源氏物語1帖 桐壺 2-2j 月は入り方の:逐語対訳

主上もしか 桐壺
第2章
2j
月は入り方
若き人びと
原文
定家本
明融臨模本
現代語訳
(渋谷栄一)
各自要検討
注釈
【渋谷栄一】
各自要検討
月は入り方の、 月は入り方で、 【月は入り方の空清う澄みわたれるに】
:「月は入り方」の格助詞「の」は、同格を表し、ここで一呼吸おいて読むのが正しいのだろうが、最初音読した折には「入り方の空」というような連続した文章の印象を与えることも無視できない。ここの「の」には同格と時間の意の二重の表現性がある。接続助詞「に」は添加の意。なお大島本「月はいりかたに」とある。独自異文である。
「夕月夜のをかしき程に」「夜更けぬべし」「夜も更けぬ」そして「月は入り方の」というように時間の経過が語られている。
空清う澄みわたれるに、 空が清く澄みわたっているうえに、  
風いと涼しくなりて、 風がとても涼しくなって、  
草むらの虫の声ごゑもよほし顔なるも、 草むらの虫の声ごえが、 【虫の声ごゑもよほし顔なるも】
:擬人法である。
「もよほす」の目的語は「涙」を。
いと立ち離れにくき草のもとなり。 涙を誘わせるようなのも、  
  まことに立ち去りがたい庭の風情である。  
     
     
〔靫負命婦〕
「鈴虫の
 声の限りを
 尽くしても
 長き夜あかず
 ふる涙かな」
〔靫負命婦〕
「鈴虫が
声を
せいいっぱい鳴き振るわせても
長い秋の夜を尽きることなく
流れる涙でございますこと」
【鈴虫の声の限りを尽くしても長き夜あかずふる涙かな】
:命婦の歌。
「ふる」は「振る」と「降る」との掛詞。
「振る」は「鈴虫」の「鈴」と縁語。なお、「鈴虫」は今の「松虫」。虫の声そのものよりも、「ふる(涙を流しながらずっと暮して来た)」という語句を呼び起こすために、その縁語である「鈴」すなわち「鈴虫」が出てくる、という小道具の使われ方なのである。
     
えも乗りやらず。 お車に乗りかねている。 【えも乗りやらず】
:副詞「え」は否定語「ず」(打消し助動詞)と呼応して不可能の意を表す。補助動詞「やる」は下に否定語を伴って、「--しきれない」の意を表す。
     
〔祖母北の方〕
「いとどしく
 虫の音しげき
 浅茅生に
 露置き添ふる
 雲の上人
〔祖母北の方〕
「ただでさえ
虫の音のように泣き暮らしておりました
荒れ宿に
さらに涙をもたらします
内裏からのお使い人よ
【いとどしく虫の音しげき浅茅生に露置き添ふる雲の上人】
:北の方の返歌。相手の歌の語の「鈴虫」を「虫」、「声」を「音」、「涙」を「露」と言い替えて詠み返す。
「雲の上人」とは命婦をいう。『紫明抄』は「五月雨に濡れし袖にいとどしく露置き添ふる秋のわびしさ」(後撰集秋中、二七七 、近衛更衣)を指摘。『全集』は「わが宿や雲の中にも思ふらむ雨も涙もふりにこそ降れ」(伊勢集)も指摘する。
     
かごとも聞こえつべくなむ」 恨み言もつい申し上げてしまいそうで」 【かごと】
:「カコト [Cacoto] カゴト [Cagoto]」(日葡辞書)「カゴト [Cagoto] 仮初ノ事」(日葡辞書補遺)。
「かごと」(古典セレクション等)「かこと」(集成・新大系等)両方ある。恨み言、愚痴の意。
と言はせたまふ。 と言わせなさる。 【言はせたまふ】
:「せ」(使役の助動詞)、北の方が女房をして、「言わせなさる」意。使者は帰参のため座をたち車の方に移動しかけている。
     
をかしき御贈り物などあるべき折にもあらねば、 趣きのあるようなお贈物などあらねばならない時でもないので、  
ただかの御形見にとて、 ただ亡き更衣のお形見にと思って、  
かかる用もやと残したまへりける御装束一領、 このような入用もあろうかとお残しになっていたご衣装一揃いに、  
御髪上げの お髪上げの 【御髪上げ】
:明融臨模本の傍注に「ミ」とあるので「みぐしあげ」と読む。
調度めく物添へたまふ。 調度のような物をお添えになる。 【調度めく物添へたまふ】
:「調度」は「てうど」(古典セレクション・新大系等)、「でうど」(集成)。
「古くは「でうど」、色葉字類抄の雑物類に「調」「度」ともに濁点があり「畳字」の部には「調」に清、「度」に濁の点があって清濁は定まらない。あるいは呉音デウから漢音テウへの推移という一般的傾向を反映した現象(漢音読みのときの「度」は連濁)かと思われるが定かでない」(小学館古語大辞典)。命婦は形見の品を受け取って、ここで辞去した。
主上もしか 桐壺
第2章
2j
月は入り方
若き人びと