源氏物語1帖 桐壺 3-1a 月日経て若宮参り:逐語対訳

ものなども 桐壺
第3章
1a
月日経て
かの御祖母
原文
定家本
明融臨模本
現代語訳
(渋谷栄一)
各自要検討
注釈
【渋谷栄一】
各自要検討
月日経て、
若宮参りたまひぬ。
月日がたって、
若宮が参内なさった。
【月日経て若宮参りたまひぬ】
:その年の冬ころか。
     
いとどこの世のものならず清らにおよすげたまへれば、 ますますこの世の人とは思われず美しくご成長なさっているので、 【およすげ】
:「およすけ」と読む説(集成、古典セレクション等)と「およすげ」と読む説(完訳、新大系)がある(第一章第三節、参照)。
いとゆゆしう思したり。 たいへん不吉なまでにお感じになった。  
     
明くる年の春、 翌年の春に、 【明くる年の春坊定まりたまふにも】
:若宮の母更衣が亡くなった翌年の春、源氏四歳。
坊定まりたまふにも、 東宮がお決まりになる折にも、  
いと引き越さまほしう思せど、 とても第一皇子を超えさせたく思し召されたが、 【いと引き越さまほしう思せど】
:帝は第一皇子を超えて第二皇子の若宮を春宮(皇太子)に立てたく思った、という地の文。
御後見すべき人もなく、 ご後見すべき人もなく、  
また世のうけひくまじきことなりければ、 また世間が承知するはずもないことだったので、  
なかなか危く思し憚りて、 かえって危険であるとお差し控えになって、  
色にも出ださせたまはずなりぬるを、 顔色にもお出しあそばされずに終わったので、  
「さばかり思したれど、 「あれほどおかわいがりになっていらっしゃったが、 【さばかり思したれど限りこそありけれ】
:世間の人びとの声。過去の助動詞「けれ」詠嘆の意。
限りこそありけれ」と、 限界があったのだなあ」と、  
世人も聞こえ、 世間の人びともお噂申し上げ、 【世人】
:明融臨模本に「の口伝」とあり、大島本には「のもしをそへてよむ也 世人後宇多御諱」とある。後宇多天皇は、諱は世仁、亀山天皇の第二子、在位1284~87年。天皇の諱を避けて「よのひと」と読んでいた。明融臨模本及び大島本の書入注記の時代が窺える。
女御も御心落ちゐたまひぬ。 弘徽殿女御もお心を落ち着けなさった。 【女御も御心落ちゐたまひぬ】
:弘徽殿女御は自分の生んだ第一皇子が春宮に決まったので、安堵した。
ものなども 桐壺
第3章
1a
月日経て
かの御祖母