原文 定家本 明融臨模本 |
現代語訳 (渋谷栄一) 各自要検討 |
注釈 【渋谷栄一】 各自要検討 |
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限りあれば、 例の作法に をさめ たてまつるを、 |
しきたりがあるので、 先例の葬法どおりに お営み 申すのを、 |
【限りあれば例の作法にをさめたてまつるを】 :「限り」について、「いくら惜しんでもゐても限りもないので」(今泉忠義・町井新一)と解する説と「葬儀の定まった作法があるので。特別にあつく葬ろうとしてもできない」(古典セレクション)また「遺骸をいつまでもとどめておきたいのだが、という気持ち」(集成)などと解する説がある。 「限りあれば」は多義性をもった表現である。 「例の作法」とは、火葬に収めること。場所は、愛宕の火葬場である。 |
母北の方、 | 母北の方は、 | |
同じ煙にのぼりなむと、 | 娘と同じく煙となって死んでしまいたいと、 | |
泣きこがれたまひて、 | 泣きこがれなさって、 | |
御送りの女房の車に 慕ひ乗りたまひて、 |
御葬送の女房の車に 後を追ってお乗りになって、 |
【御送り】 :野辺送りの葬送。夕刻から始まる。 【慕ひ乗りたまひて】 :「慕ふ」は後を追う、意。普通、女親は火葬場に行かなかった。男親や夫、兄弟たちが行った。 |
愛宕といふ所にいといかめしうその作法したるに、 | 愛宕という所でたいそう厳かにその葬儀を執り行っているところに、 |
【愛宕といふ所】 :当時の火葬場のあった所。京都市東山区鳥辺野付近とも左京区修学院白河一帯ともいう。『新大系』は「今の東山区轆轤町あたり珍皇寺のことらしい」と注す。 「愛宕 於多木」(和名抄)。『集成』『新大系』は「おたぎ」と振り仮名を付ける。『古典セレクション』は「をたぎ」と振り仮名を付けるが適切でない。 |
おはし着きたる心地、 | お着きになったお気持ちは、 |
【おはし着きたる心地いかばかりかはありけむ】 :「いかばかりかは」「けむ」(過去推量の助動詞)。『湖月抄』は「草子地に察していへり」と指摘。この過去推量は語り手が母北の方の心中を推測したものである。 |
いかばかりかはありけむ。 | どんなであったであろうか。 | |
「むなしき御骸を見る見る、 | 「お亡骸を見ながら、 | |
なほおはするものと思ふが、 | なおも生きていらっしゃるものと思われるのが、 | |
いとかひなければ、 | たいして何にもならないので、 | |
灰になりたまはむを見たてまつりて、 | 遺灰におなりになるのを拝見して、 |
【灰になりたまはむを】 :『紫明抄』は「燃え果てて灰となりなむ時にこそ人を思ひのやまむ期にせめ」(すっかり焼ききって灰となった時に死んだ人と諦める時としよう)(拾遺集、恋五、九二九 、読人しらず)を指摘。 |
今は亡き人と、 | 今はもう死んだ人なのだと、 | |
ひたぶるに思ひなりなむ」と、 | きっぱりと思い諦めよう」と、 | |
さかしうのたまひつれど、 | 分別あるようにおっしゃっていたが、 | |
車よりも落ちぬべうまろびたまへば、 | 車から落ちてしまいそうなほどにお取り乱しなさるので、 |
【まろび】 :「転 マロブ」(名義抄)。なお、青表紙本系の明融臨模本、池田本、大島本、河内本系諸本、別本の御物本は、「まろび」(転げる)とある。青表紙本系のまた一方の横山本、肖柏本、三条西家本、書陵部本と別本の陽明文庫本、国冬本、麦生本は「まどひ」(惑乱する)ある。 |
さは思ひつかしと、 | やはり思ったとおりだと、 |
【さは思ひつかし】 :女房の心。 「つ」(完了の助動詞)、火葬場に出かける以前に思ったこと。 |
人びともてわづらひきこゆ。 | 女房たちも手をお焼き申す。 |