(旧)大系:99段
新大系:95段、新編全集:95段
(以上全て三巻本系列本。しかし後二本の構成は2/3が一致せず、混乱を招くので、三巻本理論の根本たる『(旧)大系』に準拠すべきと思う)
(旧)全集=能因本:104段
五月の御精進のほど、職におはしますころ、塗籠の前の二間なる所を、ことにしつらひたれば、例様ならぬもをかし。一日より雨がちに、曇り過ぐす。つれづれなるを、「ほととぎすの声たづねに行かばや」と言ふを、我も我もと出で立つ。
二日ばかりありて、その日のことなど言ひ出づるに、宰相の君、「いかにぞ、手づから折りたりと言ひし、下蕨は」と宣ふを聞かせ給ひて、「思ひ出づることのさまよ」と笑はせ給ひて、紙の散りたるに、
♪12-2
下蕨こそ 恋しかりけれ
と書かせ給ひて、「本言へ」と仰せらるるも、いとをかし。
♪12
ほととぎす たづねて聞きし 声よりも
と書きて、参らせたれば、「いみじう受け張りけり。かうだに、いかでほととぎすのことをかけつらむ」とて、笑はせ給ふもはづかしながら、
「何か。この歌、よみ侍らじとなむ思ひ侍るを。ものの折など人のよみ侍らんにも、『よめ』など仰せられば、え候ふまじき心地なむし侍る。いといかがは、文字の数知らず、春は冬の歌、秋は梅の花の歌などをよむやうは侍らむ。されど、歌よむといはれし末々は、少し人よりまさりて、『その折の歌は、これこそありけれ。さは言へど、それが子なれば』など言はればこそ、かひある心地もし侍らめ。つゆ取り分きたる方もなくて、さすがに歌がましう、我はと思へるさまに、最初によみ出で侍らむ、亡き人のためにもいとほしう侍る」と、まめやかに啓すれば、
笑はせ給ひて、「さらば、ただ心にまかす。我はよめとも言はじ」と宣はすれば、
「いと心やすくなり侍りぬ。いまは歌のこと思ひかけじ」など言ひてあるころ、庚申せさせ給ふとて、内大殿いみじう心まうけせさせ給へり。
夜うち更くるほどに、題出だして女房も歌よませ給ふ。
みなけしきばみ、ゆるがし出だすも、宮の御前近く候ひて、もの啓しなど、ことごとをのみ言ふを、大臣御覧じて、「など歌はよまで、むげに離れゐたる。題取れ」とて給ふを、「さること承りて、歌よみ侍るまじうなりて侍れば、思ひかけ侍らず」と申す。
「ことやうなること。まことにさることやは侍る。などかさは許させ給ふ。いとあるまじきことなり。よし、こと時は知らず、今宵はよめ」など、責めさせ給へど、けぎよう聞きも入れで候ふに、みな人々よみ出だして、よしあしなど定めらるるほどに、いささかなる御文を書きて、投げ給はせたり。見れば、
♪13
元輔が のちといはるる 君しもや
今宵の歌に はづれてはをる
とあるを見るに、をかしきことぞたぐひなきや。いみじう笑へば、「何事ぞ、何事ぞ」と大臣も問ひ給ふ。
♪14
「その人の のちといはれぬ 身なりせば
今宵の歌を まづぞよままし
つつむこと候はずは、千の歌なりと、これよりなむ出でまうで来まし」と啓しつ。