原文 定家本 明融臨模本 |
現代語訳 (渋谷栄一) 各自要検討 |
注釈 【渋谷栄一】 各自要検討 |
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生まれし時より、 | 生まれた時から、 |
【生まれし時より】 :以下、更衣の宮仕えの理由を語る。 |
思ふ心ありし人にて、 | 心中に期待するところのあった人で、 |
【思ふ心ありし人にて】 :望みをかけていた娘で、の意。具体的に当時における娘をもった親の望みといえば、宮中に入内させて、寵愛をうけて御子をもうけ、帝や皇室との関係をいっそう深め、家門一族の繁栄につながることを願うこと。 |
故大納言、 いまは となるまで、 |
亡き夫の大納言が、 臨終の際 となるまで、 |
【故大納言】 :この巻では、「大納言」としか呼称されていない。後の「須磨」巻で、明石入道の口から叔父の「按察使大納言」という紹介がなされる。大納言の兄は、大臣であったという。この巻を読むかぎりでは、大納言の娘として入内すれば、更衣から始まって、女御、さらにあわよくば、父が健在で大臣の地位にまで上れば、中宮という可能性も開けてこよう、という家柄。 |
『ただこの人の宮仕への本意、 かならず遂げさせたてまつれ。 我れ亡くなりぬとて、 口惜しう思ひくづほるな』 |
『ともかく、 わが娘の宮仕えの宿願を、 きっと実現させて上げなさい。 わたしが亡くなったからといって、 落胆して挫けてはならぬ』 |
【ただこの人の宮仕への本意かならず遂げさせたてまつれ我れ亡くなりぬとて口惜しう思ひくづほるな】 :故大納言の北の方に対する遺言の内容。副詞「ただ」は命令や意志を表す語句と呼応して、「何でもいいから」「ともかく」の意を表す。『集成』『新大系』は「ただ」以下を故大納言の遺言とする。一方『古典セレクション』では「ただ」を「と返す返す諌めおかれはべりしかば」に係る語と解して「この人の」以下を故大納言の遺言とする。入内(結婚)を「宮仕え」という。 「この人の宮仕えの本意」とは、娘自身の意志ではなく、父大納言の意志、宿願である。 「させ」(使役の助動詞、娘をして)「たてまつれ」(謙譲の補助動詞、命令形)。 |
と、 | と、 | |
返す返す諌めおかれはべりしかば、 | 繰り返し戒め遺かれましたので、 | |
はかばかしう後見思ふ人(訂正跡02)もなき交じらひは、 なかなかなるべきことと思ひたまへながら、 |
これといった後見人のない宮仕え生活は、 かえってしないほうがましだと存じながらも、 |
【後見思ふ人】 :明融臨模本の本行本文には「ゝしろみ思へき人」とあり、「へき」をやや細めの斜線二本で上からミセケチにする。後人のミセケチと考えられる他のミセケチが文字の左側に「ヒ」とあるのとは方法を異にする。大島本には「うしろみ思ふ人」とある。よって、ここは明融臨模本の親本(定家本)の書本には「へき」があったのだが、定家はそれをミセケチにしたものと推測する。明融臨模本では定家の校訂跡をそのままに書承したものと判断し、「へき」を削除する。 |
ただかの遺言を違へじとばかりに、 | ただあの遺言に背くまいとばかりに、 | |
出だし立てはべりしを、 | 出仕させましたところ、 | |
身に余るまでの御心ざしの、 | 身に余るほどのお情けが、 | |
よろづにかたじけなきに、 | いろいろともったいないので、 | |
人げなき恥を隠しつつ、 | 人にあるまじき恥を隠し隠ししては、 | |
交じらひたまふめりつるを、 | 宮仕え生活をしていられたようでしたが、 | |
人の嫉み深く積もり、 | 人の嫉みが深く積もり重なり、 | |
安からぬこと多くなり添ひはべりつるに、 | 心痛むことが多く身に添わってまいりましたところ、 | |
横様なるやうにて、 | 横死のようなありさまで、 |
【横様なるやうにて】 :「横 ヨコサマ」(北野本日本書紀・最勝王経古点)。清音で読む。横死のようなかたちで、寿命を全うすることなく、の意。 |
つひにかくなりはべりぬれば、 | とうとうこのようなことになってしまいましたので、 | |
かへりてはつらくなむ、 | かえって辛いことだと、 |
【かへりては】 :「却って」に「帰りて」をひびかす。お会いできてうれしかっただけに、かえって悲しい、の意。 |
かしこき御心ざしを思ひたまへられはべる。 | その畏れ多いお情けに対して思っております。 | |
これもわりなき心の闇になむ」 | このような愚痴も理屈では割りきれない親心の迷いで」 | |
と、 | と、 | |
言ひもやらずむせかへりたまふほどに、 | 最後まで言えないで涙に咽んでいらっしゃるうちに、 | |
夜も更けぬ。 | 夜も更けてしまった。 |