原文 定家本 明融臨模本 |
現代語訳 (渋谷栄一) 各自要検討 |
注釈 【渋谷栄一】 各自要検討 |
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命婦、 | 命婦は、 | |
かしこに参で着きて、 | あちらに参着して、 |
【参で】 :青表紙本系の池田本は「う」を補入、横山本は「か」を補入、肖柏本と三条西家本は書陵部本は「まかて」、大島本は「まて」。河内本系諸本と別本諸本は「まうて」とある。 「参うづ」と「罷かづ」との相違。 「参うで着く」といえば、参上し到着するの意。更衣の邸を敬った表現。 「罷かで着く」といえば、宮中を退出して目的地に到着するの意。宮中を敬った表現になる。 |
門引き入るるより、 | 牛車を門に引き入れるなり、 |
【門引き入るるより】 :「より」(格助詞)は、「門を入るやいなや」の意を添える。 |
けはひあはれなり。 | しみじみと哀れ深い。 | |
やもめ住みなれど、 | 未亡人暮らしであるが、 | |
人一人の御かしづきに、 | 娘一人を大切にお世話するために、 | |
とかくつくろひ立てて、 | あれこれと手入れをきちんとして、 | |
めやすきほどにて過ぐしたまひつる、 | 見苦しくないようにしてお暮らしになっていたが、 | |
闇に暮れて臥し沈みたまへるほどに、 | 亡き子を思う悲しみに暮れて臥せっていらっしゃったうちに、 |
【闇に暮れて】 :「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな」(子を持つ親心は暗闇ではないが、わが子のことを思うとどうしてよいかわからなくなる)(後撰集雑一、一一〇二、兼輔朝臣)を指摘。藤原兼輔は紫式部の曾祖父に当る人。『源氏物語』中の引歌として最も多く引用される和歌である。 |
草も高くなり、 | 雑草も高くなり、 | |
野分にいとど荒れたる心地して、 | 野分のためにいっそう荒れたような感じがして、 | |
月影ばかりぞ八重葎にも障らず(奥入05・付箋④)差し入りたる。 | 月の光だけが八重葎にも遮られずに差し込んでいた。 |
【八重葎にも障はらず】 :『源氏釈』は「八重葎茂れる宿の寂しきに人こそ見えね秋は来にけり」(拾遺集秋、一四〇、恵慶法師)を指摘。『奥入』は「訪ふ人もなき宿なれどくる春は八重葎にもさはらざりけり」(古今六帖二、宿、一三〇六)を指摘。『異本紫明抄』は「今更に訪ふべき人も思ほえず八重葎してかどさせりてへ」(古今集雑下、九七五、読人しらず)を指摘。 |
南面に下ろして、 | 寝殿の南正面に牛車の轅を下ろして、 |
【南面に下ろして】 :普通の人は中門で下車するが、帝の使者なので、寝殿の正面の階段のもとに車を着けて下車した。寝殿の南廂間に迎え入れる。 |
母君も、 | 母君も、 | |
とみにえものものたまはず。 | すぐにはご挨拶できない。 |