(旧)大系,新大系,新編全集=三巻本:ナシ
(旧)全集=能因本:313段
上記三巻本になく能因本のみにある段は、著者が身内本たる能因本からより広い世間の目を意識し(最終段:人のために便なき言ひ過ぐしもしつべき所々もあれば)、なかったことにして改訂したものと解する(独自)
たくみの物食ふこそ、いとあやしけれ。
寝殿を建てて、東の対(たい)だちたる屋を造るとて、たくみどもゐ並みて、物食ふを、東面(ひんがしおもて)に出でゐて見れば、まづ、持て来るやおそきと、汁物取りてみな飲みて、土器(かはらけ)はついすゑつ。
次にあはせをみな食ひつれば、おものは不用なンめりと見るほどに、やがてこそ失せにしか。
三四人ゐたりし者の、みなさせしかば、たくみのさるなンめりと思ふなり。
あな、もたいな(前田本:あいな)のことともや。
本段について旧全集は「大工が汁·菜·飯を、一つずつ食べつくして行くさまを半ば驚嘆して写している。今日のいわゆる西洋料理のマナーと考え合わせるとおもしろい。」と注釈する。しかしこれはそういうマナーとか三角食べとかいう次元以前の、とても卑しい(いとあやし)早食いの描写で、出てくるや否や食べ散らかされ、そこにいた皆がそうしてるから属人的個性ではなくそういう世界の人種と思った描写である他ない。よってそのような話題に言及することが不適切なので著者が後に欠落させたと見る。「驚嘆」「西洋」「マナー」という、ともすれば良い意味に捉えるが「いとあやし」の方向とニュアンスが違う。
「たくみ」とはいわゆる職人、つまりガテン系・工事現場系・大工の描写だが「たくみ」としているのはマナーに加え、職人界でも「寝殿」という貴族の屋敷を作るのは職位最高ランクの人達なので、それに対する敬意。しかし完全フラットではないので「いとあやし」としている。
ちなみに世間体を気にする必要がない兼好法師は、徒然草51段で「大井の土民に仰せて、水車を造らせられけり」とし「土民」と「里人」を使い分け、前者が作った水車は上手く回らなかったが、後者のは上手く回ったという描写にしている。こちらは水と土の対照で馴れない分野を暗示している(独自)が、ここでもそのような「たくみ」と「あやし」の対照がある。だから旧全集が驚嘆というなら、それはマナーの違いをいう驚きではなく、マナーが存在しない驚き(おいマジかよ的な)。でもフラットな意味でお互い住む世界も求められることも違うし(やがて失せ=さっさと消えて)、そのような感想は詮無いので最終的に欠落させたと見る。