(旧)大系:41段
新大系:38段、新編全集:39段
(以上全て三巻本系列本。しかし後二本の構成は2/3が一致せず、混乱を招くので、三巻本理論の根本たる『(旧)大系』に準拠すべきと思う)
(旧)全集=能因本:48段
鳥は こと所のものなれど、鸚鵡、いとあはれなり。人のいふらむことをまねぶらむよ。
ほととぎす。くひな。しぎ。都鳥。ひわ。ひたき。
山鳥、友を恋ひて、鏡を見すればなぐさむらむ、心わかう、いとあはれなり。谷へだてたるほどなど、心苦し。
鶴は、いとこちたきさまなれど、鳴く声雲井にまできこゆる、いとめでたし。
かしらあかき雀。斑鳩の雄鳥。たくみ鳥。
鷺は、いとみめ見苦し。まなこゐなども、うたてよろづになつかしからねど、「ゆるぎの森にひとりはねじ」とあらそふらむ、をかし。
水鳥、鴛鴦いとあはれなり。かたみにゐかはりて、羽のうへの霜はらふらむほどなど。
千鳥いとをかし。
鶯は、ふみなどにもめでたきものにつくり、声よりはじめてさまかたちも、さばかりあてにうつくしきほどよりは、九重のうちになかぬぞいとわろき。
人の「さなむある」といひしを、さしもあらじと思ひしに、十年ばかり候ひてききしに、まことにさらに音せざりき。さるは、竹ちかき紅梅も、いとよくかよひぬべきたよりなりかし。まかで聞けば、あやしき家の見所もなき梅の木などには、かしがましきまでぞ鳴く。
夜鳴かぬもいぎたなき心地すれども、今はいかがせむ。
夏、秋の末まで老い声に鳴きて、「むしくひ」など、ようあらぬ者は名を付けかへていふぞ、くちをしくくすしき心地する。それもただ、雀のやうに常にある鳥ならば、さもおぼゆまじ。春鳴くゆゑこそああらめ。「年たちかへる」など、をかしきことに、歌にも文にもつくるなるは。なほ春のうちならましかば、いかにをかしからまし。
人をも、人げなう、世のおぼえあなづらはしうなりそめにたるをばそしりやはする。
鳶、烏などのうへは、見入れ聞き入れなどする人、世になしかし。されば、いみじかるべきものとなりたれば、と思ふに、心ゆかぬ心地するなり。
祭のかへさ見るとて、雲林院、知足院などのまへに車を立てたれば、ほととぎすもしのばぬにやあらむ、鳴くに、いとようまねび似せて、木だかき木どもの中に、もろ声に鳴きたるこそ、さすがにをかしけれ。
ほととぎすは、なほさらにいふべきかたなし。いつしかしたり顔にも聞こえたるに、卯の花、花橘などにやどりをして、はたかくれたるも、ねたげなる心ばへなり。
五月雨のみじかき夜に寝覚をして、いかで人よりさきに聞かむと待たれて、夜ふかくうちいでたる声の、らうらうじう愛敬づきたる、いみじう心あくがれ、せむかたなし。六月になりぬれば、音もせずなりぬる、すべていふもおろかなり。
夜鳴くもの、何も何もめでたし。ちごどものみぞさしもなき。