源氏物語1帖 桐壺 2-2c 今までとまりはべるが:逐語対訳

命婦かしこ 桐壺
第2章
2c
蓬生の露
しばしは夢
原文
定家本
明融臨模本
現代語訳
(渋谷栄一)
各自要検討
注釈
【渋谷栄一】
各自要検討
〔祖母北の方〕
「今までとまりはべるがいと憂きを、
〔祖母北の方〕
「今まで生きながらえておりましたのがとても情けないのに、
【今までとまりはべるが】
:以下「いと恥づかしうなむ」まで、母北の方の挨拶。
「はべる」は丁寧語。会話文中に使用される。
「なむ」の下には「侍る」また「思ひたまふる」などの語句が省略。言いさした形である。以下の母北の方の会話にも、言いさした形が多く見られる。
かかる御使の蓬生の露分け入りたまふにつけても、 このようなお勅使が草深い宿の露を分けてお訪ね下さるにつけても、 【蓬生の露分け入りたまふにつけても】
:『河海抄』は「いかでかは尋ね来つらむ蓬生の人も通はぬわが宿の道」(拾遺集、雑賀、一二〇三、読人しらず)を指摘。
「露」は「蓬生」の縁語。
いと恥づかしうなむ」 とても恥ずかしうございます」  
とて、 と言って、  
げにえ堪ふまじく泣いたまふ。 ほんとうに身を持ちこらえられないくらいにお泣きになる。 【げにえ堪ふまじく泣いたまふ】
:「げに」(なるほど)という語には、語り手の感想が交えられた表現で、直接見てきて語っているような印象を与える。『湖月抄』は「草子地ともいふべき歟」と指摘した。
     
〔靫負命婦〕
「『参りては、
〔靫負命婦〕
「『お訪ねいたしたところ、
【参りては】
:以下「尽くるやうになむ」まで、典侍の詞を引用。
「忍びがたうはべりけれ」まで命婦の詞。今までに帝の使者として、典侍が弔問に訪れたことがあったことが明かされる。
いとど心苦しう、 ひとしおお気の毒で、  
心肝も尽くるやうになむ』と、 心も魂も消え入るようでした』と、 【尽くるやうになむ】
:下に「はべりき」「思ひたまへき」などの語句が省略された形。
典侍の奏したまひしを、 典侍が奏上なさったが、 【典侍】
:内侍司の次官、定員四名。長官は「尚侍」で、定員二名。
【奏したまひし】
:「奏す」は天皇に奏上する。後の「し」(過去の助動詞)は、命婦は典侍が帝に奏上した場面に立ち会っていた、というニュアンスである。
もの思うたまへ知らぬ心地にも、 物の情趣を理解いたさぬ者でも、 【もの思うたまへ知らぬ心地にも】
:命婦自身をいう。明融臨模本「おもふ(ふ$ひ<朱>)たまへ」とある。大島本も「おもふたまへ」とある。語法としては連用形「たまひ」+「たまへ」(下二段活用)であるが、ここは会話文中の用例であるから、ウ音便化した「思うたまへ」とする。
げにこそいと忍びがたうはべりけれ」 なるほどまことに忍びがとうございます」  
とて、 と言って、  
ややためらひて、 少し気持ちを落ち着かせてから、 【ややためらひて】
:帝の伝言を伝える前に悲しみに乱れる心を落ち着かせた。
仰せ言伝へきこゆ。 仰せ言をお伝え申し上げる。 【仰せ言】
:帝からのお言伝て。
命婦かしこ 桐壺
第2章
2c
蓬生の露
しばしは夢