源氏物語1帖 桐壺 2-1 はかなく日ごろ過ぎて:逐語対訳

内裏より 桐壺
第2章
1
はかなく
野分立ちて
原文
定家本
明融臨模本
現代語訳
(渋谷栄一)
各自要検討
注釈
【渋谷栄一】
各自要検討
はかなく
日ごろ過ぎて、
いつのまにか
日数は過ぎて、
 
後のわざ
などにも
こまかに
とぶらはせ
たまふ。
後の法要
などの折にも
情愛こまやかに
お見舞いをお遣わし
あそばす。
【後のわざ】
:七日ごとの法事。四十九日忌まで続く。
     
ほど経るままに、 時が過ぎて行くにしたがって、  
せむ方なう悲しう思さるるに、 どうしようもなく悲しく思われなさるので、  
御方がたの御宿直なども絶えてしたまはず、 女御更衣がたの夜の御伺候などもすっかりお命じにならず、  
ただ涙にひちて明かし暮らさせたまへば、 ただ涙に濡れて日をお送りあそばされているので、 【涙にひちて】
:「漬 ヒタス ヒチテ」(図書寮本類聚名義抄)。清音で読む。涙に濡れて。
見たてまつる人さへ露けき秋なり。 拝し上げる人までが露っぽくなる秋である。 【露けき秋なり】
:「露」は「秋」の縁語。
「露」は涙を暗示する。帝の悲しみを秋を背景にして語る。
     
「亡きあとまで、 「亡くなった後まで、 【亡きあとまで】
:以下「御おぼえかな」まで、弘徽殿女御の詞と後からわかる。
「御」があることによって、帝の寵愛、という意。
人の胸あくまじかりける人の御おぼえかな」とぞ、 人の心を晴ればれさせなかった御寵愛の方だこと」と、  
弘徽殿などにはなほ許しなうのたまひける。 弘徽殿女御などにおかれては今もなお容赦なくおっしゃるのであった。 【弘徽殿】
:「弘徽殿 コウクヰテン」(色葉字類抄)。明融臨模本の傍注に「コウ」とあるので「こうきでん」と読む。
     
一の宮を見たてまつらせたまふにも、 一の宮を拝し上げあそばされるにつけても、  
若宮の御恋しさのみ思ほし出でつつ、 若宮の恋しさだけがお思い出されお思い出されして、 【若宮の御恋しさ】
:前には「御子」とあった。
「一の宮」に対して「若宮」と呼称される。
親しき女房、 御乳母などを遣はしつつ、 親しく仕える女房や御乳母などをたびたびお遣わしになっては、  
ありさまを聞こし召す。 ご様子をお尋ねあそばされる。  
内裏より 桐壺
第2章
1
はかなく
野分立ちて