枕草子 三巻本奥書

能因本奥書 枕草子
下巻下
三巻本奥書
   

原文 書き下し
(旧全集38-39p)
現代語訳
(wiki三巻本)
【適宜当サイトで色づけ注記】
本云 本に云ふ 本には以下のように記されている
【「本云」のみ書写の手による注記
=自分で勝手に書いてないという意味】
     
往事所持之
荒本紛失
年久
往事所持の
荒本紛失して
年久し。
かつて所持していた
粗雑な写本を無くしてから、
久しく年月が経った。

借出
一両之本
令書留
更に
一両の本
〔一つ二つの本〕を
借り出して
これを
書き留め令む。
そのため、【さらに】
一揃いの写本を
外より借り受けて
書き写すよう(他の者に)命じたのが
この本である。
依無
證本
不散
不審
証本〔証拠とすべき本〕
無きに依り、
不審を
散ぜず。
本文の正確性を証明する本が
他に無いため、
不審な部分も
少なくない。

管見之所及
勘合
舊記等
注付
時代年月等
但(ただ)
管見の及ぶ所、
旧記等を
勘へ合せて、
時代年月等を
注し付けたり。
但し、
可能な範囲で
他の資料を
参照して
時代・年月について
注釈を記したが、
是亦
謬案
是も亦
謬案ならむ
これもまた
誤っている
かも知れない。
     
 安貞二年三月    1228年3月
耄及愚翁 在判   耄及愚翁 判子アリ(転記不可能なため)

 


 

耄及愚翁:「耄(ぼう)して愚に及ぶ―老いぼれてばかになった―翁」(旧全集39p)。読みは主要本で付されないが一般に「もうぎゅうぐおう」とされる。「老いぼれて」より、「耄碌(もうろく)して」が字に即した解釈。
 あるいは藤原定家(1162-1241:1228年当時66歳。数え67歳)かという池田亀鑑説(旧大系18p、岩波文庫390p)が推定とセットで通説化。結論妥当だが、むしろ定家以外の選択肢がない(定家には有名作品の写本を収集する極めて強い動機と実績と、そこに付箋で注を付す実績もあり、さらに漢文で記す実績も明月記であり、かつ定家は自身の日記『熊野道之間愚記』等で「愚記」とし、一般に有名な明月記にもこの呼称を用いたとされる)ので、「あるいは~か」という推定ではなく、定家とみなせる極めて強い多角的根拠がある。つまり池田亀鑑の命名した三巻本は実質定家本。