枕草子 補 湯は(能因本:旧全集117段)

卯月の 枕草子
上巻下
補5
湯は
つねより

(旧)大系,新大系,新編全集=主要三巻本系列:ナシ
(旧)全集=能因本:117段
上記三巻本になく能因本のみにある段は、著者が身内本たる能因本からより広い世間の目を意識し(最終段:人のために便なき言ひ過ぐしもしつべき所々もあれば)、なかったことにして改訂したものと解する(独自)
 


 

(旧)全集
能因本系
三条西家旧蔵本
国文大観
能因本系
群書類従
堺本系
     
湯は 湯は いでゆは。
ななくりの湯。 なゝくりの湯、 なゝくりのゆ。
有馬の湯。 有馬の湯、 ありまのゆ。
玉造の湯。 玉つくりの湯。  
    なすのゆ。
    つかまのゆ。
    とものゆ。

 

 

※群書類従(堺本)が一番詳しいが写本の系統が理論的に弱く異端扱いで、仮に著者本人の手によるとしても、能印本に優先する版と考えるのは難しい。


 

 ななくりの湯:三重県の榊原温泉(旧全集)。長野県の別所温泉など異説もあるが、三湯を一体で解すると古来のゆかりでも地理的にも榊原温泉。伊勢道中の温泉地で、清少納言もそこに行く動機が十分あるし、私も伊勢の帰りの道中で榊原温泉が良いと勧められたことがある。昔は榊原ではなく「七栗」という地名だったという。旧全集は本文「ななくり」、注釈「七栗」。

 

 有馬の湯:神戸市兵庫区有馬町の有馬温泉(通説)。枕草子以前には日本書記で舒明天皇が高級温泉地で高級住宅地で有名な芦屋も至近。月光・天地・竹取を冠する旅館がある。

 

 玉造の湯:宮城県玉造郡鳴子町の鳴子温泉とする説(旧全集)もあるが、島根の玉造温泉という説が一般的でそちらが妥当。旧全集の注はここだけ参照を示さず、西に流れているのに突然、陸奥の奥の湯になるのは突飛。伊勢物語には陸奥の国(宮城県)の描写があるが、京中枢と地方の描写が併存する作品は特別な歌人のみ。清少納言は東北にゆかりはあるのだろうか。

 

 そしてこの何気ない本段が主要三巻本で欠落しているが、他の欠落段は例外なく卑しいとか汚いとか身分や品位にからめた内容であるから、本段もそのようなネガティブな内容の含みが考慮された、すなわち当時の湯は色街とセットだったから著者が削除したものと思う(古今和歌集387「源のさねかつくしへゆあみむとてまかりけるに、山さきにてわかれをしみける所にてよめる しろめ」のしろめとは遊女とされており、つまり性産業は通常浴場・宿場と結びつく)。つまりこれを変なおじさんが見ると、そこに行って変なことを言ったりする可能性、あるいは清少納言は全国の湯に詳しい(それはなぜか、しろめのような遊女が養女にされたのか)という話にもなりかねない。学説はこの手の連想ゲームが、紫式部が道長の夜の世話係と展開するほど好きでもある。

 この点旧全集は「当時の温泉は湯治が中心であった。古歌からの連想のおもしろいものをあげたもの」と本段を注釈するが、いかにも学者的な観念的発想で、古歌は万葉以来、素朴な男女の恋愛文化であって知的な遊戯が本質ではない。そういう面があるにしても結果そうなっただけで、それだけしかない歌、例えば沓冠(くつかぶり)は歴史に名歌として残らない。それに本段のどこに連想のおもしろさがあるか全く不明(ななくりでたまつくり?)。西洋化以前から学習には熱心でも学問の発想にならない。それは権威最上位が公で上意下達で正解が決まり、究極なあなあだからではないか。