源氏物語1帖 桐壺 1-2d 御局は桐壺なり:逐語対訳

坊にもようせず 桐壺
第1章
2d
御局は桐壺
事にふれ
原文
定家本
明融臨模本
現代語訳
(渋谷栄一)
〈適宜改め〉
注釈
【渋谷栄一】
〈適宜独自に改め〉
かしこき
御蔭をば
頼み
きこえ
ながら、
もったいない
御庇護を
お頼り
申して
はいるものの、
【かしこき御蔭をば頼みきこえながら】
:話題は更衣の方に転じる。
落としめ
疵を求め
たまふ
人は多く、
軽蔑したり
落度を探したり
なさる
方々は多く、
【疵を求めたまふ人】
:『紫明抄』は「なほき木に曲がれる枝もあるものを毛をふき疵を言ふがわりなさ」(まっすぐな木にも曲がった枝があるものなのに、髪の毛を吹いてまで疵を探し出すとはこまったこと)(後撰集、雑二、一一五六、高津内親王)と「有司吹毛求疵」<有司毛を吹きて疵を求む>(漢書、中山靖王伝)を指摘。漢籍では他にも『韓非子』大体に「不吹毛而求小疵」<毛を吹きて小疵を求めず>、『白氏文集』巻十三に「吹毛遂得疵」<毛を吹きて遂に疵を得たり>などとある。わが国では、和歌に詠まれるほど、広く知られたことわざ。
わが身は
か弱く
ものはかなき
ありさまにて、
ご自身は
か弱く
何となく頼りない
状態で、
 
なかなかなる
もの思ひ
をぞ
したまふ。
中々に難儀な
物思い

なさる。
渋谷訳:×なまじ御寵愛を得たばっかりにしなくてもよい
〈なかなか:かなりの意に解する。全部低く言うのが作法。悪い否定的意味が省略されている(散々説明してきたので)。学説はなまじ・かえっての意味に解すが、それでは渋谷訳のように寵愛がいらない迷惑的含みを持ち(「かしこき御蔭をば頼み」とも相容れない)、かつ死ぬほどの物思いを軽くした解釈で不適当。
     
御局は
桐壺なり。
お局は
桐壺である。
【御局は桐壺なり】
:局の名を端的に表現した。
「桐壷」とは中庭に桐が植えられていたこに因む呼称。正式名称は淑景舎という。帝の御殿である清涼殿からは最も遠い東北の隅にあった。
     
あまたの御方がたを過ぎさせたまひて、 おおぜいのお妃方の前をお素通りあそばされて、  
ひまなき御前渡りに、 そのひっきりなしのお素通りあそばしに、 【ひまなき御前渡りに】
:挿入句。主語は帝。文意は直前の「過ぎさせたまひて」と同じだが、さらに追い討ちをかけるように「ひっきりなしのお素通りに」と畳み重ねた表現をしている。
人の御心を尽くしたまふも、 お妃方がお気をもめ尽くしになるのも、  
げにことわりと見えたり。 なるほどごもっともであると見えた。 【げにことわりと見えたり】
:登場人物たちと語り手が一体化した評言である。萩原広道『源氏物語評釈』は「作者の自評なり」と指摘した。
     
参う上りたまふにも、 参上なさるにつけても、 【参う上りたまふにも】
:主語は桐壺更衣。帝のもとに参上するというので、尊敬の補助動詞「たまふ」が使われている。帝のお側や寝所に伺候するために参上する。
あまりうちしきる折々は、 あまり度重なる時々には、  
打橋、 打橋や、  
渡殿のここかしこの道に、 渡殿のあちこちの通路に、  
あやしきわざをしつつ、 けしからぬことをたびたびして、  
御送り迎への人の衣の裾、 送り迎えの女房の着物の裾が、 【御送り迎への人】
:桐壺更衣は彼女付きの女房たちを従えて帝のもとに参上し退下した。
堪へがたく、 がまんできないような、  
まさなきこともあり。 とんでもないことがある。  
     
またある時には、 またある時には、  
え避らぬ馬道の戸を鎖しこめ、 どうしても通らなければならない馬道の戸を鎖して閉じ籠め、  
こなたかなた心を合はせて、 こちら側とあちら側とで示し合わせて、  
はしたなめわづらはせたまふ時も多かり。 進むも退くもならないように困らせなさることも多かった。 【はしたなめわづらはせたまふ】
:「わづらふ」は自動詞。
「わづらふ」人は桐壺更衣であるが、下に「せ」という使役の助動詞と尊敬の補助動詞「たまふ」が付いているので、女御たちが桐壺更衣を「わづらはせたまふ」ということである。実際は女御付きの女房たちをしていじわるをさせたのである。
坊にもようせず 桐壺
第1章
2d
御局は桐壺
事にふれ