源氏物語1帖 桐壺 2-2b 命婦かしこに:逐語対訳

野分立ちて 桐壺
第2章
2b
命婦かしこ
蓬生の露
原文
定家本
明融臨模本
現代語訳
(渋谷栄一)
各自要検討
注釈
【渋谷栄一】
各自要検討
命婦、 命婦は、  
かしこに参で着きて、 あちらに参着して、 【参で】
:青表紙本系の池田本は「う」を補入、横山本は「か」を補入、肖柏本と三条西家本は書陵部本は「まかて」、大島本は「まて」。河内本系諸本と別本諸本は「まうて」とある。
「参うづ」と「罷かづ」との相違。
「参うで着く」といえば、参上し到着するの意。更衣の邸を敬った表現。
「罷かで着く」といえば、宮中を退出して目的地に到着するの意。宮中を敬った表現になる。
門引き入るるより、 牛車を門に引き入れるなり、 【門引き入るるより】
:「より」(格助詞)は、「門を入るやいなや」の意を添える。
けはひあはれなり。 しみじみと哀れ深い。  
     
やもめ住みなれど、 未亡人暮らしであるが、  
人一人の御かしづきに、 娘一人を大切にお世話するために、  
とかくつくろひ立てて、 あれこれと手入れをきちんとして、  
めやすきほどにて過ぐしたまひつる、 見苦しくないようにしてお暮らしになっていたが、  
闇に暮れて臥し沈みたまへるほどに、 亡き子を思う悲しみに暮れて臥せっていらっしゃったうちに、 【闇に暮れて】
:「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな」(子を持つ親心は暗闇ではないが、わが子のことを思うとどうしてよいかわからなくなる)(後撰集雑一、一一〇二、兼輔朝臣)を指摘。藤原兼輔は紫式部の曾祖父に当る人。『源氏物語』中の引歌として最も多く引用される和歌である。
草も高くなり、 雑草も高くなり、  
野分にいとど荒れたる心地して、 野分のためにいっそう荒れたような感じがして、  
月影ばかりぞ八重葎にも障らず(奥入05・付箋④)差し入りたる。 月の光だけが八重葎にも遮られずに差し込んでいた。 【八重葎にも障はらず】
:『源氏釈』は「八重葎茂れる宿の寂しきに人こそ見えね秋は来にけり」(拾遺集秋、一四〇、恵慶法師)を指摘。『奥入』は「訪ふ人もなき宿なれどくる春は八重葎にもさはらざりけり」(古今六帖二、宿、一三〇六)を指摘。『異本紫明抄』は「今更に訪ふべき人も思ほえず八重葎してかどさせりてへ」(古今集雑下、九七五、読人しらず)を指摘。
     
南面に下ろして、 寝殿の南正面に牛車の轅を下ろして、 【南面に下ろして】
:普通の人は中門で下車するが、帝の使者なので、寝殿の正面の階段のもとに車を着けて下車した。寝殿の南廂間に迎え入れる。
母君も、 母君も、  
とみにえものものたまはず。 すぐにはご挨拶できない。  
野分立ちて 桐壺
第2章
2b
命婦かしこ
蓬生の露