源氏物語1帖 桐壺 2-3b いとこまやかに:逐語対訳

命婦は 桐壺
第2章
3b
こまやかに
故大納言の
原文
定家本
明融臨模本
現代語訳
(渋谷栄一)
各自要検討
注釈
【渋谷栄一】
各自要検討
いとこまやかにありさま問はせたまふ。 たいそう詳しく里の様子をお尋ねあそばされる。 【いとこまやかに】
:以下再び物語の現時点に戻って語る。
     
あはれなりつること忍びやかに奏す。 しみじみと感じられた趣きをひそかに奏上する。  
     
御返り御覧ずれば、 お返事を御覧になると、  
     
〔祖母北の方の文〕
「いともかしこきは置き所もはべらず。
〔祖母北の方の文〕
「たいへんに畏れ多いお手紙を頂戴いたしましてはどうしてよいか分かりません。
【いともかしこきは】
:以下和歌の「静心なき」まで北の方の文。
「かしこき」の下に「御手紙を賜りて」のような語句が省略されているとみてよい。
     
かかる仰せ言につけても、 このような仰せ言を拝見いたしましても、 【かかる仰せ言】
:前に「ほど経ばすこしうち紛るることもやと」から「小萩がもとを思ひこそやれ」とあった帝の手紙の文と和歌に示された、北の方に参内せよという言葉と若君を心配している内容をさす。
かきくらす乱り心地になむ。 親心の中はまっくら闇に思い乱れておりまして。  
     
荒き風ふせぎし蔭の 枯れしより  小萩がうへぞ 静心なき」 荒い風を防いでいた木が枯れてからは 小萩の身の上が気がかりでなりません」 【荒き風ふせぎし蔭の枯れしより小萩がうへぞ静心なき】
:北の方の返歌。帝の和歌にあった「風」「小萩」を詠み込んで返す。
「蔭」は母桐壺更衣、「小萩」は若宮をさす。
「ふせぎし蔭の枯れしより」とは母更衣の死をさすが、それ以後「静心なき」とは、父帝の存在を軽んじたと非難されかねない詠み方である。
「静心」は連語なので「しづごころ」と濁音で読む。『集成』『新大系』は清音「いづこころ」と読む。
     
などやうに乱りがはしきを、 などと言うようにやや不謹慎なのを、 【などやうに乱りがはしきを心をさめざりけるほどと御覧じ許すべし】
:『一葉集』は「乱りがはしきを」からを「草子のことは也」と指摘。『湖月抄』は「などやうに」からを「草子地」と指摘する。
「などやうに」という引用要約のしかたや「乱りがはし」という批評批判、そして「許すべし」という推量表現には、語り手の口調と意見が言い込められている。
心をさめざりけるほどと御覧じ許すべし。 気持ちが静まらない時だからとお見逃しになるのであろう。  
     
いとかうしも見えじと、 決してこう取り乱した姿を見せまいと、 【いとかうしも見えじと】
:「かう」は取り乱した姿をさす。
思し静むれど、 お静めなさるが、  
さらにえ忍びあへさせたまはず、 まったく堪えることがおできあそばされず、 【さらにえ忍びあへさせたまはず】
:副詞「さらに」は否定語「ず」と呼応して、「全然、決して、少しも--ない」の意を表す。副詞「え」は可能の意を表す。
御覧じ初めし年月のことさへかき集め、 初めてお召しあそばした年月のことまであれこれと思い出され、  
よろづに思し続けられて、 何から何まで自然とお思い続けられて、 【思し続けられて】
:「られ」自発の助動詞。自然と思い浮かんできて、の意。
「時の間もおぼつかなかりしを、 「片時の間も離れてはいられなかったのに、 【時の間も】
:以下「月日は経にけり」まで帝の心。
「時の間」は片時の間、「おぼつかなかりし」は気掛かりであった、の意で、その間に「見ずには」などの語句が省略されている。過去助動詞「し」(連体形)は帝の過去の体験、過去の助動詞「けり」は詠嘆の意。
かくても月日は経にけり」と、 よくこうも月日を過せたものだ」と、 【かくても】
:更衣が亡くなった後をさす。
あさましう思し召さる。 あきれてお思いあそばされる。  
命婦は 桐壺
第2章
3b
こまやかに
故大納言の