源氏物語1帖 桐壺 1-1a いづれの御時にか:逐語対訳

    桐壺
第1章
1a
いづれの御時
朝夕の宮仕
原文
定家本
明融臨模本
現代語訳
(渋谷栄一)
〈適宜改め〉
注釈
【渋谷栄一】
〈独自改め〉
いづれの
御時
にか、
どの帝の
御代
であったか、
【いづれの御時にか】
:「御」は「おほむ」と読む。「御 オヽム オホム」(色葉字類抄〔院政期〕)。
「御時」は、ご治世の意味。〈現代で読む時は「おんとき」で問題ない〉
「帝の」の意が省略されている。係助詞「か」(疑問の意、自問のニュアンス)は下に「ありけむ」などの語句が省略された形。
女御、
更衣
女御や
更衣が
【女御更衣】
:この物語では、「女御(にようご)」は大臣(従二位)や親王の娘が、「更衣(かうい)」には大納言(正三位)以下の殿上人(昇殿を許された五位及び六位蔵人)以上の娘がなる。皇后または中宮について触れられていないことは、まだそれが空位であることをほのめかす。
あまた
さぶらひ
たまひける
なかに、
大勢
お仕え
なさっていた
なかに、
【さぶらひたまひけるなかに】
:「さぶらふ」は「あり」の謙譲語。お仕えする。伺候する。尊敬の補助動詞「たまふ」(四段)は「女御」にあわせて付けられたもの。
いと
やむごとなき
際には
あらぬが
たいして〈際立った〉
高貴な〈高位の〉
身分〈家柄〉では
ない〈が〉×方で
【いとやむごとなき際にはあらぬが】
:「いと---ぬ」(打消の助動詞)は、「たいして--ではない」の意になる。〈というのは東京目線定義で不適当。「いと」は最高位の「やんごとなき」にかからせ遡及的に、際立った最高位ではないの意。学説は「やんごとなき」を普通のように扱う点で身分観が思い上がりのようでずれている。「大して重んじられる身分の家柄ではない」(新大系)は不適。後の表現「父の大納言」「(更衣の立場は)おぼえいとやむごとなく上衆めかしけれど、(帝が更衣を)わりなくまつはさせたまふあまりに」とかみ合わない。「最高の家柄ではないが」(全集)が妥当〉
「ぬ」は打消の助動詞「ず」の連体形。
「が」(格助詞)は主格の意で、以下の「時めきたまふ」の主語となるので、その間に「方」などの語が省略された形。文脈上、「--で」と同格のようになる。〈こうして学説(新旧大系・全集・集成)は一致して「が」を主格とするが、それは後世に設定した択一分類による(旧大系が最も長文で説明するが前後から指定格とすべきと観念論で言うのみで実質的根拠はない。全集は逆接用法は「十二世紀以後に発生か」としてつまり推測)。付属語は常に著者の文脈に従う。紫式部は世界的な知的先進女性で、ここでの明確な対照の文脈から、逆接の先例と見ることがむしろ自然
すぐれて
時めき
たまふ
ありけり。
きわだって
御寵愛をあつめて
おられる方が
あった。
【時めきたまふありけり】
:「たまふ」(連体形)の下には、「方」などの語が省略されている。『新大系』は「「ありけり」は竹取物語や伊勢物語の冒頭部にも見え、「おったという」あるいは「今にありきたる」と、人物の登場を示す言い回し。桐壺更衣の紹介である」と注す。
    「けり」(過去の助動詞)は、同じく過去の助動詞「き」がその事象が過去にあったことまたはその人にとって過去に体験されたことなどを表すことに重点があるのに対して、過去の事象や記憶というものを現在に呼び起こし、それをそうと認識するとともにまた他人の前にそれをそうと提示しようとする意識の反映があることに重点のある表現である。「寵愛を蒙っていらっしゃる人がいたのである」というニュアンス。そして、以下の文章は、「けり」の付かない、いわゆる現在時制で語られていくというしくみである。
はじめより
我はと
思ひ上がり
たまへる御方がた、
最初から
自分こそはと
思い上がって
×気位い高く
いらっしゃった女御方は、
【はじめより】
:入内当初から。
【思ひ上がりたまへる御方がた】
:「思ひ上がる」は「古くは、自惚れる、つけ上がるの意はなく、誇りを高く持って、低俗なるものを排し、より高貴であろうとする意欲を持つ意に用いられた」(小学館古語大辞典)。
とされるがそれはまさにこの桐壺の解釈を根拠にした循環論法で不適当。古くは自惚れるの意はないとするが、辞書が出す根拠は源氏のこの表現しかない。世襲が根拠なくうぬぼれる意で全く問題なく通り、文脈でも度々宮中の卑しい行いが描かれる。それをなぜ真逆に美化して曲げるかと言えば、学説は伝統(世襲即ち腐敗)体制の名誉維持のため言を左右にして事実とその評価を曲げることを、困難だがそれにたえる知的で社会的意義ある仕事と思う伝統文化があるから
「御方がた」は女御たちをさす。
めざましきものに
おとしめ
嫉み
たまふ。
驚くべき目ざわりな
×失敬な者だと
貶んだり
嫉んだり
なさる。
めざましき:学説は気にくわない・失敬とするが字義を無視しており不適当。
古語のめざましは驚くと同じで、めざましきは驚くべきの意()。単体では目を見張る・素晴らしい意味だが、先行の思ひ上がり、後行のおとしめと相まって、悪い意味で驚くべきとなる特定文脈での限定解釈。それを本義のように定義するのは本末転倒〉
【めざましきものにおとしめ嫉みたまふ】
:目的語は「いとやむごとなき際にはあらぬがすぐれて時めきたまふ」方を。以下、助動詞「けり」を伴わない文が続き、一気に物語の渦中に入る。
     
同じほど、
それより下臈の
更衣たちは、
同じ身分の者や、
その方より下の
更衣たちは、

【同じほどほとそれより下臈の更衣たち】
:この物語の女主人公は中臈以上の更衣と知られる。
〈※伊勢物語や土佐日記で通例の上中下をいう構成(独自)。

「臈」は僧の年と説明されるが郎・輩(人/man)と同趣旨で先輩(敬称)・輩(蔑称)の様に先立つ格に従う。小僧(少年=坊)参照。一般的な「郎」は男につくとされるが女郎花のようにその理解は不正確で、(hu)manの意。
これらの用例は基本、ヒトを大したものと思ってないが大したものと思っている人達が解説しているから往々にすぐ語義を離れることになる〉

まして
やすからず。
いっそう
心穏やかでない。
【まして】
:「やすからず」の度合についていう。女御たち以上に心穏やかでない。女御たちのような寵愛を期待できないからである。
桐壺 桐壺
第1章
1a
いづれの御時
朝夕の宮仕