原文 定家本 明融臨模本 |
現代語訳 (渋谷栄一) 各自要検討 |
注釈 【渋谷栄一】 各自要検討 |
---|---|---|
月日経て、 若宮参りたまひぬ。 |
月日がたって、 若宮が参内なさった。 |
【月日経て若宮参りたまひぬ】 :その年の冬ころか。 |
いとどこの世のものならず清らにおよすげたまへれば、 | ますますこの世の人とは思われず美しくご成長なさっているので、 |
【およすげ】 :「およすけ」と読む説(集成、古典セレクション等)と「およすげ」と読む説(完訳、新大系)がある(第一章第三節、参照)。 |
いとゆゆしう思したり。 | たいへん不吉なまでにお感じになった。 | |
明くる年の春、 | 翌年の春に、 |
【明くる年の春坊定まりたまふにも】 :若宮の母更衣が亡くなった翌年の春、源氏四歳。 |
坊定まりたまふにも、 | 東宮がお決まりになる折にも、 | |
いと引き越さまほしう思せど、 | とても第一皇子を超えさせたく思し召されたが、 |
【いと引き越さまほしう思せど】 :帝は第一皇子を超えて第二皇子の若宮を春宮(皇太子)に立てたく思った、という地の文。 |
御後見すべき人もなく、 | ご後見すべき人もなく、 | |
また世のうけひくまじきことなりければ、 | また世間が承知するはずもないことだったので、 | |
なかなか危く思し憚りて、 | かえって危険であるとお差し控えになって、 | |
色にも出ださせたまはずなりぬるを、 | 顔色にもお出しあそばされずに終わったので、 | |
「さばかり思したれど、 | 「あれほどおかわいがりになっていらっしゃったが、 |
【さばかり思したれど限りこそありけれ】 :世間の人びとの声。過去の助動詞「けれ」詠嘆の意。 |
限りこそありけれ」と、 | 限界があったのだなあ」と、 | |
世人も聞こえ、 | 世間の人びともお噂申し上げ、 |
【世人】 :明融臨模本に「の口伝」とあり、大島本には「のもしをそへてよむ也 世人後宇多御諱」とある。後宇多天皇は、諱は世仁、亀山天皇の第二子、在位1284~87年。天皇の諱を避けて「よのひと」と読んでいた。明融臨模本及び大島本の書入注記の時代が窺える。 |
女御も御心落ちゐたまひぬ。 | 弘徽殿女御もお心を落ち着けなさった。 |
【女御も御心落ちゐたまひぬ】 :弘徽殿女御は自分の生んだ第一皇子が春宮に決まったので、安堵した。 |