本ページは、高千穂大名誉教授・渋谷栄一氏の『源氏物語の世界』(目次構成・登場人物・原文・訳文)を参照引用している(全文使用許可あり)。
ここでは、その原文と現代語訳のページの内容を統合し、レイアウトを整えた。速やかな理解に資すると思うが、詳しい趣旨は上記リンク参照。
花散里(はなちるさと)のあらすじ
光源氏25歳夏の話。
五月雨の頃、源氏は故桐壺院の妃の一人麗景殿女御を訪ねる。妹の三の君(花散里)は源氏の恋人で、姉妹は院の没後源氏の庇護を頼りにひっそりと暮らしていた。訪問の途中、かつて会った中川の女の元に歌を詠みかけるが、既に心変わりしてしまったのかやんわりと拒絶される。女御の邸は橘の花が香り、昔を偲ばせるほととぎすの声に源氏は女御としみじみと昔話を語り合い、その後そっと三の君を訪れた。
(以上Wikipedia花散里より。色づけは本ページ)
目次 | ||||||
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・和歌抜粋内訳#花散里(4首:別ページ) | ||||||
・主要登場人物 | ||||||
・花散里:葵の分身(前々巻で早世) →由来:紅葉も花もともにこそ散れ(伊勢94) →モデル:梓弓=早世した筒井の妻(伊勢24) →歌詞の橘の花:花橘(伊勢60)=夫婦の前世 |
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出典 | ||||||
校訂 | ||||||
画像はウィキペディア「内裏」から引用し加工したもの。麗景殿は、弘徽殿(権力中枢)と対をなす配置。
以上の内容は、全て以下の原文のリンク先参照。文面はそのままで表記を若干整えた。
ここで突如挿入される花散里は、直前で果てた葵の分身と見る((葵)祭のころ思し出でられて)。
思い出した原因となった琴の「あづま」は吾妻。ああ、わが妻。
花散里は「紅葉も花もともにこそ散れ」という伊勢94段の女の歌詞を受けている。
源氏より100年ほど前の伊勢物語に掛けて「昔の御物語」としているものと解する。
伊勢94段「紅葉も花も」は、伊勢24段の梓弓の妻(早世した田舎の筒井筒の幼馴染)を受けて里の妻を回想した内容(男は女所に仕えて子がいた)。
もみじも花も散るものに掛けて、花散る里となる。
なお、一般は筒井筒と梓弓を切り離して考えるが、文脈を無視した誤った読解。
また花散里に限らず源氏物語で連発される橘の香は、夫婦の前世を象徴するアイテム(伊勢60段・花橘)。
浮舟の話でもその意味で用いている。
原文 (定家自筆本※) |
現代語訳 (渋谷栄一) |
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花散里(はなちるさと) | ||
花散里の物語 | ||
第一段 花散里訪問を決意 |
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1 |
人知れぬ、御心づからのもの思はしさは、いつとなきことなめれど、かくおほかたの世につけてさへ、わづらはしう思し乱るることのみまされば、もの心細く、世の中なべて厭はしう思しならるるに、さすがなること多かり。 |
誰知らぬ、ご自分から求めての物思いは、いつといって絶えることはないようであるが、このように世間一般のことにつけてまでも、めんどうにお悩みになることばかりが増えてゆくので、何となく心細く、世の中をおしなべて嫌にお思いになるが、そうも行かないことが多かった。 |
2 |
麗景殿と聞こえしは、宮たちもおはせず、院隠れさせたまひて後、いよいよあはれなる御ありさまを、ただこの大将殿の御心にもて隠されて、過ぐしたまふなるべし。 |
麗景殿の女御と申し上げたお方は、お子の宮たちもいらっしゃらず、院が御崩御あそばした後は、ますますお寂しいご様子を、わずかにこの大将殿のお心づかいに庇護されて、お過ごしになっていらっしゃるのであろう。 |
3 |
御おとうとの三の君、内裏わたりにてはかなうほのめきたまひしなごりの、例の御心なれば、さすがに忘れも果てたまはず、わざとももてなしたまはぬに、人の御心をのみ尽くし果てたまふべかめるをも、このごろ残ることなく思し乱るる世のあはれのくさはひには、思ひ出でたまふには、忍びがたくて、五月雨の空めづらしく晴れたる雲間に渡りたまふ。 |
そのご令妹の三の君と、宮中辺りでちょっとお逢いになったご縁を、この大将の君は例のご性格なので、そうはいってもすっかりお忘れにならず、熱心にお通い続けるというのでもないので、女君がすっかりお悩みきっていらっしゃるらしいのも、このころのすっかり何もかもお悩みになっている世の中の無常をそそる種の一つとしては、お思い出しになると、抑えきれなくて、五月雨の空が珍しく晴れた雲の切れ間にお出向きになる。 |
第二段 中川の女と和歌を贈答 |
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4 |
何ばかりの御よそひなく、うちやつして、御前などもなく、忍びて、中川のほどおはし過ぐるに、ささやかなる家の、木立などよしばめるに、よく鳴る琴を、あづまに調べて、掻き合はせ、にぎははしく弾きなすなり。 |
特にこれといったお支度もなさらず、目立たぬようにして、御前駆などもなく、お忍びで中川の辺りをお通り過ぎになると、小さな邸で、木立など風情があって、良い音色の琴を和琴の調べに合わせて、賑やかに弾いているのが聞こえる。 |
5 |
御耳とまりて、門近なる所なれば、すこしさし出でて見入れたまへば、大きなる桂の木の追ひ風に、祭のころ思し出でられて、そこはかとなくけはひをかしきを、「ただ一目見たまひし宿りなり」と見たまふ。 ただならず、「ほど経にける、おぼめかしくや」と、つつましけれど、過ぎがてにやすらひたまふ、折しも、ほととぎす鳴きて渡る。 もよほしきこえ顔なれば、御車おし返させて、例の、惟光入れたまふ。 |
お耳にとまって、門に近い所なので、少し乗り出してお覗き込みなさると、大きな桂の木を吹き過ぎる風に乗って匂ってくる香りに、葵祭のころが思い出されなさって、どことなく趣があるので、「一度お契りになったことのある家だ」と御覧になる。 お気持ちが騒いで、「ずいぶんと時が過ぎてしまったなあ、はっきりと覚えているかどうか」と、気が引けたが、通り過ぎることもできず、ためらっていらっしゃる、ちょうどその時に、ほととぎすが鳴いて飛んで行く。 訪問せよと促しているかのようなので、お車を押し戻させて、例によって、惟光をお入れになる。 |
♪ 166 |
「をちかへり えぞ忍ばれぬ ほととぎす ほの語らひし 宿の垣根に」 |
「昔にたちかえって懐かしく思わずにはいられない、ほととぎすの声だ かつてわずかに契りを交わしたこの家なので」 |
6 |
寝殿とおぼしき屋の西の妻に人びとゐたり。 先々も聞きし声なれば、声づくりけしきとりて、御消息聞こゆ。 若やかなるけしきどもして、おぼめくなるべし。 |
寝殿と思われる建物の西の角に女房たちがいた。 以前にも聞いた声なので、惟光は咳払いをして相手の様子を窺ってから、君のご言伝を申し上げる。 若々しい女房たちの気配がして、不審がっているようである。 |
♪ 167 |
「ほととぎす 言問ふ声は それなれど あなおぼつかな 五月雨の空」 |
「ほととぎすの声ははっきり分かりますが どのようなご用か分かりません、五月雨の空のように」 |
7 | ことさらたどると見れば、 | わざと分からないというふりをしていると見てとったので、 |
8 | 「よしよし、植ゑし垣根も」 |
「よろしい。 『植えた垣根も見分けが付かない』」 |
9 |
とて出づるを、人知れぬ心には、ねたうもあはれにも思ひけり。 |
と言って出て行くのを、心の内では、恨めしくも悲しくも思うのであった。 |
10 |
「さも、つつむべきことぞかし。 ことわりにもあれば、さすがなり。 かやうの際に、筑紫の五節が、らうたげなりしはや」 |
「そのように、遠慮しなければならない事情があるのであろう。 それも道理でもあるので、そうもいかまい。 このような身分では、筑紫の五節がかわいらしげであったなあ」 |
11 |
と、まづ思し出づ。 |
と、君はまっ先にお思い出しになる。 |
12 |
いかなるにつけても、御心の暇なく苦しげなり。 年月を経ても、なほかやうに、見しあたり、情け過ぐしたまはぬにしも、なかなか、あまたの人のもの思ひぐさなり。 |
どのような女性に対しても、お心の休まる間がなく苦しそうである。 長い年月を経ても、やはりこのように、かつて契ったことのある女性には、情愛をお忘れにならないので、かえって、おおぜいの女性たちの物思いの種なのである。 |
第三段 姉麗景殿女御と昔を語る |
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13 |
かの本意の所は、思しやりつるもしるく、人目なく、静かにておはするありさまを見たまふも、いとあはれなり。 まづ、女御の御方にて、昔の御物語など聞こえたまふに、夜更けにけり。 |
あの目的の所は、ご想像なさっていた以上に、人影もなくひっそりとお暮らしになっている様子を御覧になるにつけても、まことにおいたわしい。 最初に、女御のお部屋で、昔のお話などを申し上げなさっているうちに、夜も更けてしまった。 |
14 |
二十日の月さし出づるほどに、いとど木高き蔭ども木暗く見えわたりて、近き橘の薫りなつかしく匂ひて、女御の御けはひ、ねびにたれど、あくまで用意あり、あてにらうたげなり。 |
二十日の月が差し昇るころに、ますます木高い木蔭で一面に暗く見えて、近くの橘の薫りがやさしく匂って、女御のご様子は、お年を召しているが、どこまでも深い心づかいがあり、気品があって愛らしげでいらっしゃる。 |
15 | 「すぐれてはなやかなる御おぼえこそなかりしかど、むつましうなつかしき方には思したりしものを」 | 「院の格別目立つような御寵愛こそなかったが、仲睦まじく親しみの持てる方とお思いでいらっしゃったなあ」 |
16 |
など、思ひ出できこえたまふにつけても、昔のことかきつらね思されて、うち泣きたまふ。 |
などと、お思い出し申し上げなさるにつけても、昔のことが次から次へと思い出されて、ほろっとお泣きになる。 |
17 |
ほととぎす、ありつる垣根のにや、同じ声にうち鳴く。 「慕ひ来にけるよ」と、思さるるほども、艶なりかし。 「いかに知りてか」など、忍びやかにうち誦んじたまふ。 |
ほととぎすが、先程の垣根のであろうか、同じ声で鳴く。 「自分の後を追って来たのだな」と思われなさるのも、優美である。 『どのように知ってか』などと、小声で口ずさみなさる。 |
♪ 168 |
「橘の香を なつかしみ ほととぎす 花散る里を たづねてぞとふ |
「昔を思い出させる橘の香を懐かしく思って ほととぎすが花の散ったこのお邸にやって来ました |
18 |
いにしへの忘れがたき慰めには、なほ参りはべりぬべかりけり。 こよなうこそ、紛るることも、数添ふこともはべりけれ。 おほかたの世に従ふものなれば、昔語もかきくづすべき人少なうなりゆくを、まして、つれづれも紛れなく思さるらむ」 |
昔の忘れられない心の慰めには、やはり参上いたすべきでした。 この上なく物思いの紛れることも数増すこともございました。 人は時流に従うものですから、昔話も語り合える人が少なくなって行くのを、わたし以上に、所在なさも紛らすすべもなくお思いでしょう」 |
19 |
と聞こえたまふに、いとさらなる世なれど、ものをいとあはれに思し続けたる御けしきの浅からぬも、人の御さまからにや、多くあはれぞ添ひにける。 |
とお申し上げなさると、まことに言うまでもない世情であるが、物をしみじみとお思い続けていらっしゃるご様子が一通りでないのも、お人柄からであろうか、ひとしお哀れが感じられるのであった。 |
♪ 169 |
「人目なく 荒れたる宿は 橘の 花こそ軒の つまとなりけれ」 |
「訪れる人もなく荒れてしまった住まいには 軒端の橘だけがお誘いするよすがになったのでした」 |
20 |
とばかりのたまへる、「さはいへど、人にはいとことなりけり」と、思し比べらる。 |
とだけおっしゃっるが、「そうはいっても、他の女性とは違ってすぐれているな」と、ついお思い比べられる。 |
第四段 花散里を訪問 |
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21 |
西面には、わざとなく、忍びやかにうち振る舞ひたまひて、覗きたまへるも、めづらしきに添へて、世に目なれぬ御さまなれば、つらさも忘れぬべし。 何やかやと、例の、なつかしく語らひたまふも、思さぬことにあらざるべし。 |
西面には、わざわざの訪問ではないように人目に立たないようにお振る舞いになって、訪れなさったのも、女君の目には珍しいのに加えて、世にも稀な君のお美しさなので、恨めしさもすっかり忘れてしまいそうである。 あれやこれやと、例によって、やさしくお語らいになるのも、お心にないことではないのであろう。 |
22 |
かりにも見たまふかぎりは、おしなべての際にはあらず、さまざまにつけて、いふかひなしと思さるるはなければにや、憎げなく、我も人も情けを交はしつつ、過ぐしたまふなりけり。 それをあいなしと思ふ人は、とにかくに変はるも、「ことわりの、世のさが」と、思ひなしたまふ。 ありつる垣根も、さやうにて、ありさま変はりにたるあたりなりけり。 |
かりそめにもお契りになる相手は、皆並々の身分の方ではなく、それぞれにつけて、何の取柄もないとお思いになるような方はいないからであろうか、嫌と思わず、自分も相手も情愛を交わし合いながら、お過ごしになるのであった。 それを、つまらないと思う人は、何やかやと心変わりしていくのも、「無理もない、人の世の習いだ」と、しいてお思いになる。 先程の垣根も、そのようなわけで、心変わりしてしまった類の人なのであった。 |
【出典】 |
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出典1 夜や暗き道や惑へるほととぎす我が宿をしも過ぎがてに鳴く(古今集夏-一五四 紀友則)(戻) | ||
出典2 囲はねど蓬の籬夏来れば植ゑし垣根も茂りあひけり(出典未詳-源氏釈所引)(戻) | ||
出典3 いにしへのこと語らへばほととぎすいかに知りてか古声のする(古今六帖五-二八〇四)(戻) | ||
出典4 五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする(古今集夏-一三九 読人しらず)橘の花散る里のほととぎす片恋しつつ鳴く日しぞ多き(万葉集巻八-一四七七 大伴旅人)(戻) | ||
【校訂】 |
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備考--(/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ重ね--& 独自異文等--* 朱筆--<朱> 不明--△ | ||
校訂1 なめれど--な(な/+め)れと(戻) | ||
※(以下は当サイト)
定家本系の写本が重んじられている順に、定家自筆本>明融臨模本>大島本となる。