源氏物語1帖 桐壺 2-3e 絵に描ける楊貴妃の~大液芙蓉:逐語対訳

尋ねゆく幻 桐壺
第2章
3e
楊貴妃の
風の音
原文
定家本
明融臨模本
現代語訳
(渋谷栄一)
各自要検討
注釈
【渋谷栄一】
各自要検討
絵に描ける
楊貴妃の
容貌は、
絵に描いてある
楊貴妃の
容貌は、
【絵に描ける】
:以下「よそふべき方ぞなき」まで帝の心内文と地の文とが融合したような性格の文章である。したがって、過去の助動詞「し」が二度使用されている。ここに示される感想や価値判断は帝の眼を通して語られたものである。
いみじき
絵師と
いへども、
上手な
絵師と
言っても、
 
筆限り
ありければ
いと
にほひ
少なし。
筆力には限界が
あったので
まったく
生気が
少ない。
 
     
大液芙蓉
未央柳
(奥入01)
も、
「大液の芙蓉、
未央の柳」
の句
にも、
【大液芙蓉未央柳も】
:「長恨歌」に「大液芙蓉未央柳対此如何不涙垂」<大液の芙蓉未央の柳此に対ひて如何にしてか涙垂れざらむ>とあるのをふまえる。なお、『原中最秘抄』に「未央柳」について、藤原行成自筆本にはミセケチになっているという指摘がある。青表紙本系諸本にはすべて存在するが、河内本系諸本、別本の御物本、陽明文庫本、国冬本は「未央柳」の句がない。また『源氏釈』の一伝本の「源氏或抄物」所引の源氏物語の本文にもその句がない。
げに
通ひたりし
容貌を、
なるほど
似ていた
容貌だが、
【げに通ひたりし容貌を】
:過去の助動詞「し」は、帝が「長恨歌」の屏風絵の楊貴妃の顔形を見て、それが詩に「大液芙蓉未央柳」と歌われていたのによく似ていたというニュアンス。
「を」は逆接の接続助詞。
唐めいたる
装ひは
唐風の
装いをした姿は
【唐めいたる】
:以下「ありけめ」までを挿入句とみて、「通ひたりし容貌」は「なつかしう」以下に続くとみる説(完訳)もある。
うるはしう
こそ
ありけめ
(訂正跡04)、
端麗
では
あったろうが、
【うるはしうこそありけめ】
:過去推量の助動詞「けめ」は、実際の楊貴妃の姿を想像して「端麗であったろう」というのである。文脈は、楊貴妃の容貌から桐壺更衣の人柄へと比較され転じていくのであるから、逆接的な流れであるが、終止形とみてもよいだろう。
    【ありけめ】
:明融臨模本「ありけめありけめ」とあり、後出の「ありけめ」を細い斜線三本でその上からミセケチにする。親本に存在した訂正跡をそのまま書承したものと判断する。同様の訂正跡「思へき」に見られる。明らかな衍字の訂正。
なつかしう
らうたげ
なりしを
思し出づる
に、
慕わしさがあって
愛らし
かったのを
お思い出し
になると、
【なつかしうらうたげなりしを】
:以下桐壺更衣を思い出し比較する。過去の助動詞「し」は、帝が生前の桐壺更衣を思い出している。河内本系諸本には、「らうたけなりし」の下に「ありさまはをみなへしの風になひきたるよりもなよひてなてしこの露にぬれたるよりもらうたくなつかしかりしかたちけはひを」とあり、別本の陽明文庫本、国冬本も、同様の文章がある(若干の異同を含む)。
花鳥の
色にも
音にも
よそふべき
方ぞなき。
花や鳥の
色や
音にも
喩えよう
がない。
 
     
朝夕の言種に、 朝夕の口癖に 【朝夕の言種に】
:帝の日常生活の様子が挿入されて語られる。
「翼をならべ、
枝を交はさむ
(奥入02
・付箋⑥)」
「比翼の鳥となり、
連理の枝となろう」
【翼をならべ枝を交はさむと】
:「長恨歌」に「在天願作比翼鳥在地願為連理枝」<天に在らば願はくは比翼の鳥作らむ地に在らば願はくは連理の枝為らむ>とあるのをふまえる。ここから「尽きせず恨めしき」までも帝の心内文。
「言種」とあるのでむしろ詞文に近い。それと地の文が融合したような文章である。視点は帝の心と語り手の地の文とを融通無碍に行き来し、心境も一体化している。
と契らせたまひしに、 とお約束あそばしていたのに、  
かなはざりける命のほどぞ、 思うようにならなかった人の運命が、  
尽きせず恨めしき。 永遠に尽きることなく恨めしかった。 【尽きせず恨めしき】
:「長恨歌」に「此恨綿綿無絶期」<此の恨み綿綿として絶ゆる期無けむ>とあるのをふまえる。
尋ねゆく幻 桐壺
第2章
3e
楊貴妃の
風の音