明石の君(明石、明石の御方、あるいは読者呼称・明石の上)の和歌全22首(贈6、答12、独詠2、唱和2)。
相手内訳:源氏13、明石尼君(母)2.2、独詠2、明石姫君(娘)1.1、明石姫君乳母・紫上1、明石入道(父)0.1。唱和を0.1とした。
明石の君の歌の特徴の第一として、源氏との歌が13首で、源氏のヒロインとして紫上(16/23首)に続くツートップ的存在となること。それで明石の上という読者呼称もあると思うが、上は紫にしかつかない。
第二に、それ以外ほぼ全て家族との歌であること。言わば家庭的なタイプ。
初出の明石巻が6首で最も厚く(紫上は若紫でも1首)、物語が進むにつれて(都での話が進むにつれ)目立たなくなる。
須磨・明石(48首・30首)は物語中和歌が最も厚い山場の部分で明石の君はその中心人物であるから、彼女にまつわる歌は著者なりの王道の、つまり古典的恋歌と言える。
すなわち、古事記・万葉・竹取・伊勢(初冠・筒井筒・東下り)以来、田舎での恋愛物語そして離別の歌。「王朝和歌」という何となく平安時代を指す概念があるが、そもそも王朝自体、元来日本の概念ではない。それに和歌をつけるのは日本ラーメンというほど妙。つまり「王朝和歌」自体が今めいた概念。古の理解を欠いた状態が今めき。
最後に、澪標巻における源氏から明石への歌「みをつくし恋ふるしるしにここまでもめぐり逢ひけるえには深しな」という紫式部集1の枕詞「めぐり逢ひ」が出てくる。
原文 (定家本) |
現代語訳 (渋谷栄一) |
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明石 6/30首 |
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227 答 |
思ふらむ 心のほどや やよいかに まだ見ぬ人の 聞きか悩まむ |
〔源氏→〕思って下さるとおっしゃいますが、その真意はいかがなものでしょうか まだ見たこともない方が噂だけで悩むということがあるのでしょうか |
230 答 |
明けぬ夜に やがて惑へる 心には いづれを夢と わきて語らむ |
〔源氏→〕闇の夜にそのまま迷っておりますわたしには どちらが夢か現実かと区別してお話し相手になれましょう |
234 答 |
かきつめて 海人のたく藻の 思ひにも 今はかひなき 恨みだにせじ |
〔源氏→〕あれこれと何とも悲しい気持ちでいっぱいですが 今は申しても甲斐のないことですから、お恨みはいたしません |
235 贈 |
なほざりに 頼め置くめる 一ことを 尽きせぬ音にや かけて偲ばむ |
〔源氏←〕軽いお気持ちでおっしゃるお言葉でしょうが その一言を悲しくて泣きながら心にかけて、お偲び申します |
238 答 |
年経つる 苫屋も荒れて 憂き波の 返る方にや 身をたぐへまし |
〔源氏→〕長年住みなれたこの苫屋も、あなた様が立ち去った後は荒れはてて つらい思いをしましょうから、いっそ打ち返す波に身を投げてしまおうかしら |
239 贈 |
寄る波に 立ちかさねたる 旅衣 しほどけしとや 人の厭はむ |
〔源氏←〕ご用意致しました旅のご装束は寄る波の 涙に濡れていまので、お厭いになられましょうか |
澪標(みおつくし) 3/17首 |
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251 答 |
ひとりして 撫づるは袖の ほどなきに 覆ふばかりの 蔭をしぞ待つ |
〔源氏→〕わたし一人で姫君をお世話するには行き届きませんので 大きなご加護を期待しております |
255 答 |
数ならぬ み島隠れに 鳴く鶴を 今日もいかにと 問ふ人ぞなき |
〔源氏→〕人数に入らないわたしのもとで育つわが子を 今日の五十日の祝いはどうしているかと尋ねてくれる人は他にいません |
261 答 |
数ならで 難波のことも かひなきに などみをつくし 思ひそめけむ |
〔源氏→〕とるに足らない身の上で、何もかもあきらめておりましたのに どうして身を尽くしてまでお慕い申し上げることになったのでしょう |
松風(まつかぜ) 4/16首 |
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285唱 |
いきてまた あひ見むことを いつとてか 限りも知らぬ 世をば頼まむ |
〔明石入道+明石尼君+明石〕京へ行って生きて再びお会いできることをいつと思って 限りも分からない寿命を頼りにできましょうか |
287 答 |
いくかへり 行きかふ秋を 過ぐしつつ 浮木に乗りて われ帰るらむ |
〔明石尼君→〕何年も秋を過ごし過ごしして来たが 頼りない舟に乗って都に帰って行くのでしょう |
289 答 |
故里に 見し世の友を 恋ひわびて さへづることを 誰れか分くらむ |
〔明石尼君→〕故里で昔親しんだ人を恋い慕って弾く 田舎びた琴の音を誰が分かってくれようか |
293 答 |
変はらじと 契りしことを 頼みにて 松の響きに 音を添へしかな |
〔源氏→〕変わらないと約束なさったことを頼みとして 松風の音に泣く声を添えて待っていました |
薄雲(うすぐも) 3/10首 |
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299 贈 |
雪深み 深山の道は 晴れずとも なほ文かよへ 跡絶えずして |
〔乳母=宣旨の娘:明石姫君乳母(全集)←〕 雪が深いので奥深い山里への道は通れなくなろうとも どうか手紙だけはください、跡の絶えないように |
301 贈 |
末遠き 二葉の松に 引き別れ いつか木高き かげを見るべき |
〔源氏←〕幼い姫君にお別れしていつになったら 立派に成長した姿を見ることができるのでしょう |
307 贈 |
漁りせし 影忘られぬ 篝火は 身の浮舟や 慕ひ来にけむ |
〔源氏←〕あの明石の浦の漁り火が思い出されますのは わが身の憂さを追ってここまでやって来たのでしょうか |
初音 2/6首 |
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354 贈 |
年月を 松にひかれて 経る人に 今日鴬の 初音聞かせよ |
〔明石姫君←〕長い年月を子どもの成長を待ち続けていました わたしに今日はその初音を聞かせてください |
356 独 |
めづらしや 花のねぐらに 木づたひて 谷の古巣を 訪へる鴬 |
何と珍しいことか、花の御殿に住んでいる鴬が 谷の古巣を訪ねてくれたとは |
野分(のわき) 1/4首 |
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386 独 |
おほかたに 荻の葉過ぐる 風の音も 憂き身ひとつに しむ心地して |
ただ普通に荻の葉の上を通り過ぎて行く風の音も つらいわが身だけにはしみいるような気がして |
若菜上 1/24首 |
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477 唱 |
世を捨てて 明石の浦に 住む人も 心の闇は はるけしもせじ |
〔明石尼君+明石+明石姫君〕出家して明石の浦に住んでいる父入道も 子を思う心の闇は晴れることもないでしょう |
御法(みのり) 1/12首 |
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553 答 |
薪こる 思ひは今日を 初めにて この世に願ふ 法ぞはるけき |
〔紫上→〕仏道【行者の道→逝く道】へのお思いは今日を初めの日として この世で願う【皆で会える法会も末永く続くことでしょう】仏法のために千年も祈り続けられることでしょう |
幻 1/26首 |
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570 答 |
雁がゐし 苗代水の 絶えしより 映りし花の 影をだに見ず |
〔源氏→〕雁がいた苗代水がなくなってからは そこに映っていた花の影さえ見ることができません |