和歌の配置から裏付ける桐壺後挿入論

    源氏物語
桐壺
後挿入論
桐壺全文

概要:技巧的配置+女性先頭独詠的贈歌

 

 

 桐壺巻は従来、次巻・帚木との連続性が薄いことが指摘され、池田亀鑑等の学界を代表する学者や与謝野晶子等から後挿入説が唱えられてきた。

 

 ここでは、そうした従来の論考が、和歌の配置から客観的に裏付けられること、そうした先例もあることの意義を独自に論じる。

 

 即ち、

  1.  物語の肝心の要素となる和歌で、贈答をまたぐ贈答という、他には物語終盤の浮舟巻に一例しか存在しない極めて技巧的な(全く通例ではない)配置が、祖母北の方と桐壺帝という、いわば脇役の間に採用されていること(この点、序盤の末摘花巻で贈答最中に独詠を挟む一例があるが、桐壺巻のように贈答を挟むものではない。しかも源氏による変則)。
  2.  また桐壺巻の先頭歌は桐壺更衣の独詠的贈歌(贈歌なのに返事がない和歌。このような独詠的贈歌は全体の5%程度で、女性に限ると更に少ない)、それが巻冒頭に来るのは物語終盤の浮舟巻のみ)。
  3.  さらに桐壺更衣の先頭歌(限りとて)は、源氏完成後の作とされる紫式部集の先頭歌(めぐり逢ひて)と同じく女性からの一方的離別歌であること。
  4.  他方で、帚木巻以降は上記のような顕著な特性はなく、男性からの典型的贈答及び、典型的対句が続いている。先頭歌が続く歌と対句になっていないのは、桐壺巻の他は、花宴・葵・松風・若菜下・宿木の五巻のみ(一首のみの匂兵部卿・夢浮橋を含めると七巻)で、先頭歌は対句であるのが八~九割であるから、そうなってない場合は強い意図があると考えるべきであり、上述した技巧的配置を合わせると、対句欠落が先頭に来ることが無作為であると考えることは全くできず、むしろ一層強い作為的配置を裏付け、その作為に見られる性質(女性先頭・独詠的贈歌・離別)は、物語終盤及び物語執筆以後とされる紫式部集先頭歌と通じるものである(なお通説は式部集1を同性への歌とするが、それははようより童友だち=同性という教室的思い込みによるのが理論的根拠の全て)。

 

 以上から、本来は典型的・伝統的な男本位目線の帚木巻(女の品定めから始まる)が先頭であったところ、少なくとも浮舟巻を記した以降、物語を一通り書き終えた後で、桐壺巻を記し先頭に据えたと見るべきものである。

 

先例:古事記(遡及的序)+大和物語(女性先頭)

 

 これまで記した内容を網羅的に説明したものとして、古事記の「上卷并序(上巻、序あわせたり。原文語順に注意)」として冒頭に配置する例がある。この場合も中身が明らかに後に書かれた内容だからといって、後に配置するのは著者の本意ではない。古事記ではそれが明示的に表現されている。

 

 本物語では「序」という明示はないが、桐壺が後から書かれたことを前提にした場合、それをどこに配置するかについての著者の本意は、写本総体及び、物語の全記述をもって判定すべきものである(しかるにこの点が文献学説に理解困難なところで、同時期の枕草子の写本理論で混乱をきたしており、安易に作者を別々と考えるから説明がつかなくなる。源氏でも必然なく第三部の作者を娘と想定すべきではない)。

 

 また、女性の先頭歌は、現状確認できる限り『大和物語』が最初であり、この点の重要性を認識する説は2024年7月現在ないと思われるが、これは桐壺巻の「亭子院の描かせたまひて、伊勢、貫之に詠ませたまへる、大和言の葉をも」という表現によって、象徴的にその重要性が表現されたと解すべきである。というのも、大和物語は亭子院の話を中核にしたもので、伊勢の御の和歌から物語が始まるのであるから(貫之も明示的に一段だけ出てくる)。

 

意義:伝説の説明+女性本位目線

 

 桐壺以外の巻で母桐壺の言及は、唯一12巻の須磨で「母君に語らふやう、桐壺の更衣の御腹の源氏の光る君こそ、朝廷の御かしこまりにて須磨の浦にものしたまふなれ」という説明調のものがある。ここではヒロイン通例の「かの」桐壺という表現がないが、一連の表現自体で「かの」の意味を表現している。つまり更衣腹なのに地方に流れても特別扱いという。こうして、とりたてて説明するタイミングもなかった内容を説明したのが桐壺巻と解する。

 

 また桐壺巻のとってつけたような最後(光る君といふ名は、高麗人のめできこえてつけたてまつりけるとぞ、言ひ伝へたるとなむ)は、それを裏付けるものと言えるだろうが、こういう点は既に論じられてきたと思う。

 

 以上の観点を包括すると、光る君・光る源氏の物語は、男性のための存在ではなく、女性のための存在と言え、それを最終的な配置として固めたことに、この桐壺巻の象徴的な意義がある。