源氏物語1帖 桐壺 3-3a そのころ高麗人の:逐語対訳

女皇女たち 桐壺
第3章
3a
高麗人
博士
原文
定家本
明融臨模本
現代語訳
(渋谷栄一)
各自要検討
注釈
【渋谷栄一】
各自要検討
そのころ、 その当時、 【そのころ】
:若宮七歳、学問を始めたころ。
高麗人の参れる中に、 高麗人が来朝していた中に、 【高麗人】
:高麗人(こまうど)。実際は渤海国の使節。
かしこき相人ありけるを聞こし召して、 優れた人相見がいたのをお聞きあそばして、 【聞こし召して】
:帝が「お耳にあそばして」。
宮の内に召さむことは、 内裏の内に召し入れることは、 【宮の内に召さむことは宇多の帝の御誡めあれば】
:『寛平御遺誡』に「外蕃之人、必可召見、在簾中見之、不可直対耳」<外蕃の人は、必ず召見すべきときは、簾中に在りて之を見よ、直対すべからざるのみ>とあるのをさす。正しくは、「宮の内」に召すことを禁じたのではなく、御簾を隔てず直接対面することを禁じたのである。
宇多の帝の御誡め(奥入04)あれば、 宇多帝の御遺誡があるので、  
いみじう忍びて、 たいそう人目を忍んで、  
この御子を鴻臚館に遣はしたり。 この御子を鴻臚館にお遣わしになった。 【鴻臚館】
:外国使節の宿泊施設。七条朱雀にある。
     
御後見だちて仕うまつる右大弁の子のやうに思はせて率てたてまつるに、 後見役のようにしてお仕えする右大弁の子供のように思わせてお連れ申し上げると、 【御後見だちて仕うまつる右大弁の子のやうに】
:「御後見だちて仕うまつる」は「右大弁」を修飾する。
「御子の御後見役としてお仕えしている右大弁」の意。右大弁は、太政官の三等官、従四位上相当。漢学に秀で実務にたけた者がなる。そのような右大弁が若宮の実質的後見役に任じられている。高麗人には、その右大弁の子供のように思わせての意。もちろん、高麗人は右大弁が御子の御後見役であることは知らない。物語の文章は、享受者には予め知らせておき、いっぽう物語中の人物は知らないでいることを並行して語ろうとする時、ままこのような表現をとることになる。
相人驚きて、 人相見は目を見張って、  
あまたたび傾きあやしぶ。 何度も首を傾け不思議がる。  
     
〔高麗人の相人〕
「国の親となりて、
〔高麗人の相人〕
「国の親となって、
【国の親となりて】
:以下「またその相違ふべし」まで、相人の占い。
「国の親」は国の元首、日本国の場合、天皇をさす。
帝王の上なき位に昇るべき相おはします人の、 帝王の最高の地位につくはずの相をお持ちでいらっしゃる方で、 「帝王の上なき位」の「の」は同格。
「帝王としてこれ以上ない上の位」。
「べき」(推量の助動詞、当然)、「きっと上るはずの相」。
「おはします人の」の「の」も同格。
「--でいらっしゃる方で」。
そなたにて見れば、 そういう人として占うと、 「そなたにて見れば」の「そなた」は今まで見てきた「国の親となりて帝王の上なき位にのぼるべき相おはします人」をさす。
「見れば」は順接の確定条件を表わす。
「占ってみると」。
乱れ憂ふることやあらむ。 国が乱れ民の憂えることが起こるかも知れません。 【乱れ憂ふることやあらむ】
:「乱れ憂ふること」は、若宮の一身上に起こる乱れ憂え事とする説(対校、大系)と国家が乱れ人民が苦しむこととする説(講話、集成、完訳)がある。
     
朝廷の重鎮となりて、 朝廷の重鎮となって、 【朝廷の重鎮となりて天の下を輔くる方にて見れば】
:朝廷の柱石となって国政を補佐する人とは、臣下の重鎮の人。皇族は補佐される側の人である。
「見れば」は順接の既定条件。
「またその相違ふべし」の「また」は「前者同様に」の意。
「その相」とは「朝廷の重鎮となりて、天の下を輔くる方」の相、「べし」(推量の助動詞、当然)、「きっと--であろう」。結局、相人は二通り観相したが、両方とも違うと否定した。
天の下を輔くる方にて見れば、 政治を補佐する人として占うと、  
またその相違ふべし」と言ふ。 またその相ではないようです」と言う。  
女皇女たち 桐壺
第3章
3a
高麗人
博士