原文 定家本 明融臨模本 |
現代語訳 (渋谷栄一) 各自要検討 |
注釈 【渋谷栄一】 各自要検討 |
---|---|---|
〔桐壺帝〕 「限りあらむ 道にも、 後れ 先立たじ と、 |
〔桐壺帝〕 「死出の 旅路にも、 後れたり 先立ったりするまい と、 |
【限りあらむ道にも後れ先立たじ】 :以下「え行きやらじ」まで、帝の詞。 「それぞれに寿命の定められた人生であっても、あなたに先立たれ残されたり、また自分が先立ったりすることは、お互いにするまい、死ぬ時は一緒にと、お約束なさったのに。いくら何でも、わたし独りを残しては逝かすまい」の意。偕老同穴を契った。なお、『新大系』は「契らせたまひけるを」までを地の文と解する。 |
契らせ たまひけるを。 |
お約束 あそばしたものを。 |
【契らせたまひけるを】 :「せたまひ」最高敬語。桐壺更衣の行為に対して使用。最高敬語は会話文の場合には帝以外の人(女房どうしの場合でも)に対しても使用される。なお『新大系』では地の文として、帝の行為に対する敬語とする。 「を」について、接続助詞、順接の意(約束してをられたのだから)と解する説(今泉忠義・待井新一・新大系)、逆接の意(お約束なさったのに)と解する説(集成)、間投助詞、詠嘆の意(お約束なさったのだもの)と解する説(玉上琢弥・古典セレクション)等がある。会話文中の「を」なので、間投助詞、詠嘆の意が最も適切であろう。 |
さりとも、 | いくらそうだとしても、 |
【さりとも】 :接続詞。 「さ」は更衣の重体をさす。 |
うち捨てては、 え行きやらじ」 |
置いてけぼりにしては、 行ききれまい」 |
【え行きやらじ】 :「え」(副詞)--「じ」(打消の助動詞、意志)で不可能の意を表す。 「やる」は補助動詞、その動作を最後までやり終える意を表す。下に打消の語を伴うと、最後まで--しきれない、完全に--できない、の意を表す。 「行(ゆ)く」には、「里へ行く」意と、「逝く」意とが重ねられている。明融臨模本「えゆきやらし」とある。 「えいきやらし」だと「行き」に「生き」を響かすことになってしまう。 |
とのたまはするを、 | と仰せになるのを、 | |
女もいといみじと、 | 女もたいそう悲しいと、 |
【女も】 :桐壺更衣を「女」と表現した。この物語では、身分を超越した男と女との恋の場面に、「男」「女」という呼称が使用される。 |
見たてまつりて、 | お顔を拝し上げて、 | |
〔桐壺更衣〕 「限りとて 別るる道の 悲しきに いかまほしきは 命なりけり |
〔桐壺更衣〕「人の命には限りがあるものと、 今、 別れ路に立ち、 悲しい気持ちでいますが、 わたしが行きたいと思う路は、 生きている世界への路でございます。 |
【限りとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり】 :更衣の歌。 「限りとて」は、帝の詞「限りあらむ道」に応えたもの。 「人の寿命は定めがあるものと諦めてはみても」。 「別るる道の」は、「里下がりのために別れる道」と「死出の道」との両意を掛ける。辞世の歌である。格助詞「の」は、同時に二つの機能をはたす。主格を表して、「別路が悲しいこと」。連体格を表して、「別路の悲しさ」。そして、第二句と第三句とを結び付けてゆく働きをもする。 「悲しきに」の接続助詞「に」は、前者の文脈では、原因・理由の意を含んだ順接の働きをして、「別路が悲しいことなので」の意。後者の文脈では、逆接の働きをして、「別路の悲しさがあるけれども」の意となる。助詞の「の」や「に」の機能は、最後まで読まないと判断できない。上の句までの段階では、どちらとも判断できない。したがって、両意を合わせて読んでいくのが正しい読み方である。さて、両意の文脈を呼び込みながら、下句へと繋がっていくと、第四句「行(い)かまほしきは」の「行く」は、「行(い)く」と、「生(い)く」との両意を掛ける。明融臨模本「いかまほしき」とある。ここは「ゆかまほしき」ではない。 「まほし」は希望・願望の助動詞。 「わたしが生きて行きたいと思うのは」。第一句第二句で既に、この別れが永遠の別れになることを悟っている更衣が、再びここで「いかまほし」というのは、限りない生への願望と執着が表されている。したがって、上句と下句は、逆接の文脈と考えられる。 「悲しいけれど、それはわかっているが、やはり、わたしの生きて行きたいと思う道は」となる。第五句「いのちなりけり」は、「寿命であることよ」「最期であることよ」「運命であることよ」等、さまざまな意がこめられている。一つのことばで表現してしまったら、この句がもっている豊かな表現性が削がれてしまう。 「生きて行きたいのは、生の道なのでございます」、「生きて行きたいのは、生の道なのですが、それも叶わぬ寿命なのでございます」等。『全集』は「別れ路はこれや限りの旅ならむさらにいくべき心地こそせね」<別れはこれが最期の死出の旅路の別れとなろう、まったく生きていけそうな気がしません>(新古今集、離別、八七二、道命法師)を指摘する。 |
いと かく 思ひたまへ ましかば」 と、 |
ほんとうに このようになると 存じておりました ならば」 と、 |
【いとかく思ひたまへましかばと】 :「いとかく」について、「ほんとにこんなことになろうと存じておりましたならば。(もっと申しあげておくことがたくさんございましたのに。)」「かく」は歌の意味(死別すること)をさす」(待井新一・今泉忠義・玉上琢弥・集成)、「ここでは初めからこうなることが分っていたら、なまじ帝のご寵愛をいただかなければよかったろうに、の意か。」(古典セレクション)などあるが、「まことにこのように(右の歌のごとくに)考えさせていただいてよいのであったら--。 「かく」は歌の中の生きたいという思いを指す。生きる希望を満たされるのらうれしかろうに、そうでないのは悲しく無念だ、と万感を言いさす」(新大系)とあるように、「かく思ひたまへ」は右の歌の主旨をさし、「いかまほしきは命なりけり」がその直接的内容である。 「ましか」は反実仮想の助動詞。 「--ならば」。この後に、「--すべきであった」という内容の述語が省略されている。なお、青表紙本の肖柏本は、「ましかばと」の「と」がナシ、大島本は「と」を補入している。 「ほんとうに、生きていたいと存じておりましたならば、もっと、気持ちを強く持ち、そして帝の御愛情にお応えすべきであったのに。それもできずにまことに無念です」というような内容である。 |
息も絶えつつ、 | 息も絶えだえに、 | |
聞こえまほしげなることはありげなれど、 | 申し上げたそうなことはありそうな様子であるが、 | |
いと苦しげにたゆげなれば、 | たいそう苦しげに気力もなさそうなので、 | |
かくながら、 ともかくも ならむを 御覧じはてむと 思し召すに、 |
このままの状態で、 最期となってしまう ようなことも お見届けしたいと、 お考えあそばされるが、 |
【かくながらともかくもならむを御覧じはてむと】 :「かく」は、更衣を宮中に置いたままの状態をさす。 「ともかくもならむ」とは、最悪の状況を想定している。宮中は死穢を忌む場所である。その死の禁忌も憚らない帝の悲壮な気持ちが窺える。帝の心と地の文が融合した形。 |
「今日始むべき祈りども、 | 「今日始める予定の祈祷などを、 |
【今日始むべき】 :以下「今宵より」まで、更衣の里邸からの使者の伝言。詞の語順が整っていなところに、緊迫感が表出されている。 |
さるべき人びとうけたまはれる、 | しかるべき僧たちの承っておりますのが、 | |
今宵より」と、 | 今宵から始めます」と言って、 | |
聞こえ急がせば、 | おせき立て申し上げるので、 | |
わりなく思ほしながらまかでさせたまふ。 | やむを得なくお思いあそばしながら退出させなさる。 |
【まかでさせたまふ】 :「させ」使役の助動詞。帝が桐壺更衣を退出おさせになる。 |