源氏物語1帖 桐壺 3-1b かの御祖母北の方:逐語対訳

月日経て 桐壺
第3章
1b
かの御祖母
今は内裏に
原文
定家本
明融臨模本
現代語訳
(渋谷栄一)
各自要検討
注釈
【渋谷栄一】
各自要検討
かの御祖母北の方、 あの祖母の北の方は、 【かの御祖母北の方慰む方なく思し沈みて】
:桐壺更衣の母北の方。娘の死以来気持ちの晴れることなく沈みこんで、の意。孫の若宮が東宮につけなかったことを悲観するような思慮の浅い人ではない。
慰む方なく思し沈みて、 悲しみを晴らすすべもなく沈んでいらっしゃって、 【慰む】
:気が紛れる。忘れられない気持ちを忘れさせること。
おはすらむ所にだに尋ね行かむと せめて死んだ娘のいらっしゃる所にでも尋ねて行きたいと 【おはすらむ所にだに尋ね行かむ】
:推量の助動詞「らむ」(連体形、視界外推量の意)副助詞「だに」(最小限を挙げて実現を願う意)せめて娘のいらっしゃるところにだけでも行きたい、すなわち死にたい、の意。
願ひたまひししるしにや、 願っておられた現れか、 【願ひたまひししるしにや】
:「し」(過去の助動詞)、「に」(断定の助動詞)「や」(係助詞、疑問)、北の方の身近で見ていた語り手の推測というニュアンス。
つひに亡せたまひぬれば、 とうとうお亡くなりになってしまったので、  
またこれを悲しび思すこと限りなし。 またこのことを悲しく思し召されること、 この上もない。 【またこれを悲しび思す】
:帝が北の方の死をお悲しみになること。
     
御子六つになりたまふ年なれば、 御子は六歳におなりの年齢なので、 【御子六つになりたまふ年なれば】
:若宮の六歳の年、祖母北の方死去する。
このたびは思し知りて恋ひ泣きたまふ。 今度はお分かりになって恋い慕ってお泣きになる。 【このたびは思し知りて】
:母親の死去した折は、まだ幼くて理解できなかったが、祖母の死去は六歳になっていたので、死の悲しみを理解した。
     
年ごろ馴れ睦びきこえたまひつるを、 長年お親しみ申し上げなさってきたのに、 【年ごろ馴れ睦びきこえたまひつるを見たてまつり置く悲しびをなむ返す返すのたまひける】
:「たまひつるを」の「を」は接続助詞、逆接の意。謙譲の補助動詞「きこえ」と「たてまつり」は祖母が孫の若宮に対する敬意。祖母北の方が孫の若宮に「長年お親しみ申し上げていらしたのに、後にお残し申す悲しみを、繰り返し繰り返しおっしゃるのであった」という意。
見たてまつり置く悲しびをなむ、 後に残して先立つ悲しみを、  
返す返すのたまひける。 繰り返し繰り返しおっしゃっていたのであった。  
月日経て 桐壺
第3章
1b
かの御祖母
今は内裏に