
と聞こえたまふに、いとさらなる世なれど、ものをいとあはれに思し続けたる御けしきの浅からぬも、人の御さまからにや、多くあはれぞ添ひにける。
「人目なく荒れたる宿は橘の
花こそ軒のつまとなりけれ」
とばかりのたまへる、「さはいへど、人にはいとことなりけり」と、思し比べらる。
西面には、わざとなく、忍びやかにうち振る舞ひたまひて、覗きたまへるも、めづらしきに添へて、世に目なれぬ御さまなれば、つらさも忘れぬべし。何やかやと、例の、なつかしく語らひたまふも、思さぬことにあらざるべし。
かりにも見たまふかぎりは、おしなべての際にはあらず、さまざまにつけて、いふかひなしと思さるるはなければにや、憎げなく、我も人も情けを交はしつつ、過ぐしたまふなりけり。それをあいなしと思ふ人は、とにかくに変はるも、「ことわりの、世のさが」と、思ひなしたまふ。ありつる垣根も、さやうにて、ありさま変はりにたるあたりなりけり。