源氏物語1帖 桐壺 2-2f 命長さの:逐語対訳

光にて 桐壺
第2章
2f
命長さの
宮は大殿籠
原文
定家本
明融臨模本
現代語訳
(渋谷栄一)
各自要検討
注釈
【渋谷栄一】
各自要検討
〔祖母北の方〕
「命長さの、
〔祖母北の方〕
「長生きが、
【命長さの】
:以下「かたじけなく」まで、北の方の詞。『紫明抄』は「寿則多辱」(荘子、外篇、天地第十二)を指摘。
いと
つらう
思うたまへ
知らるる
に、
とても
辛い
ことだと
存じられます
うえに、
【思うたまへ】
:明融臨模本「思給へ」送り仮名無し。大島本「思ふたまへ」と表記する。
「ふ」はウ音便形の誤表記と見て、「思うたまへ」と校訂する。
松の
思はむこと
(付箋脱か)
だに、
高砂の松が
どう思うか
さえも、
【松の思はむことだに恥づかしう】
:「松」は長寿で名高い高砂の松。『源氏釈』は「いかでなほありと知らせじ高砂の松の思はむことも恥ずかし」(何とかして今でも生きていると知らせまい、長寿で有名な高砂の松にまだ生きているのかと思われるのも恥ずかしいから)(古今六帖五、名を惜しむ、三〇五七)を指摘。『源氏物語新釈』は「いたづらに世にふる物と高砂の松も我をや友と見るらむ」(無為に生きている者だと高砂の松もわたしのことを友達と思うことだろうか)(拾遺集雑上、四六三 、紀貫之)を指摘する。
恥づかしう思うたまへはべれば、 恥ずかしう存じられますので、 【思うたまへはべれば】
:明融臨模本「思給へ侍れは」、大島本「おもふたまへ侍れは」。語法的には「おもひたまへ」であるが、明融臨模本は送り仮名、無し。大島本では「おもふ」と仮名遣いを誤った表記(正しくはウ音便形「う」)である。会話文中の用例であるので、「思う」と校訂する。
「たまへ」(謙譲の補助動詞)、「はべれ」(丁寧の補助動詞)、「恥ずかしく存じられますので」の意。
百敷に行きかひはべらむことは、 内裏にお出入りいたしますことは、 【百敷に行きかひはべらむことは】
:「百敷」は歌語。
「はべら」(丁寧の補助動詞)は謙譲の意と考える。
「む」(推量の助動詞、婉曲)。
ましていと憚り多くなむ。 さらにとても遠慮いたしたい気持ちでいっぱいです。  
     
かしこき仰せ言をたびたび承りながら、 畏れ多い仰せ言をたびたび承りながらも、 【かしこき仰せ言をたびたび承りながら】
:今回の命婦の訪問以前にも、北の方に対して帝からの度々の参内の勧誘があったことがわかる。
みづからはえなむ思ひたまへたつまじき。 わたし自身はとても思い立つことができません。  
     
若宮は、 若宮は、  
いかに思ほし知るにか、 どのようにお考えなさっているのか、  
参りたまはむことをのみなむ思し急ぐめれば、 参内なさることばかりお急ぎになるようなので、 【急ぐめれば】
:「めり」(推量の助動詞、視界内推量)は北の方が若宮の態度を直接見て推量するニュアンス。接続助詞「ば」の受ける文脈がないので、文はここで切ってもよい。
ことわりに悲しう見たてまつりはべるなど、 ごもっともだと悲しく拝見しておりますなどと、 【ことわりに悲しう】
:若宮の参内を急ぐ気持ちは、北の方からみれば「いかに思ほし知るにか」であるが、この「ことわり(道理)」は若宮の父親(帝)を恋しがる全般的な態度をさして「ことわりに悲しう」(もっともなことだと、悲しく)といっているのである。
うちうちに思うたまふるさまを奏したまへ。 ひそかに存じております由をご奏上なさってください。 【思うたまふる】
:明融臨模本には「思たまふ(ふ$へ<朱>)る」とあり、後人の朱筆で「ふ」を「へ」と訂正する。本来の本文は「たまふる」。一方、大島本は「おもふたまへる」とある。大島本「桐壺」帖は、他の飛鳥井雅康筆の帖とは違って、後写の道増筆であるので、明融臨模本の訂正後の本文に従ったものか。なお他の定家本系の池田本は「思たまふる」とあり、明融臨模本の表記と同じ。定家本系の本来の本文。その他の定家本系では、横山本は大島本と同じく「おもふたまへる」とある。肖柏本も「思ひたまへる」。三条西家本と書陵部本は「思給へる」と表記する。定家本の校訂過程の反映(第二次本)と想像する。その他に「思」の送り仮名の有無と「ふ」のウ音便形の誤表記の異同の問題があるが、会話文中の用例なので「思う」と校訂する。なお、河内本系諸本と別本諸本は「思たまふる」とある。ここは、「たまふる」(謙譲の補助動詞、連体形)かまたは「たまへる」(謙譲の補助動詞+完了の助動詞、存続の意)かの相違がある。後者には母北の方が以前から思っていたというニュアンスが出てくる。
     
ゆゆしき身にはべれば、 不吉な身でございますので、 【ゆゆしき身】
:娘に先立たれた逆縁の不吉な身の上。
かくておはしますも、 こうして若宮がおいでになるのも、 【かくておはしますも】
:主語は若宮。敬語の存在によってわかる。
忌ま忌ましうかたじけなくなむ」 忌まわしくもあり畏れ多いことでございます」  
とのたまふ。 とおっしゃる。  
光にて 桐壺
第2章
2f
命長さの
宮は大殿籠