吉田兼好『徒然草』全文。序+1~243段=全244段、和歌5首。
有名所:つれづれなるままに(序段)、仁和寺にある法師(52段)、ある人、弓射ることを習ふに(92段)、高名の木登り(109段)、花は盛りに(137段)、ある者、子を法師になして(188段)、丹波に出雲(236段)
ピックアップ:小野小町が事(173段)、信濃の前司行長(226段=「平家物語」に言及し平家物語成立論で筆頭の根拠となる内容)。
引用:貫之・古今集・源氏物語・新古今(14段)、源氏物語・枕草子(19段)、伊勢物語(66段)、枕草子・鴨長明(138段)、平家物語(226段)
目次:序-40,41-80,81-120,121-160,161-200,201-243
序とか何段とかは古い写本にはなく(全注釈上18p参照)後に付された便宜上のもので、各題は内容の冒頭を抜粋したもの。それでも冒頭が一段ではなく序段という呼称で一致しているのは興味深い(段という単位が用いられる伊勢物語以来、最初は一段とされ、序段呼称は大和物語・枕草子にもない)。序は短く67字、至近の4段は29字であるから、短いだけでなく特別な理由でそう称されている(従来の説によれば全体の総括)。
全243段とする京大図書館をはじめとした少なくない説明があるが、序段は全体に含まれないのだろうか。新旧大系・全集・全注釈・新旧集成・角川ソフィア文庫を見る限り、全て序段と1段は区別された上で243段まである。この点ウィキペディアで「序段を含めて243段から成る」とされるのはどういう数え方なのだろうか。徒然草の象徴段を無視しているなら、いわばただの草扱い。ここでは序段も1つの段として全244段とした。こうして切りを良くするのが別格の古典の習わし(伊勢物語125段、古今1100首(墨滅含め1111首)うち貫之100首、土佐日記55日・60首、百人一首、奥の細道44段・66首)。
段 | 冒頭 |
---|---|
序 | つれづれなるままに |
1 | いでや、この世に生まれては |
2 | いにしへの聖の御代の |
3 | よろづにいみじくとも |
4 | 後の世のこと、心に忘れず |
5 | 不幸に愁へにしづめる人の |
6 | わが身のやむごとなからんにも |
7 | あだし野の露消ゆる時なく |
8 | 世の人の心まどはすこと |
9 | 女は髪のめでたからんこそ |
10 | 家居のつきづきしく |
11 | 神無月のころ |
12 | 同じ心ならん人と |
13 | ひとり灯のもとに |
14 | 和歌こそ【貫之、古今、源氏、新古今】 |
15 | いづくにもあれ、しばし旅だちたるこそ |
16 | 神楽こそなまめかしく |
17 | 山寺にかきこもりて |
18 | 人はおのれをつづましやかにし |
19 | をりふしの移り変はるこそ【源氏、枕草】 |
20 | なにがしとかや言ひし世捨人の |
21 | よろづのことは |
22 | 何事も、古き世のみぞしたはしき |
23 | おとろへたる末の世とはいへど |
24 | 斎宮の野宮におはします有様こそ |
25 | 飛鳥川の淵瀬 |
26 | 風も吹きあへず ♪ |
27 | 御国ゆづりの節会おこなはれて ♪ |
28 | 諒闇の年ばかり |
29 | 静かに思へば |
30 | 人の亡きあとばかり悲しきはなし |
31 | 雪のおもしろう降りたりしあした |
32 | 九月二十日のころ |
33 | 今の内裏作り出だされて |
34 | 甲香は、ほら貝のやうなる |
35 | 手のわろき人の |
36 | 久しくおとづれぬ頃 |
37 | 朝夕隔てなく馴れたる人の |
38 | 名利につかはれて |
39 | ある人、法然上人に |
40 | 因幡国に、何の入道とかやいふ者の娘 |
段 | 冒頭 |
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41 | 五月五日 |
42 | 唐橋中将といふ人の子に |
43 | 春の暮れつ方 |
44 | あやしの竹の編戸のうちより |
45 | 公世の二位のせうとに |
46 | 柳原の辺に |
47 | ある人、清水へ参りたりけるに |
48 | 光親卿 |
49 | 老来たりて |
50 | 応長の頃、伊勢国より |
51 | 亀山殿の御池に |
52 | 仁和寺にある法師 |
53 | これも仁和寺の法師 |
54 | 御室に、いみじき児のありけるを |
55 | 家の作りやうは |
56 | 久しく隔たりて会ひたる人の |
57 | 人の語り出でたる歌物語の |
58 | 道心あらば、住む所にしも |
59 | 大事を思ひ立たむ人は |
60 | 真乗院に、盛親僧都とて |
61 | 御産のとき甑落とすことは |
62 | 延政門院いときなくおはしませる時 ♪ |
63 | 後七日の阿闍梨 |
64 | 車の五緒は、必ず人によらず |
65 | この頃の冠は |
66 | 岡本関白殿【伊勢物語】 |
67 | 加茂の岩本、橋本は ♪ |
68 | 筑紫に、なにがしの押領使など |
69 | 書写の上人は |
70 | 元応の清暑堂の御遊に |
71 | 名を聞くより、やがて面影は |
72 | 賎しげなるもの |
73 | 世に語り伝ふること |
74 | 蟻のごとくに集まりて |
75 | つれづれわぶる人は |
76 | 世のおぼえはなやかなるあたりに |
77 | 世の中に、その頃人のもてあつかひ |
78 | 今様のことどもの珍しきを |
79 | 何事も入りたたぬさましたる |
80 | 人ごとに、我が身にうとき事を |
段 | 冒頭 |
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81 | 屏風、障子などの絵も文字も |
82 | うすものの表紙は |
83 | 竹林院入道左大臣殿 |
84 | 法顕三蔵の |
85 | 人の心すなほならねば |
86 | 惟継中納言は |
87 | 下部に酒飲ますることは |
88 | ある者、小野道風の書ける |
89 | 奥山に猫またといふもの |
90 | 大納言法印の召し使ひし乙鶴丸 |
91 | 赤舌日といふこと |
92 | ある人、弓射ることを習ふに |
93 | 牛を売る者あり |
94 | 常盤井相国 |
95 | 箱のくりかたに緒をつくること |
96 | めなもみといふ草あり |
97 | その物につきてその物を費しそこなふ物 |
98 | 尊きひじりの言ひ置きける事を |
99 | 堀川相国は |
100 | 久我相国は |
101 | ある人、任大臣の節会の内弁を |
102 | 尹大納言光忠入道 |
103 | 大覚寺殿にて、近習の人ども |
104 | 荒れたる宿の |
105 | 北の屋かげに |
106 | 高野の証空上人 |
107 | 女の物言ひかけたる返事 |
108 | 寸陰惜しむ人なし |
109 | 高名の木登り |
110 | 双六の上手といひし人に |
111 | 囲碁、双六好みて |
112 | 明日は遠き国へ |
113 | 四十にも余りぬる人の |
114 | 今出川の大殿 |
115 | 宿河原といふ所にて |
116 | 寺院の号、さらぬよろづのものにも |
117 | 友とするにわろきもの |
118 | 鯉の羹食ひたる日には |
119 | 鎌倉の海に |
120 | 唐のものは、薬のほかは |
段 | 冒頭 |
---|---|
121 | 養ひ飼ふものには |
122 | 人の才能は、文あきらかにして |
123 | 無益のことをなして |
124 | 是法法師は |
125 | 人に後れて |
126 | ばくちの、負け極まりて |
127 | 改めて益なき事は |
128 | 雅房大納言は |
129 | 顔回は |
130 | 物に争はず |
131 | 貧しき者は |
132 | 鳥羽の作道は |
133 | 夜の御殿は |
134 | 高倉院の法華堂の三昧僧 |
135 | 資季大納言入道とかや聞こえける人 |
136 | 医師篤成 |
137 | 花は盛りに |
138 | 祭過ぎぬれば ♪【枕草子、鴨長明】 |
139 | 家にありたき木は |
140 | 身死して財残ることは |
141 | 悲田院の尭蓮上人は |
142 | 心なしと見ゆる者も |
143 | 人の終焉の有様 |
144 | 栂尾の上人 |
145 | 御随身秦の重躬 |
146 | 明雲座主 |
147 | 灸治、あまた所に成りぬれば |
148 | 四十以後の人 |
149 | 鹿茸を鼻に当てて |
150 | 能をつかんとする人 |
151 | ある人の云はく |
152 | 西大寺の静然上人 |
153 | 為兼大納言入道 |
154 | この人、東寺の門に |
155 | 世に従はん人は |
156 | 大臣の大饗は |
157 | 筆を取れば物書かれ |
158 | 盃の底を捨つる事は |
159 | みなむすびといふは |
160 | 門に額懸くるを |
段 | 冒頭 |
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161 | 花の盛りは |
162 | 遍照寺の承仕法師 |
163 | 太衝の「太」の字 |
164 | 世の人相逢ふ時 |
165 | 東の人の |
166 | 人間の、営み合へるわざを見るに |
167 | 一道にたづさはる人 |
168 | 年老いたる人の |
169 | 何事の式といふ事は |
170 | さしたることなくて人のがり行くは |
171 | 貝を覆ふ人の |
172 | 若きときは |
173 | 小野小町が事 |
174 | 小鷹によき犬 |
175 | 世には、心得ぬ事の多きなり |
176 | 黒戸は |
177 | 鎌倉中書王にて |
178 | ある所の侍ども |
179 | 入宋の沙門 |
180 | さぎちやうは |
181 | 降れ降れ粉雪 |
182 | 四条大納言隆親卿 |
183 | 人突く牛をば角を截り |
184 | 相模守時頼の母は |
185 | 城陸奥守泰盛は |
186 | 吉田と申す馬乗り |
187 | よろづの道の人 |
188 | ある者、子を法師になして |
189 | 今日はそのことをなさむと |
190 | 妻といふものこそ |
191 | 夜に入りて、物の映えなし |
192 | 神、仏にも |
193 | くらき人の |
194 | 達人の、人を見る眼は |
195 | ある人、久我縄手を通りけるに |
196 | 東大寺の神輿 |
197 | 諸寺の僧のみにもあらず |
198 | 揚名介に限らず |
199 | 横川行宣法師が申し侍りしは |
200 | 呉竹は |
段 | 冒頭 |
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201 | 退凡、下乗の卒塔婆 |
202 | 十月を神無月と言ひて |
203 | 勅勘の所に靫懸くる作法 |
204 | 犯人を笞にて打つ時は |
205 | 比叡山に、大師勧請の起請といふ事は |
206 | 徳大寺故大臣殿 |
207 | 亀山殿建てられんとて |
208 | 経文などの紐を結ふに |
209 | 人の田を論ずる者 |
210 | 喚子鳥は春のものなり |
211 | よろづの事は頼むべからず |
212 | 秋の月は |
213 | 御前の火炉に火を置く時は |
214 | 相夫恋といふ楽は |
215 | 平宣時朝臣 |
216 | 最明寺入道 |
217 | ある大福長者のいはく |
218 | 狐は人に食ひつくものなり |
219 | 四条黄門命ぜられていはく |
220 | 何事も、辺土はいやしく |
221 | 建治、弘安のころ |
222 | 竹谷乗願房 |
223 | 鶴の大臣殿は |
224 | 陰陽師有宗入道 |
225 | 多久資が申しけるは |
226 | 後鳥羽院の御時【平家物語】 |
227 | 六時礼讃は |
228 | 千本の釈迦念仏は |
229 | よき細工は |
230 | 五条内裏には、妖物ありけり |
231 | 園の別当入道は |
232 | すべて人は無智、無能なるべきものなり |
233 | よろづの咎あらじと思はば |
234 | 人の物を問ひたるに |
235 | 主ある家には |
236 | 丹波に出雲といふ所あり |
237 | 柳筥に据うる物は |
238 | 御随身近友が自讃とて |
239 | 八月十五日、九月十三日は |
240 | しのぶの浦の蜑の見るめも |
241 | 望月のまどかなる事は |
242 | とこしなへに違順に使はるる事は |
243 | 八つになりし年 |
つれづれなるままに、日ぐらし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
いでや、この世に生まれては、願はしかるべきことこそ多かめれ。
みかどの御位はいともかしこし。
竹の園生の末葉まで、人間の種ならぬぞやんごとなき。
一の人の御有様はさらなり、ただ人も、舎人など賜はるきははゆゆしと見ゆ。
その子うまごまでは、はふれにたれど、なほなまめかし。
それより下つ方は、程につけつつ、時にあひ、したり顔なるも、みづからはいみじと思ふらめど、いと口をし。
法師ばかりうらやましからぬものはあらじ。
「人には木の端のやうに思はるるよ」と清少納言が書けるも、げにさることぞかし。
勢ひ猛にののしりたるにつけて、いみじと見えず。
増賀ひじりのいひけんやうに名聞くるしく、仏の御教へにたがふらんとぞおぼゆる。
ひたぶるの世捨人は、なかなかあらまほしきかたもありなん。
人は、かたち、有様のすぐれたらんこそ、あらまほしかるべけれ。
ものうちいひたる、聞きにくからず、愛敬ありて、ことば多からぬこそ、あかず向かはまほしけれ。
めでたしと見る人の、心劣りせらるる本性見えんこそくちをしかるべけれ。
品かたちこそ生まれつきたらめ、心はなどか賢きより賢きにも移さば移らざらん。
かたち、心ざまよき人も、才なくなりぬれば、品くだり、顔にくさげなる人にも立ちまじりて、かけずけおさるるこそ本意なきわざなれ。
ありたき事は、まことしき文の道、作文、和歌、管弦の道。
また有識に公事の方、人の鏡ならんこそいみじかるべけれ。
手などつたなからず走り書き、声をかしくて拍子とり、いたましうするものから、下戸ならぬこそ男はよけれ。
いにしへの聖の御代の政をも忘れ、民の愁、国のそこなはるるをも知らず、よろづにきよらをつくしていみじと思ひ、所せきさましたる人こそ、うたて、思ふ所なく見ゆれ。
「衣冠より馬、車にいたるまで、あるにしたがひて用ゐよ。美麗を求るなかれ」とぞ、九条殿の遺誡にも侍る。
順徳院の、禁中の事ども書かせ給へるにも、「おほやけの奉り物は、おろそかなるものをもてよしとす」とこそ侍れ。
よろづにいみじくとも、色好まざる男は、いとさうざうしく、玉の巵の当なき心地ぞすべき。
露霜にしほたれて、所定めずまどひありき、親のいさめ、世のそしりをつつむに心のいとまなく、あふさきるさに思ひ乱れ、さるは独り寝がちに、まどろむ夜なきこそをかしけれ。
さりとて、ひたすらにたはれたる方にはあらで、女にたやすからず思はれんこそ、あらまほしかるべきわざなれ。
後の世のこと、心に忘れず、仏の道うとからぬ、心にくし。
不幸に愁へにしづめる人の、頭おろしなど、ふつつかに思ひとりたるにはあらで、あるかなきかに門さしこめて、待つこともなく明かし暮らしたる、はるかにあらまほし。
顕基中納言の言ひけむ、配所の月、罪なくて見むこと、さも覚えぬべし。
わが身のやむごとなからんにも、まして数ならざらんにも、子といふ物なくてありなん。
前中書王、苦情太政大臣、花園左大臣、みな族絶えんことを願ひ給へり。
染殿大臣も、「子孫おはせぬぞよく侍る。末のおくれ給へるはわろきことなり」とぞ、世継の翁の物語にはいへる。
聖徳太子の、御墓をかねて築かせ給ひける時も、「ここを切れ、かしこを断て。子孫あらせじと思ふなり」と侍りけるとかや。
あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ住みはつるならひならば、いかにもののあはれもなからん。
世は定めなきこそ、いみじけれ。
命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。
かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。
つくづくと一年を暮らすほどだにも、こよなうのどけしや。
あかず惜しと思はば、千年を過ぐすとも一夜の夢の心地こそせめ。
住みはてぬ世に、醜き姿を待ち得て何にかはせん。
命長ければ恥多し。
長くとも四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。
そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出でまじらはんことを思ひ、夕べの陽に子孫を愛して、栄ゆく末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世をむさぼる心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。
世の人の心まどはすこと、色欲にはしかず。
人の心はおろかなるものかな。
匂ひなどはかりのものなるに、しばらく衣装に薫物すと知りながら、えならぬ匂ひには、必ず心ときめきするものなり。
久米の仙人の、物洗ふ女の脛の白きを見て、通を失ひけんは、まことに手足、はだへなどのきよらに、肥えあぶらづきたらんは、外の色ならねば、さもあらんかし。
女は髪のめでたからんこそ、人の目たつべかめれ。
人のほど、心ばへなどは、もの言ひたるけはひにこそ、ものごしにも知らるれ。
ことにふれて、うちあるさまにも人の心をまどはし、すべて女の、うちとけたる寝も寝ず、身を惜しとも思ひたらず、堪ゆべくもあらぬわざにもよく堪へしのぶは、ただ色を思ふがゆゑなり。
まことに、愛着の道、その根深く、源遠し。
六塵の楽欲多しといへども、みな厭離しつべし。
その中に、ただ、かのまどひのひとつやめがたきのみぞ、老いたるも若きも、智あるも愚かなるも、かはる所なしと見ゆる。
されば、女の髪すぢをよれる鋼には、大象もよくつながれ、女のはける足駄にて作れる笛には、秋の鹿、必ずよるとぞ言ひ伝へ侍る。
自ら戒めて、恐るべく慎むべきは、このまどひなり。
家居のつきづきしくあらまほしきこそ、仮のやどりとは思へど興あるものなれ。
よき人ののどやかに住みなしたる所は、さし入りたる月の色も、ひときはしみじみと見ゆるぞかし。
いまめかしくきららかならねども、木立ものふりて、わざとならぬ庭の草も心あるさまに、すのこ、透垣のたよりをかしく、うちある調度も昔おぼえてやすらかなるこそ、心にくしと見ゆれ。
多くのたくみの心をつくしてみがきたて、唐の、大和の、めづらしく、えならぬ調度どもならべおき、前裁の草木まで心のままならず作りなせるは、見る目も苦しく、いとわびし。
さてもやはながらへ住むべき、また時のまの煙ともなりなんとぞ、うち見るより思はるる。
おほかたは、家居にこそことざまはおしはからるれ。
後徳大寺大臣の、寝殿に鳶ゐさせじとて縄をはられけるを、西行が見て、「鳶のゐたらんは、何にかはくるしかるべき。この殿の御心、さばかりにこそ」とて、そののちは参らざりけると聞き侍るに、綾小路宮のおはします小坂殿の棟に、いつぞや縄をひかれたりしかば、かのためし思ひ出でられ侍りしに、まことや、「烏のむれゐて、池の蛙をとりければ、御覧じかなしませ給ひてなん」と人の語りしこそ、さてはいみじくこそと覚えしか。
徳大寺にもいかなるゆゑか侍りけん。
神無月のころ、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里にたづね入ること侍りしに、はるかなる苔の細道を踏み分けて、心細く住みなしたる庵あり。
木の葉にうづもるるかけひのしづくならでは、つゆおとなふものなし。
閼枷棚に菊、紅葉など折り散らしたる、さすがに住む人のあればなるべし。
かくてもあられけるよと、あはれに見るほどに、かなたの庭に、大きなる柑子の木の、枝もたわわになりたるが、まはりをきびしく囲ひたりしこそ、少しことさめて、この木なからましかばと覚えしか。
同じ心ならん人としめやかに物語して、をかしきことも、世のはかなきことも、うらなく言ひ慰まんこそうれしかるべきに、さる人あるまじければ、つゆ違はざらんと向かひゐたらんは、ひとりある心地やせん。
互ひに言はんほどのことをば、「げに」と聞くかひあるものから、いささか違ふところもあらん人こそ、「我はさやは思ふ」など言ひ争み、「さるから、さぞ」ともうち語らば、つれづれ慰まめと思へど、げには、少しかこつ方も、我と等からざらん人は、おほかたのよしなしごと言はんほどこそあらめ、まめやかの心のともには、はるかに隔たる所のありぬべきぞ、わびしきや。
ひとり灯のもとに文を広げて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。
文は文選のあはれなる巻々、白氏文集、老子のことば、南華の篇。
この国の博士どもの書ける物も、いにしへのは、あはれなること多かり。
和歌こそ、なほをかしきものなれ。
あやしのしづ山がつのも、しわざも、言ひ出でつればおもしろく、おそろしき猪のししも、「ふす猪の床」と言へば、やさしくなりぬ。
このごろの歌は、一ふしをかしく言ひかなへたりと見ゆるはあれど、古き歌どものやうに、いかにぞや、ことばの外に、あはれに、けしきおぼゆるはなし。
貫之が「糸による物ならなくに」と言へるは、古今集の中の歌屑とかや言ひ伝へたれど、今の世の人の詠みぬべきことがらとはみえず。
その世の歌には、姿、言葉、このたぐひのみ多し。
この歌に限りてかく言ひたてられたるも、知りがたし。
源氏物語には、「物とはなしに」とぞ書ける。
新古今には、「残る松さへ峰にさびしき」といへる歌をぞ言ふなるは、まことに、少しくだけたるすがたにもや見ゆらむ。
されどこの歌も、衆議判の時、よろしきよし沙汰ありて、後にもことさらに感じ仰せ下されけるよし、家長が日記にはかけり。
歌の道のみ、いにしへに変はらぬなどいふこともあれど、いさや、今も詠みあへる同じ詞、歌枕も、昔の人の詠めるは、さらに同じものにあらず、やすくすなほにして、姿もきよげに、あはれも深く見ゆ。
梁塵秘抄の郢曲の言葉こそ、またあはれなることは多かめれ。
昔の人は、ただ、いかに言ひ捨てたることぐさも、皆いみじく聞こゆるにや。
いづくにもあれ、しばし旅だちたるこそ、目さむる心地すれ。
そのわたりここかしこ見ありき、ゐなかびたる所、山里などはいと目なれぬことのみぞ多かる。
都へたよりもとめて文やる。
「その事かの事、便宜に忘るな」などいひやるこそをかしけれ。
さやうの所にてこそ、よろづに心づかせらるれ。
持てる調度までよきはよく、能ある人、かたちよき人も、常よりはをかしとこそ見ゆれ。
寺、社などに忍びてこもりゐたるもをかし。
神楽こそなまめかしく、おもしろけれ。
おほかた、ものの音には、笛、篳篥。
常に聞きたきは、琵琶、和琴。
山寺にかきこもりて、仏につかうまつるこそ、つれづれもなく、心の濁りも清まる心地すれ。
人はおのれをつづましやかにし、おごりを退けて財を持たず、世をむさぼらんぞ、いみじかるべき。
むかしより賢き人の富めるはまれなり。
もろこしに許由といひつる人は、さらに身にしたがへるたくはへもなくて、水をも手してささげて飲みけるを見て、なりひさごといふものを人の得させたりければ、ある時、木の枝にかけたりけるが、風に吹かれて鳴りけるを、かしがましとて捨てつ。
また手にむすびてぞ水も飲みける。
いかばかり心のうち涼しかりけん。
孫晨は、冬の月に衾なくて、藁一束ありけるを、夕べにはこれにふし、朝にはをさめけり。
もろこしの人は、これをいみじと思へばこそ、しるしとどめて世にも伝へけめ、これらの人は語り伝ふべからず。
をりふしの移り変はるこそ、ものごとにあはれなれ。
「もののあはれは秋こそまされ」と人ごとに言ふめれど、それもさるものにて、いまひときは心も浮き立つものは、春の気色にこそあめれ。
鳥の声などもことのほかに春めきて、のどやかなる日影に、垣根の草萌え出づるころより、やや春深くかすみわたりて、花もやうやう気色だつほどこそあれ、をりしも雨風うち続きて、心あわたたしく散り過ぎぬ。
青葉になりゆくまで、よろづにただ心をのみぞ悩ます。
花橘は名にこそ負へれ、なほ梅の匂ひにぞ、いにしへのことも立ちかへり恋しう思ひ出でらるる。
山吹の清げに、藤のおぼつかなきさましたる、すべて、思ひ捨てがたきこと多し。
「潅仏会のころ、祭りのころ、若葉のこずゑ涼しげに茂りゆくほどこそ、世のあはれも、人の恋しさもまされ」と人の仰せられしこそ、げにさるものなれ。
五月、あやめふくころ、早苗取るころ、水鶏のたたくなど、心細からぬかは。
六月のころ、あやしき家に夕顔の白く見えて、蚊遣火ふすぶるもあはれなり。
六月祓またをかし。
七夕まつるこそなまめかしけれ。
やうやう夜寒になるほど、雁鳴きて来るころ、萩の下葉色づくほど、早稲田刈り干すなど、取り集めたることは秋のみぞ多かる。
また、野分の朝こそをかしけれ。
言ひ続くれば、みな源氏物語、枕草子などにことふりにたれど、同じことまたいまさらに言はじとにもあらず。
おぼしきこと言はぬは腹ふくるるわざなれば、筆にまかせつつあぢきなきすさびにて、かつ破り捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。
さて、冬枯れの気色こそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。
みぎはの草に紅葉の散りとどまりて、霜いと白う置ける朝、遣水より煙の立つこそをかしけれ。
年の暮れはてて、人ごとに急ぎあへるころぞ、またなくあはれなる。
すさまじきものにして見る人もなき月の、寒けく澄める二十日余りの空こそ、心細きものなれ。
御仏名、荷前の使立つなどぞ、あはれにやんごとなき。
公事どもしげく、春の急ぎに取り重ねて催し行はるるさまぞ、いみじきや。
追儺より四方拝に続くこそ、おもしろけれ。
つごもりの夜、いたう暗きに、松どもともして、夜半過ぐるまで人の門たたき、走りありきて、何事にかあらむ、ことごとしくののしりて、足を空に惑ふが、暁がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年のなごりも心細けれ。
亡き人の来る夜とて魂まつるわざは、このごろ都にはなきを、東の方には、なほすることにてありしこそ、あはれなりしか。
かくて明けゆく空の気色、昨日に変はりたりとは見えねど、ひきかへめづらしき心地ぞする。
大路のさま、松立てわたして、はなやかにうれしげなるこそ、またあはれなれ。
なにがしとかや言ひし世捨人の、「この世のほだし持たらぬ身に、ただ空の名残のみぞ惜しき」といひしこそ、まことにさもおぼえぬべけれ。
よろづのことは、月見ることにこそ慰むものなれ。
ある人の「月ばかりおもしろきものはあらじ」といひしに、またひとり、「露こそあはれなれ」とあらそひしこそをかしけれ。
をりにふれば、何かはあはれならざらむ。
月花はさらなり、風のみこそ人に心はつくめれ。
岩に砕けて清く流るる水のけしきこそ、時をもわかずめでたけれ。
「沅湘日夜東に流れ去る。愁人のためにとどまることしばらくもせず」といへる詩を見侍りしこそあはれなりしか。嵆康も「山沢に遊びて魚鳥を見れば心楽しぶ」といへり。
人遠く水草清き所にさまよひありきたるばかり、心慰むことはあらじ。
何事も、古き世のみぞしたはしき。
今様は無下にいやしくこそなりゆくめれ。
かの木の道のたくみの造れる、うつくしき器物も、古代の姿こそをかしと見ゆれ。
文の詞などぞ、昔の反古どもはいみじき。
ただ言ふことばも口をしうこそなりもてゆくなれ。
「いにしへは、車もたげよ、火かかげよ、とこそ言ひしを、今やうの人は、もてあげよ、かきあげよ、と言ふ。主殿寮人数たて、と言ふべきを、たちあかししろくせよ、と言ひ、最勝講御聴聞所なるをば、御講の廬、とこそ言ふを、かうろ、と言ふ、くちをし」とぞ、古き人は仰せられし。
おとろへたる末の世とはいへど、なほ九重の神さびたる有様こそ、世づかずめでたきものなれ。
露台、朝餉、何殿、何門などは、いみじとも聞こゆべし、あやしの所にもありぬべき小蔀、小板敷、高遣戸なども、めでたく聞こゆれ。
「陳に夜の設けせよ」といふこそいみじけれ。
夜御殿のをば、「かいともしとうよ」などいふ、まためでたし。
上卿の、陳にて事おこなへるさまはさらなり、諸司の下人どもの、したりがほに馴れたるもをかし。
さばかり寒き夜もすがら、ここかしこに睡りゐたるこそをかしけれ。
「内侍所の御鈴の音は、めでたく優なるものなり」とぞ、徳大寺太政大臣は仰せられける。
斎宮の野宮におはします有様こそ、やさしくおもしろき事のかぎりとはおぼえしか。
「経」「仏」など忌みて、「なかご」「染紙」などいふなるもをかし。
すべて神の社こそ、捨てがたく、なまめかしきものなれや。
ものふりたる森の気色もただんまらぬに、玉垣しわたして、榊にゆふりかけたるなど、いみじからぬかは。
ことにをかしきは、伊勢、加茂、春日、平野、住吉、三輪、貴布禰、吉田、大原野、松尾、梅宮。
飛鳥川の淵瀬常ならぬ世にしあれば、時移り事去り、たのしびかなしび行きかひて、はなやかなりしあたりも人住まぬ野らとなり、変はらぬ住み家は人あらたまりぬ。
桃李ものいはねば、たれとともにか昔を語らん。
まして見ぬいにしへのやんごとなかりけん跡のみぞ、いとはかなき。
京極殿、法成寺など見るこそ、志とどまり、事変じにける有様はあはれなれ。
御堂殿の造りみがかせ給ひて、庄園多く寄せられ、わが御族のみ、帝の御後見、世のかためにて、行く末までと思し置きしとき、いかならむ世にも、かばかりあはせてむとは思してんや。
大門、金堂など近くまでありしかど、正和のころ南門は焼けぬ。
金堂はその後倒れふしたるままにて、とり立つるわざもなし。
無量寿院ばかりぞ、そのかたとて残りたる。
丈六の九品体、いと尊くて並びおはします。
行成大納言の額、兼行が書ける扉、あざやかに見ゆるぞあはれなる。
法華堂などもいまだ侍るめり。
これもまたいつまでかあらん。
かばかりのなごりだになき所々は、おのづから礎ばかり残るもあれど、さだかに知れる人もなし。
されば、よろづに見ざらん世までを思ひおきてんこそ、はかなかるべけれ。
風も吹きあへずうつろふ人の花に、馴れにし年月を思へば、はれと聞きし言の葉ごとに忘れぬものから、わが世のほかになりゆくならひこそ、亡き人の別れよりもまさりて悲しきものなれ。
されば、白き糸の染まむことを悲しび、路のちまたに分かれんことを嘆く人もありけんかし。
堀河院の百首の歌の中に、
♪1 昔見し 妹が垣根は 荒れにけり
つばなまじりの すみれのみして
寂しき気色、さること侍りけん。
御国ゆづりの節会おこなはれて、剣璽、内侍所わたし奉らるるほどこそ、限りなう心細けれ。
新院のおりさせ給ひての春、よませ給ひけるとかや、
♪2 殿守の とものみやつこ よそにして
掃はぬ庭に 花ぞ散りしく
今の世のことしげきにまぎれて、院には参る人もなきぞさびしげなる。
かかる折にぞ、人の心もあらはれぬべき。
諒闇の年ばかりあはれなることはあらじ。
椅廬の御所のさまなど、板敷をさげ、葦の御簾をかけて、布の帽額あらあらしく、御調度どもおろそかに、皆人の装束、太刀、平緒まで、ことなるやうぞゆゆしき。
静かに思へば、よろづに過ぎにし方の恋しさのみぞ、せむかたなき。
人静まりてのち、長き夜のすさびに、なにとなき具足とりしたため、残し置かじと思ふ反古など破り捨つる中に、亡き人の手習ひ、絵描きすさびたる見出でたるこそ、ただそのをりの心地こそすれ。
このごろある人の文だに、久しくなりて、いかなるをり、いつの年なりけむと思ふは、あはれなるぞかし。
手馴れし具足なども、心変はらず久しき、いと悲し。
人の亡きあとばかり悲しきはなし。
中陰のほど、山里に移ろひて、便あしく狭き所にあまたあひゐて、後のわざども営み合へる、心あわたたし。
日数の早く過ぐるほどにぞ、ものにも似ぬ。
果ての日は、いと情けなう、互ひに言ふこともなく、われ賢げに物ひきしたため、散り散りに行きあかれぬ。
もとの住家に帰りてぞ、さらに悲しきことは多かるべき。
「しかしかのことは、あなかしこ、あとのため忌むなることぞ」など言へるこそ、かばかりの中に何かはと、人の心はなほうたておぼゆれ。
年月経ても、つゆ忘るるにはあらねど、去る者は日々に疎しと言へることなれば、さは言へど、その際ばかりはおぼえぬにや、よしなしごと言ひてうちも笑ひぬ。
骸は、気うとき山の中に納めて、さるべき日ばかり詣でつつ見れば、ほどなく卒塔婆も苔むし、木の葉降り埋みて、夕べの嵐、夜の月のみぞ、言問ふよすがなりける。
思ひ出でてしのぶ人あらむほどこそあらめ、そもまたほどなく亡せて、聞き伝ふるばかりの末々は、あはれとやは思ふ。
さるは、跡問ふわざも絶えぬれば、いづれの人と名をだに知らず、年々の春の草のみぞ、心あらむ人はあはれと見るべきを、はては、嵐にむせびし松も千年を待たで薪に砕かれ、古き墳はすかれて田となりぬ。
そのかただになくなりぬるぞ悲しき。
雪のおもしろう降りたりしあした、人のがり、いふべきことありて、文をやるとて、雪のこと何ともいはざりし返りごとに、「この雪いかが見ると、一筆宣はせぬほどの、ひがひがしからん人の仰せらるること、聞き入るべきかは。かへすがへす口惜しき御心なり」といはれたりしこそ、をかしかりしか。
今はなき人なれば、かばかりのことも忘れがたし。
九月二十日のころ、ある人に誘はれ奉りて、明くるまで月見ありくこと侍りしに、思し出づる所ありて、案内せさせて入り給ひぬ。
荒れたる庭の露しげきに、わざとならぬにほひ、しめやかにうちかをりて、しのびたるけはひ、いとものあはれなり。
よきほどにて出で給ひぬれど、なほ事ざまの優に覚えて、物のかくれよりしばし見ゐたるに、妻戸をいま少し押し開けて、月見るけしきなり。
やがてかけこもらましかば、くちをしからまし。
あとまで見る人ありとは、いかでか知らん。
かやうのことは、ただ朝夕の心づかひによるべし。
その人、ほどなく失せにけりと聞き侍りし。
今の内裏作り出だされて、有識の人々に見せられけるに、いづくも難なしとて、すでに遷幸の日近くなりけるに、玄輝門院御覧じて、「閑院殿の櫛形の穴は、まろく、ふちもなくてぞありし」と仰せられける、いみじかりけり。
これは葉の入りて、木にてふちをしたりければ、あやまりにてなほされにけり。
甲香は、ほら貝のやうなるが、ちひさくて、口のほどに細長にして出でたる貝のふたなり。
武蔵の国金澤といふ浦にありしを、所の者は、「へだなりと申し侍る」とぞいひし。
手のわろき人の、はばからず文書き散らすはよし。
見苦しとて、人に書かするはうるさし。
「久しくおとづれぬ頃、いかばかりうらむらむと、我が怠り思ひ知られて、言葉なき心地するに、女のかたより、仕丁やある、ひとり、など言ひおこせたるこそ、ありがたくうれしけれ。さる心ざましたる人ぞよき」と、人の申し侍りし、さもありぬべきことなり。
朝夕隔てなく馴れたる人の、ともある時、我に心おき、ひきくつろへるさまに見ゆるこそ、「今更かくやは」など言ふ人もありぬべけれど、なほげにげにしく、よき人かなとぞおぼゆる。
疎き人の、うちとけたることなど言ひたる、また、よしと思ひつきぬべし。
名利につかはれて静かなるいとまなく、一生を苦しむるこそおろかなれ。
財多ければ身を守るにまどし。
害を買ひ、わづらひをまねくなかだちなり。
身の後には金をして北斗をささふとも、人のためにぞわづらはるべき。
おろかなる人の目を喜ばしむる楽しび、またあぢきなし。
大きなる車、肥えたる馬、金玉のかざりも、心あらむ人は、うたておろかなりとぞ見るべき。
金は山に捨て、玉は淵に投ぐべし。
利にまどふは、すぐれておろかなる人なり。
うづもれぬ名をながき世に残さむこそ、あらまほしかるべけれ。
暗い高くやむごとなきをしも、すぐれたる人とやはいふべき。
おろかにつたなき人も、家に生まれ時にあへば、高き位にのぼり、おごりをきはむるもあり。
いみじかりし賢人、聖人、みづからいやしき位にをり、時にあはずしてやみぬる、また多し。
ひとへに高きつかさ、位を望むも次におろかなり。
知恵と心とこそ、世にすぐれたるほまれも残さまほしきを、つらつら思へば、ほまれを愛するは、人の聞きを喜ぶなり。
ほむる人、そしる人、ともに世にとどまらず、伝へ聞かむ人、またまたすみやかに去るべし。
たれをか恥ぢ、たれにか知られむことを願はん。
ほまれはまたそしりのもとなり。
身の後の名、残りてさらに益なし。
これを願ふも次におろかなり。
ただし、しひて知を求め賢を願ふ人のためにいはば、知恵出でては偽あり。
才能は煩悩の増長せるなり。
伝へて聞き、学びて知るは、まことの知にあらず。
いかなるをか知といふべき。
可不可は一条なり。
いかなるをか善といふ。
まことの人は知もなく、徳もなく、功もなく名もなし。
たれか知りたれか伝へむ。
これ徳をかくし愚をまもるにはあらず。
もとより賢愚得失の境にをらざればなり。
まよひの心をもちて、名利の要をもとむるに、かくのごとし。
万事はみな非なり。
いふに足らず、願ふに足らず。
ある人、法然上人に、「念仏の時、眠りにをかされて行を怠り侍ること、いかがして、この障りをやめはべらむ」と申しければ、「目のさめたらむほど、念仏し給へ」と答へられたりける、いと尊かりけり。
また、「往生は一定と思へば一定、不定と思へば不定なり」と言はれけり。
これも尊し。
また、「疑ひながらも念仏すれば、往生す」とも言はれけり。
これもまた尊し。
因幡国に、何の入道とかやいふ者の娘、かたちよしと聞きて、人あまた言ひわたりけれども、この娘、ただ栗をのみ食ひて、さらに米のたぐひを食はざりければ、「かかる異様のもの、人に見ゆべきにもあらず」とて、親許さざりけり。
五月五日、加茂のくらべ馬を見侍りしに、車の前に雑人立ちへだてて見えざりしかば、おのおの下りて、埒のきはに寄りたれど、ことに人多く立ちこみて、分け入りぬべきやうもなし。
かかるをりに、向ひなるあふちの木に法師の登りて、木のまたについゐて物見るあり。
とりつきながら、いたうねぶりて、落ちぬべき時に目を覚ますことたびたびなり。
これを見る人、あがけりあさみて、「世のしれものかな。かくあやふき枝の上にて、安き心ありてねぶるらむよ」といふに、我が心にふと思ひしままに、「我らが生死の到来、ただ今にもやあらむ。それを忘れて物見て日を暮らす。おろかなることは、なほもまさりたるものを」といひたれば、前なる人ども、「まことにさにこそ候ひけれ。もつともおろかに候ふ」といひて、みな後ろを見かへりて、「ここに入らせ給へ」とて、所をさりて呼び入れ侍りにき。
かほどの理、たれかは思ひ寄らざらむなれども、をりからの思ひかけぬ心地して、胸にあたりけるにや。
人、木石にあらねば、時にとりて感ずることなきにあらず。
唐橋中将といふ人の子に、行雅僧都とて教相の人の師する僧ありけり。
気の上る病ありて、年のやうやうたくるほどに、鼻の中ふたがりて、息も出でがたかりければ、さまざまにつくろひけれど、わづらはしくなりて、目、眉、額などもはれまどひて、うちおほひければ、物も見えず、二の舞の面のやうに見えけるが、ただおそろしく、鬼の顔になりて、目は頂の方につき、額のほど鼻になりなどして、後は坊のうちの人にも見えずこもりゐて、年久しくありて、なほわづらはしくなりて死ににけり。
かかる病もあることにこそありけれ。
春の暮れつ方、のどやかに艶なる空に、いやしからぬ家の、奥深く、木立ものふりて、庭に散りしをれたる花、見過ぐしがたきを、さし入りて見れば、南面の格子、皆おろしてさびしげなるに、東にむきて妻戸のよきほどにあきたる、御簾のやぶれより見れば、かたちきよげなる男の、年二十ばかりにて、うちとけたれど、心にくくのどやかなるさまして、机のうへに文をくりひろげて見ゐたり。
いかなる人なりけむ、尋ね聞かまほし。
あやしの竹の編戸のうちより、いと若き男の、月影に色あひさだかならねど、つややかなる狩衣に、濃き指貫、いとゆゑづきたるさまにて、ささやかなる童一人を具して、はるかなる田の中の細道を、稲葉の露にそぼちつつ分け行くほど、笛をえならず吹きすさびたる、あはれと聞き知るべき人もあらじと思ふに、行かむ方知らまほしくて、見送りつつ行けば、笛を吹きやみて、山の際に惣門あるうちに入りぬ。
榻に立てたる車の見ゆるも、都よりは目とまる心地して、下人に問へば、「しかじかの宮のおはしますことにて、御仏事など候ふにや」と言ふ。
御堂の方に法師ども参りたり。
夜寒の風に誘はれくる空薫物の匂ひも、身にしむ心地す。
寝殿より御堂の廊に通ふ女房の追風用意など、人目なき山里とも言はず、心づかひしたり。
心のままに茂れる秋の野らは、置きあまる露にうづもれて、虫の音かごとがましく、遣水の音のどやかなり。
都の空よりは雲のゆききもはやき心地して、月の晴れ曇ること、定めがたし。
公世の二位のせうとに、良覚僧正と聞こえしは、きはめて腹あしき人なりけり。
坊のかたはらに大きなる榎の木のありければ、人「榎の木の僧正」とぞいひける。
「この名しかるべからず」とて、かの木を切られにけり。
その根のありければ、「きりくひの僧正」といひけり。
いよいよ腹立ちて、きりくひを掘り捨てたりければ、その跡大きなる堀にてありければ、「堀池の僧正」とぞいひける。
柳原の辺に、強盗法印と号する僧ありけり。
たびたび強盗にあひたるゆゑに、この名をつけにけるとぞ。
ある人、清水へ参りたりけるに、老いたる尼の行きつれたりけるが、道すがら、「くさめくさめ」と言ひもて行きければ、「尼御前、何事をかくは宣ふぞ」と問ひけれども、答へもせず、なほ言ひやまざりけるを、たびたび問はれて、うち腹たちて、「やや、鼻ひたる時、かくまじなはねば死ぬるなりと申せば、養ひ君の、比叡山に児にておはしますが、ただ今もや鼻ひ給はむと思へば、かく申すぞかし」と言ひけり。
ありがたき心ざしなりけむかし。
光親卿、院の最勝講奉行して候ひけるを、御前へ召されて供御を出だされて食はせられけり。
さて食ひちらしたる衝重を、御簾の中へさし入れてまかり出でにけり。
女房、「あなきたな、誰にとれとてか」など申しあはれければ、「有職のふるまひ、やむごとなきことなり」
返す返す感ぜさせ給ひけるとぞ。
老来たりて始めて道を行ぜむと待つことなかれ。
古き墳、多くはこれ少年の人なり。
はからざるに病を受けて、たちまちにこの世を去らむとする時にこそ、はじめて過ぎぬる方のあやまれることは知らるるなれ。
あやまりといふは他のことにあらず、すみやかにすべきことをゆるくし、ゆるくすべきことを急ぎて、過ぎにしことのくやしきなり。
そのとき悔ゆともかひあらむや。
人はただ無常の身にせまりぬることを心にひしとかけて、つかの間も忘るまじきなり。
さらば、などかこの世のにごりもうすく、仏道をつとむる心もまめやかならざらむ。
昔ありける聖は、人来たりて自他の要事をいふとき、答へていはく、「今火急のことありて、すでに朝夕にせまれり」とて、耳をふたぎて念仏し、つひに往生を遂げけりと、禅林の十因に侍り。
心戒といひける聖は、あまりにこの世のかりそめなることを思ひて、静かについゐけることだになく、常はうづくまりてのみぞありける。
応長の頃、伊勢国より、女の鬼になりたるをゐてのぼりたりといふことありて、その二十日ばかりに、日ごとに、京、白河の人、鬼見にとて出で惑ふ。
「昨日は西園寺に参りたりし」「今日は院へ参るべし」「ただ今は、そこそこに」など言ひあへり。
まさしく見たりといふ人もなく、虚言と言ふ人もなし。
上下ただ鬼のことのみいひやまず。
その頃、東山より安居院辺へまかり侍りしに、四条よりかみさまの人、皆北をさして走る。
「一条室町に鬼あり」とののしりあへり。
今出川の辺より見やれば、院の御桟敷のあたり、さらに通りうべうもあらず立ちこみたり。
はやく跡なきことにはあらざめりとて、人を遣りて見するに、おほかた逢へる者なし。
暮るるまでかくたち騒ぎて、はては闘諍おこりて、あさましきことどもありけり。
その頃、おしなべて、二三日人のわづらふこと侍りしをぞ、「かの鬼の虚言は、このしるしを示すなりけり」と言ふ人も侍りし。
亀山殿の御池に、大井川の水をまかせられんとて、大井の土民に仰せて、水車を造らせられけり。
多くの銭を給ひて、数日に営み出だして、掛けたりけるに、おほかためぐらざりければ、とかく直しけれども、つひにまはらで、いたづらに立てりけり。
さて、宇治の里人を召して、こしらへさせられければ、やすらかに結ひて参らせたりけるが、思ふやうにめぐりて、水をくみ入るること、めでたかりけり。
よろづにその道を知れる者は、やんごとなきものなり。
仁和寺にある法師、年寄るまで、石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、あるとき思ひ立ちて、ただひとり、徒歩より詣でけり。
極楽寺、高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。
さて、かたへの人にあひて、「年ごろ思ひつること、果たし侍りぬ。聞きしにも過ぎて、たふとくこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。
少しのことにも、先達はあらまほしきことなり。
これも仁和寺の法師、童の法師になりたらんとする名残とて、おのおの遊ぶことありけるに、酔ひて興に入るあまり、かたはらなる足鼎を取りて、頭にかづきたれば、つまるやうにするを、鼻を押し平めて、顔をさし入れて舞ひ出でたるに、満座興に入ること限りなし。
しばしかなでてのち、抜かんとするに、おほかた抜かれず。
酒宴ことさめて、いかがはせんと惑ひけり。
とかくすれば、首のまはり欠けて、血垂り、ただ腫れに腫れみちて、息もつまりければ、打ち割らんとすれど、たやすく割れず。
響きて、堪へがたかりければ、かなはで、すべきやうなくて、三足なる角の上に、帷子をうち掛けて、手を引き杖をつかせて、京なる医師のがり、率て行きける道すがら、人の怪しみ見ること限りなし。
医師のもとにさし入りて、向かひゐたりけむ有様、さこそ異様なりけめ。
ものを言ふもくぐもり声に響きて聞こえず。
「かかることは文にも見えず、伝へたる教へもなし」と言へば、また仁和寺へ帰りて、親しき者、老いたる母など、枕上に寄りゐて泣き悲しめども、聞くらんともおぼえず。
かかるほどに、ある人の言ふやう、「たとひ耳鼻こそ切れ失すとも、命ばかりはなどか生きざらん。ただ力を立てて引き給へ」とて、藁のしべをまはりにさし入れて、かねを隔てて、首もちぎるばかり引きたるに、耳鼻欠けうげながら抜けにけり。
からき命まうけて、久しく病みゐたりけり。
御室に、いみじき児のありけるを、いかでさそひ出だして遊ばむとたくむ法師どもありて、能あるあそび法師どもなどかたらひて、風流の破子やうのもの、ねんごろに営み出でて、箱風情の物にしたため入れて、双の丘の便よきところに埋みおきて、紅葉の散らしかけなど、思ひよらぬさまにして、御所へ参りて、児そそのかし出でにけり。
うれしと思ひて、ここかしこ遊びめぐりて、ありつる苔のむしろに並みゐて、「いたうこそこうじにたれ」、「あはれ紅葉をたかむ人もがな」「験あらむ僧達、祈り試みられよ」など言ひしろひて、埋みつる木のもとに向きて、数珠おしすり、印ことごとしく結び出でなどして、いらなくふるまひて、木の葉をかきのけたれど、つやつや物も見えず。
所の違ひたるにやとて、掘らぬ所もなく山をあされどもなかりけり。
埋みけるを人の見おきて、御所へ参りたる間に盗めるなりけり。
法師ども、言の葉なくて、聞きにくくいさかひ、腹立ちて帰りにけり。
あまりに興あらむとすることは、必ずあいなきものなり。
家の作りやうは、夏をむねとすべし。
冬はいかなる所にも住まる。
暑きころ、わろき住居はたへがたきことなり。
深き水は涼しげなし。
浅くて流れたる、はるかに涼し。
こまかなる物を見るに、遣戸は蔀の間よりも明し。
天井の高きは、冬寒く灯火暗し。
造作は、用なき所を造りたる、見るもおもしろく、よろづの用にも立ちてよしとぞ、人の定めあひ侍りし。
久しく隔たりて会ひたる人の、わが方にありつること、数々に残りなく語り続くるこそ、あいなけれ。
隔てなく馴れぬる人も、ほど経て見るは、恥ずかしからぬかは。
つぎざまの人は、あからさまに立ち出でても、今日ありつることとて、息もつきあへず語り興ずるぞかし。
よき人の物語するは、人あまたあれど、一人に向きて言ふを、おのづから人も聞くにこそあれ。
よからぬ人は、たれともなく、あまたの中にうち出でて、見ることのやうに語りなせば、皆同じく笑ひののしる、いとらうがはし。
をかしきことを言ひても、いたく興ぜぬと、興なきことを言ひても、よく笑ふにぞ、品のほど計られぬべき。
人の見ざまのよしあし、才ある人はそのことなど定め合へるに、おのが身をひきかけて言ひ出でたる、いとわびし。
人の語り出でたる歌物語の、歌のわろきこそ本意なけれ。
少しその道知らん人は、いみじと思ひては語らじ。
すべて、いとも知らぬ道の物語したる、かたはらいたく、聞きにくし。
「道心あらば、住む所にしもよらじ。家にあり、人に交はるとも、後世を願はんに難かるべきかは」といふは、さらに後世知らぬ人なり。
げには、この世をはかなみ、かならず生死をいでむと思はむに、何の興ありてか、朝夕君に仕へ、家を顧みるいとなみの勇ましからん。
心は縁にひかれてうつるものなれば、しづかならでは道は行じがたし。
そのうつはもの、昔の人に及ばず、山林に入りても、飢ゑを助け、あらしを防ぐよすが、なくてはあられぬわざなれば、おのづから、世をむさぼるに似たることも、たよりに触れば、などかなからん。
さればとて、「そむけるかひなし。さばかりならば、なじかは捨てし」などいはんは、むげのことなり。
さすがに、一度道に入りて、世をいとはん人、たとひ望みありとも、勢ある人の、貪欲多きに似るべからず。
紙の衾、麻の衣、一鉢のまうけ、藜の羹、いくばくか人の費えをなさん。
求むる所はやすく、その心は早く足りぬべし。
形に恥づる所もあれば、さはいへど、悪にはうとく、善には近づくことのみぞ多き。
人と産まれたらんしるしにには、いかにもして世をのがれんことこそあらまほしけれ。
ひとへにむさぼることをつとめて、菩提におもむかざらんは、よろづの畜類に変はる所あるまじくや。
大事を思ひ立たむ人は、去りがたく、心にかからむことの本意を遂げずして、さながら捨つべきなり。
「しばし、このこと果てて」「同じくはかのこと沙汰しおきて」「しかしかのこと、人の嘲りやあらむ、行く末難なくしたためまうけて」「年ごろもあれ、そのこと待たむ、ほどあらじ。もの騒がしからぬやうに」など思はむには、えさらぬことのみいとど重なりて、事の尽くる限りもなく、思ひ立つ日もあるべからず。
おほやう、人を見るに、少し心あるきはは、皆このあらましにてぞ一期は過ぐめる。
近き火などに逃ぐる人は、「しばし」とや言ふ。
身を助けむとすれば、恥をも顧みず、財をも捨てて逃れ去るぞかし。
命は人を待つものかは。
無常の来ることは、水火の攻むるよりもすみやかに、逃れがたきものを、その時、老いたる親、いときなき子、君の恩、人の情け、捨てがたしとて捨てざらむや。
真乗院に、盛親僧都とて、やむごとなき知者ありけり。
芋がしらといふ物を好みて、多く食ひけり。
談義の座にても、大きなる鉢にうづ高く盛りて、膝もとにおきつつ食ひながら書をも読みけり。
わづらふことあるには、七日、二七日など、療治とてこもりゐて、思ふやうに、よき芋がしらを選びて、ことに多く食ひて、よろづの病ひをいやしけり。
人に食はすることなし。
ただひとりのみぞひける。
きはめて貧しかりけるに、師匠、死にざまに、銭二百貫と坊一つを譲りたりけるを、坊を百貫に売りて、かれこれ三万疋を芋がしらのあしと定めて、京なる人に預けおきて、十貫づつ取り寄せて、芋がしらをともしからずめしけるほどに、またこと用に用ゐることなくて、そのあし、みなになりにけり。
「三百貫のものを貧しき身にまうけて、かくはからひける、まことにありがたき道心者なり」とぞ、人申しける。
この僧都、ある法師を見て、しろうるりといふ名をつけたりけり。
「とは何物ぞ」と人の問ひければ、「さる物をわれも知らず。もしあらましかば、この僧の顔に似てむ」とぞいひける。
この僧都、みめよく、力強く、大食にて、能書、学匠、弁説、人にすぐれて、宗の法燈なれば、寺中にも重く思はれたりけれども、世をかろく思ひたるくせものにて、よろづ自由にして、おほかた人に従ふといふことなし。
出仕して饗膳などにつく時も、みな人の前すゑわたすを待たず、わが前にすゑぬれば、やがてひとりうち食ひて、帰たければ、ひとりつい立ちて行きけり。
斎、非時も人に等しく定めて食はず、わが食ひたき時、夜なかにもあかつきにも食ひて、ねぶたければ、昼もかけこもりて、いかなる大事あれども、人のいふこと聞き入れず、目さめぬれば幾夜もいねず、心をすましてうそぶきありきなど、よのつねならぬさまなれども、人にいとはれず、よろづ許されけり。
徳の至れりけるにや。
御産のとき甑落とすことは、さだまれることにはあらず。
御胞衣とどこほる時のまじなひなり。
とどこほらせ給はねば、このことなし。
下ざまより事おこりて、させる本説なし。
大原の里の甑を召すなり。
古き宝蔵の絵に、賎しき人の子のうみたる所に、甑落としたるを書きたり。
延政門院いときなくおはしませる時、院へ参る人に御言づてとて申させ給ひける御歌、
♪3 ふたつもじ 牛の角もじ すぐなもじ
ゆがみもじとぞ 君はおぼゆる
こひしく思ひ参らせ給ふとなり。
後七日の阿闍梨、武者をあつむること、いつとかや盗人にあひにけるより、宿直人とて、かくことことしくなりにけり。
一年の相は、この修行の有様にこそ見ゆなれば、兵を用ゐむこと、おだやかならぬことなり。
「車の五緒は、必ず人によらず、ほどにつけて、きはむる官、位に至りぬれば、乗るものなり」とぞ、ある人の仰せられし。
この頃の冠は、昔よりはるかに高くなりたるなり。
古代の冠桶を持ちたる人は、はたを継ぎて、今用ゐるなり。
岡本関白殿、盛りなる紅葉の枝に、鳥一双をそへて、この枝につけて参らすべきよし、御鷹飼、下毛野武勝に仰せられたりけるに、「花に鳥つくるすべ、知り候はず。一枝に二つつくることも、存知候はず」と申しければ、膳部に尋ねられ、人々に問はせ給ひて、また武勝に、「さらば、おのれが思はむやうに付けて参らせよ」と仰せられたりければ、、花もなき梅の枝に、一つを付けて参らせけり。
武勝が申し侍りしは、「柴の枝、梅のつぼみたると散りたるとに付く。五葉などにも付く。枝の長さ七尺、あるひは六尺、返し刀五分に切る。枝の半に鳥を付く。付くる枝、踏まする枝あり。しじら藤のわらぬにて、二所付くべし。藤のさきは、ひうち羽の長にくらべて切りて、牛の角のやうにたはむべし。初雪の朝、枝を肩にかけて、中門より振舞ひて参る。大砌の石を伝ひて、雪に跡をつけず、あまたおほひの毛を少しかなぐり散らして、二棟の御所の高欄に寄せかく。禄を出だしさるれば、肩にかけて、拝して退く。初雪といへども、沓のはなのかくれぬほどのには参らず。あまおほひの毛を散らすことは、鷹は、よわ腰をとることなれば、御鷹の取りたるよしなるべし」と申しき。
(以降字下げもしくは小字:諸本共通)
花に鳥つけずとは、いかなるゆゑにかありけむ。
長月ばかりに、梅の作り枝に、雉を付けて、「君がためにと祈る花は時しも分かぬ」と言へること、伊勢物語に見えたり。
造り花は苦しからぬにや。
加茂の岩本、橋本は、業平、実方なり。
人の常に言ひまがへ侍れば、一年参りたりしに、老いたつ宮司の過ぎしを呼びとどめて、尋ね侍りしに、「実方は、御手洗に影のうつりける所と侍れば、橋本や、なほ水の近ければと覚え侍る。
吉水和尚、
♪4 月をめで 花をながめし いにしへの
やさしき人は ここにありはら
とよみ給ひけるは、岩本の社とこそ承りおき侍れど、おのれらよりは、なかなか御存知などもこそさぶらはめ」と、いとうやうやしく言ひたりしこそ、いみじく覚えしか。
今出川院近衛とて、集どもにあまた入りたる人は、若かりける時、常に百首の歌をよみて、かの二つの社の御前の水にて書きて手向けられけり。
誠にやんごとなき誉れありて、人の口にある歌多し。
作文、詩序など、いみじく書く人なり。
筑紫に、なにがしの押領使などいふやうなるもののありけるが、土大根をよろづにいみじき薬とて、朝ごとに二つづつ焼きて食ひける事、年久しくなりぬ。
ある時、館の内に人もなかりけるひまをはかりて、敵襲ひ来たりて囲み攻めけるに、館の内に兵二人出で来て命を惜しまず戦ひて、皆追ひ返してげり。
いと不思議に覚えて、「日ごろここにものし給ふとも見ぬ人々の、かく戦ひし給ふは、いかなる人ぞ」と問ひければ、「年ごろ頼みて朝な朝な召しつる土大根らにさふらふ」と言ひて失せにけり。
深く信をいたしぬれば、かかる徳もありけるにこそ。
書写の上人は、法華読誦の功つもりて、六根浄にかなへる人なりけり。
旅の仮屋に立ち入られけるに、豆の殻を焚きて豆を煮ける音のつぶつぶとなるを聞き給ひければ、「うとからぬおのれらしも、恨めしく我をば煮て、辛き目を見するものかな」といひけり。
焚かるる豆殻のはらはらと鳴る音は、「我が心よりすることかは。焼かるるはいかばかり堪へがたけれども、力なきことなり。かくな恨み給ひそ」とぞ聞こえける。
元応の清暑堂の御遊に、玄上は失せにし頃、菊亭大臣、牧馬を弾じ給ひけるに、座に着きて、まづ柱をさぐられたりければ、ひとつ落ちにけり。
御懐にそくひを持ち給ひたるにて、つけられにければ、神供の参るほどによく干て、ことゆゑなかりけり。
いかなる意趣かありけん、物見ける衣かづきの、寄りて放ちて、もとのやうに置きたりけるとぞ。
名を聞くより、やがて面影は推しはからるる心地するを、見るときは、また、かねて思ひつるままの顔したる人こそなけれ。
昔物語を聞きても、このごろの人の家の、そこほどにてぞありけんと覚え、人も、今見る人の中に思ひよそへらるるは、たれもかく覚ゆるにや。
また、いかなるをりぞ、ただいま人の言ふことも、目に見ゆるものも、わが心のうちも、かかることのいつぞやありしかと覚えて、いつとは思ひいでねども、まさしくありし心地のするは、我ばかりかく思ふにや。
賎しげなるもの。
居たるあたりに調度の多き。
硯に附での多き。
持仏堂に仏の多き。
前裁に石、草木の多き。
家の内に子、孫の多き。
人にあひて詞の多き。
願文に作善多く書きのせたる。
多くて見苦しからぬは、文車の文、塵塚の塵。
世に語り伝ふること、まことはあいなきにや、多くはみなそらごとなり。
あるにも過ぎて、人はものをいひなすに、まして年月過ぎ、境も隔たりぬれば、いひたきままに語りなして、筆にも書きとどめぬれば、やがて定まりぬ。
道々の物の上手のいみじきことなど、かたくななる人のその道知らぬは、そぞろに神のごとくにいへども、道知れる人はさらに信もおこさず。
音に聞くと見る時とは、何事もかはるものなり。
かつあらはるるをも顧みず、口にまかせていひちらすは、やがて浮きたることと聞こゆ。
また、われもまことしからず思ひながら、人のいひしままに、鼻のほどをうごめきていふは、その人のそらごとにはあらず。
げにげにしく、所々うちおぼめき、よく知らぬよしして、さりながらつまづま合はせて語るそらごとは、恐ろしきことなり。
わがため面目あるやうにいはれぬるそらごとは、人いたくあらがはず。
みな人の興ずるそらごとは、ひとり「さもなかりしものを」といはむもせんなくて、聞きゐたるほどに、証人にさへなされて、いとど定まりぬべし。
とにもかくにも、そらごと多き世なり。
ただ常にある、珍しからぬことのままに心得たらむ、よろづたがふべからず。
下ざまの人の物語は、耳驚くことのみあり。
よき人は怪しきことを語らず。
かくはいへど、仏神の奇特、権者の伝記、さのみ信ぜざるべきにもあらず。
これは、世俗のそらごとをねんごろに信じたるもをこがましく、「よもあらじ」などいふもせんなければ、おほかたはまことしくあひしらひて、ひとへに信ぜず、また疑ひあざけるべからず。
蟻のごとくに集まりて、東西に急ぎ、南北に走る。
高きあり、賎しきあり。
老いたるあり、若きあり。
行く所あり、帰る家あり。
夕に寝ねて朝に起く。
いとなむ所何事ぞや。
生を貪り、利を求めてやむ時なし。
身を養ひて何事をか待つ。
期する処、ただ老と死とにあり。
その来る事すみやかにして、念々の間にとどまらず。
是を待つ間、何の楽しびかあらん。
まどへる者はこれを恐れず。
名利におぼれて先途の近きことを顧みねばなり。
愚かなる人は、なたこれを悲しぶ。
常住ならんことを思ひて、変化の理を知らねばなり。
つれづれわぶる人は、いかなる心ならむ。
まぎるるかたなく、ただひとりあるのみこそよけれ。
世に従へば、心、外の塵に奪はれてまどひやすく、人に交はれば、ことばよその聞きにしたがひて、さながら心にあらず。
人にたはぶれ、者にあらそひ、ひとたびはうらみ、ひとたびはよろこぶ。
そのこと定まれることなし。
分別みだりに起こりて、得失やむ時なし。
まどひの上に酔へり。
酔の中に夢をなす。
走りていそがはしく、ほれて忘れたること、人みなかくのごとし。
いまだまことの道を知らずとも、縁を離れて身を静かにし、事にあづからずして心をやすくせむこそ、しばらく楽しぶともいひつべけれ。
「生活、人事、伎能、学問等の諸縁をやめよ」とこそ、摩訶止観にもはべれ。
世のおぼえはなやかなるあたりに、嘆きも喜びもありて、人多く行き訪ふ中に、聖法師のまじりて、いひ入れたたずみたるこそ、さらずともと見ゆれ。
さるべき故ありとも、法師は人にうとくてありなん。
世の中に、その頃人のもてあつかひぐさに言ひあへる事、いろふべきにはあらぬ人の、よく案内知りて、人にも語り聞かせ、問ひ聞きたるこそうけられね。
ことに、かたほとりなる聖法師などぞ、世の人の上は、わがごとく尋ね聞き、いかでかばかりは知りけむとおぼゆるまでぞ、言ひ散らすめる。
今様のことどもの珍しきを、いひひろめもてなすこそ、またうけられね。
世にこと古りたるまで知らぬ人はにくし。
今さらの人などのある時、ここもとにいひつけたることぐさ、物の名など、心得たるどち、片はしいひかはし、目見あはせ、笑ひなどして、心知らぬ人に心得ず思はすること、世なれずよからぬ人の必ずあることなり。
何事も入りさましたるぞよき。
よき人は知りたることとて、さのみ知り顔にやはいふ。
片ゐなかよりさしいでたる人こそ、よろづの道に心得たるよしの、さしいらへはすれ。
されば、世に恥づかしき方もあれど、みづからもいみじと思へるけしき、かたくななり。
よくわきまへたる道には、必ず口重く、問はぬかぎりは言はぬこそいみじけれ。
人ごとに、我が身にうとき事をのみぞ好める。
法師は兵の道を立て、夷は弓ひくひつ術知らず、仏法知りたる気色し、連歌し、管絃を嗜みあへり。
されど、おろかなるおのれが道よりは、なほ人に思ひ侮られぬべし。
法師のみにもあらず、上達部、殿上人、上ざままでおしなべて、武を好む人多かり。
百度戦ひて百度勝つとも、いまだ武勇の名を定めがたし。
その故は、運に乗じて敵を砕く時、勇者にあらずといふ人なし。
兵尽き、矢窮まりて、つひに敵に降らず、死をやすくして後、始めて名をあらはすべき道なり。
生けらんほどは、武に誇るべからず。
人倫に遠く、禽獣に近きふるまひ、その家にあらずは、好みて益なきことなり。
屏風、障子などの絵も文字も、かたくななる筆様して書きたるが、見にくきよりも、宿の主のつたなく覚ゆるなり。
大方持てる調度にても、心おとりせらるる事はありぬべし。
さのみよき物を持つべしとにもああらず。
損ぜざらんためとて、品なくみにくきさまにしなし、めづらしからんとて、用なきことども添へ、わづらはしく好みなせるをいふなり。
古めかしきやうにて、いたくことことしからず、費もなくて、物がらのよきがよきなり。
「うすものの表紙は、とく損ずるがわびしき」と人の言ひしに、頓阿が、「羅は上下はつれ、螺鈿の軸は貝落ちて後こそいみじけれ」と申し侍りしこそ、心まさりて覚えしか。
一部と有る草子などの、おなじようにもあらぬを見にくしといへど、弘融僧都が、「物を必ず一具にととのへんとするは、つたなきもののする事なり。不具なるこそよけれ」と言ひしも、いみじく覚えしなり。
「すべて何も皆、ことのととのほりたるはあしき事なり。し残したるを、さてうち置きたるは、面白く、いきのぶるわざなり。内裏造らるるにも、必ず作り果てぬ所を残す事なり」と、ある人申し侍りしなり。
先賢のつくれる内外の文にも、章段の欠けたる事のみこそ侍れ。
竹林院入道左大臣殿、太政大臣にあがり給はんに、なにの滞りかおはせんなれども、「めづらしげなし。一の上にてやみなん」とて、出家し給ひて、相国の望みおはせざりけり。
「亢龍の悔あり」とかやいふこと侍るなり。
月満ちては欠け、物盛りにしては衰ふ。
万の事、さきのつまりたるは、破れに近き道なり。
法顕三蔵の、天竺に渡りて、ふるさとの扇を見ては悲しび、病にふしては漢の食を願ひ給ひけることを聞きて、「さばかりの人の。むげにこそ、心弱きけしきを人の国にて見え給ひけれ」と人のいひしに、弘融僧都、「優に情けありける三蔵かな」といひたりしこそ、法師のやうにもあらず、心にくく覚えしか。
人の心すなほならねば、いつはりなきにしもあらず。
されども、おのづから正直の人、などかなからむ。
おのれすなほならねど、人の賢を見てうらやむは世の常なり。
いたりて愚かなる人は、たまたま賢なる人を見て、これを憎む。
「大きなる利を得むがために少しきの利を受けず、いつはり飾りて名を立てむとす」とそしる。
おのれが心にたがへるによりて、この嘲りをなすにて知りぬ。
この人は下愚の性うつるべからず、いつはりて小利をも辞すべからず、かりにも賢を学ぶべからず。
狂人のまねとて大路を走らば、すなはち狂人なり。
悪人のまねとて人を殺さば悪人なり。
驥をまなぶは驥のたぐひ、舜をまなぶは舜の徒なり。
いつはりても賢をまなばむを賢といふべし。
惟継中納言は、風月の才に富める人なり。
一生精進にて、読経うちして、寺法師の円伊僧正と同宿して侍りけるに、文保に三井寺焼かれし時、坊主にあひて、「御坊をば寺法師とこそ申しつれど、寺はなければ、今よりは法師とこそ申さめ」と言はれけり。
いみじき秀句なり。
下部に酒飲ますることは、心すべきことなり。
宇治に住み侍りける男、京に具覚坊とてなまめきたる遁世の僧を、小舅なりければ、常に申しむつびけり。
ある時迎へに馬をつかはしたりければ、「はるかなるほどなり。口つきの男にまづ一度せさせよ」とて酒をいだしたれば、さし受けさし受け、よよと飲みぬ。
太刀うちはきてかひがひしげなれば、たのもしくおぼえて、召し具して行くほどに、木幡のほどにて、奈良法師の兵士あまた具してあひたるに、この男立ちむかひて、「日暮れにたる山中にあやしきぞ。とまり候へ」といひて太刀をひきぬきければ、人もみな、太刀抜き矢はげなどしけるを、具覚坊手をすりて、「現心なく酔ひたるものに候ふ。まげて許したまはらむ」といひければ、おのおの嘲けり過ぎぬ。
この男具覚坊にあひて、「御坊は口をしきことをし給ひつるものかな。おのれ酔ひたること侍らず。高名つかまつらむとするを、ぬける太刀むなしくなし給ひつること」と怒りて、ひた切りに切り落しつ。
さて、「山だちあり」とののしりければ、里人おこりていであへば、「われこそ山だちよ」といひて、走りかかりつつ切り廻りけるを、あまたして手おほせ、うち伏してしばりけり。
馬は血つきて、宇治大路の家に走り入りたり。
あさましくて、男どもあまた走らかしたれば、具覚坊はくちなし原によひ伏したるを、求めいでてかきもて来つ。
からき命生きたれど、腰切り損ぜられて、かたはになりにけり。
ある者、小野道風の書ける和漢朗詠集とて持ちたりけるを、ある人、「御相伝、浮けることには侍らじなれども、四条大納言選ばれたるものを、道風書かむこと、時代や違ひ侍らむ、おぼつかなくこそ」といひければ、「さ候へばこそ、世にありがたきものには侍りけれ」とて、いよいよ秘蔵しけり。
「奥山に猫またといふものありて、人をくらふなる」と人のいひけるに、「山ならねども、これらにも、猫の経あがりて、猫またになりて、人とることはあなるものを」といふ者ありけるを、何阿弥陀仏とかや、連歌しける法師の、行願寺のほとりにありけるが聞きて、ひとりありかむ身は心すべきことにこそと思ひけるころしも、ある所にて、夜ふくるまで連歌にて、ただひとり帰りけるに、小川のはたてにて、音に聞きし猫また、あやまたず足のもとへふとより来て、やがてかきつくままに、頚のほどを食はむとす。
肝心も失せて、防がむとするに力もなく、足も立たず、小川へころび入りて、「助けよや、猫また、よやよや」と叫べば、家々より松どもともして走りよりて見れば、このわたりに見知れる僧なり。
「こはいかに」とて川の中より抱き起こしたれば、連歌の賭物取りて、扇、小箱など懐に持ちたりけるも水に入りぬ。
希有にして助かりたるさまにて、はふはふ家に入りにけり。
飼ひける犬の、暗けれど主を知りて、飛びつきたりけるとぞ。
大納言法印の召し使ひし乙鶴丸、やすら殿といふ者を知りて、常に行き通ひしに、ある時出でて帰り来たるを、法印、「いづくへ行きつるぞ」と問ひしかば、「やすら殿のがりまかりて候ふ」と言ふ。
「そのやすら殿は、男か法師か」とまた問はれて、袖かきあはせて、「いかが候ふらん。頭をば見候はず」と答へ申しき。
などか頭ばかりの見えざりけん。
赤舌日といふこと、陰陽道には沙汰なき事なり。
昔の人これを忌まず。
このころ、何者の言ひ出でて忌み始めけるにか、「この日ある事、末とほらず」と言ひて、その日言ひたりしこと、したりしこと、かなはず、得たりし物は失ひつ、企てたりし事ならずと言ふ、愚かなり。
吉日をえらびてなしたるわざの、末とほらぬを数へて見んも、また等しかるべし。
そのゆゑは、無常変易の境、有りと見るものも存ぜず、始めある事も終りなし。
志は遂げず、望みは絶えず。
人の心不定なり。
物皆幻化なり。
何事か暫くも住する。
この理を知らざるなり。
「吉日に悪をなすに必ず凶なり。悪日に善をおこなふに、必ず吉なり」と言へり。
吉凶は人によりて、日によらず。
ある人、弓射ることを習ふに、諸矢をたばさみて的に向かふ。
師のいはく、「初心の人、二つの矢を持つことなかれ。のちの矢を頼みて、初めの矢になほざりの心あり。毎度ただ得失なく、この一矢に定むべしと思へ」と言ふ。
わづかに二つの矢、師の前にて一つをおろかにせんと思はんや。
懈怠の心、みづから知らずといへども、師これを知る。
このいましめ、万事にわたるべし。
道を学する人、夕には朝あらんことを思ひ、朝には夕あらんことを思ひて、重ねてねんごろに修せんことを期す。
いはんや一刹那の内において、懈怠の心あることを知らんや。
何ぞ、ただ今の一念において、ただちにすることのはなはだ難き。
「牛を売る者あり。買ふ人、あすその価をやりて牛を取らむといふ。夜の間に牛死ぬ。買はむとする人に利あり、売らむとする人に損あり」と語る人あり。
これを聞きて、かたへなる者のいはく、「牛の主まことに損ありといへども、また大きなる利あり。そのゆゑは、生あるもの、死の近きことを知らざること、牛すでにしかなり。人また同じ。はからざるに牛は死し、はからざるに主は存せり。一日の命、万金よりも重し。牛の価、鵝毛よりも軽し。万金を得て一銭を失はむ人、損ありといふべからず」といふに、みな人あざけりて、「そのことわりは牛の主に限るべからず」といふ。
またいはく、「されば、人死をにくまば生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらむや。愚かなる人、この楽しびを求め、この財を忘れて、あやふく他の財をむさぼるには、志満つことなし。生ける間生を楽しまずして、死に臨みて死を恐れば、このことわりあるべからず。人みな生を楽しまざるは、死を恐れざるゆゑなり。死を恐れざるにはあらず、死の近きことを忘るるなり。もしまた生死の相にあづからずといはば、まことのことわりを得たりといふべし」といふに、人いよいよあざける。
常盤井相国、出仕し給ひけるに、勅書を持ちたる北面あひ奉りて、馬よりおりたりけるを、相国、後に、「北面なにがしは、勅書を持ちながら下馬し侍りし者なり。かほどの者、いかでか君につかまつり候ふべき」と申されければ、北面を放たれにけり。
勅書を馬の上から捧げて見せ奉るべし、おるべからずとぞ。
「箱のくりかたに緒をつくること、いづかたにつけ侍るべきぞ」と、ある有識の人に尋ね申し侍りしかば、「軸につけ、表紙につくること、両説なれば、いづれも難なし文の箱は、多くは右につく。手箱には軸につくるも常なり」仰せられき。
めなもみといふ草あり。
くちばみにさされたる人、かの草を揉みて付けぬれば、則ち癒ゆとなむ。
見て知りておくべし。
その物につきて、その物を費しそこなふ物、数を知らずあり。
身に虱あり、家に鼠あり、国に賊あり、小人に財あり、君子に仁義あり、僧に法あり。
尊きひじりの言ひ置きける事を書き付けて、一言芳談とかや名づけたる草子を見侍りしに、心に合ひて覚えし事ども、
一 しやせまし、せずやあらましと思ふ事は、おほやうは、せぬはよきなり。
一 後世を思はむ者は、糂汰瓶一つも持つまじきことなり。持経。本尊にいたるまで、よき物を持つ、よしなき事なり。
一 遁世者は、無きに事欠けぬやうをはからひて過ぐる、最上のやうにてあるなり。
一 上藹は下藹になり、智者は愚者になり、徳人は貧になり、能ある人は無能になるべきなり。
一 仏道を願ふといふは、別の事なし。いとまある身になりて、世の事を心にかけぬを第一とする。
この外もありし事ども、おぼえず。
堀川相国は、美男のたのしき人にて、そのこととなく過差を好み給ひけり。
御子基俊卿を大理になして、庁務おこなはれけるに、庁屋の唐櫃見ぐるしとて、めでたく作り改めらるべきよし仰せられけるに、この唐櫃は、上古より伝はりて、その始めを知らず、数百年を経たり。
累代の公物、古弊を持ちて規模とす、たやすく改めがたきよし、故実の諸官等申しければ、その事やみにけり。
久我相国は、殿上にて水を召しけるに、主殿司、土器を奉りければ、「まがりを参らせよ」とて、まがりしてぞ召しける。
ある人、任大臣の節会の内弁を勤められけるに、内記の持ちたる宣命を取らずして、堂上せられにけり。
きはまりなき失礼なれども、立ち帰り取るべきにもあらず、思ひわづらはれけるに、六位外記康綱、衣かづきの女房を語らひて、かの宣命を持たせて、忍びやかに奉らせにけり。
いみじかりけり。
尹大納言光忠入道、追儺の上卿をつとめられけるに、洞院の右大臣殿に次第を申し請けられければ、「又五郎男を師とするより外の才覚候はじ」とぞ、宣ひける。
かの又五郎は、老いたる衛士の、よく公事になれたる者にてぞありける。
近衛殿着陣し給ひける解き、軾を忘れて、外記を召されければ、火たきて候ひけるが、「まづ軾を召さるべく候ふらん」と、しのびやかにつぶやきける、いとをかしかりけり。
大覚寺殿にて、近習の人ども、なぞなぞを作りて、解かれける所へ、医師忠守参りたりけるに、侍従大納言公明卿、「我が朝の者とも見えぬ忠守かな」と、なぞなぞにせられにけるを、「唐瓶子」と解きて笑ひあはれければ、腹立ちて退り出でにけり。
荒れたる宿の、人目なきに、女の、憚る事あるころにて、つれづれと篭り居たるを、ある人、とぶらひ給はんとて、夕月夜のおぼつかなきほどに、忍びて尋ねおはしたるに、犬のことごとしくとばうれば、下衆女の、出でて、「いづくよりぞ」と言ふに、やがて案内せさせて、入り給ひぬ。
心細げなる有様、いかで過ぐすらんと、いと心苦し。
あやしき板敷にしばし立ち給へるを、もてしづめたるけはひの、若やかなるして、「こなた」と言ふ人あれば、たてあけ所狭げなる遣戸よりぞ入り給ひぬる。
内のさまは、いたくすさまじからず、心にくく、火はあなたにほのかなれど、もののきらなど見えて、俄かにしもあらぬ匂ひいとなつかしう住みなしたり。
「門よくさしてよ。雨もぞ降る、御車は門の下に、御供の人はそこそこに」と言へば、「今宵ぞ安き寝は寝べかめる」とうちささめくも、忍びたれど、ほどなければ、ほの聞こゆ。
さて、このほどの事ども細やかに聞こえ給ふに、夜深き鳥も鳴きぬ。
来し方、行く末かけてまめやかなる御物語に、このたびは鳥もはなやかなる声にうちしきれば、明けはなるるにやと聞き給へど、夜深く急ぐべき所のさまにもあらねば、少したゆみ給へるに、隙白くなれば、忘れ難き事など言ひて立ち出で給ふに、梢も庭もめづらしく青みわたりたる卯月ばかりの曙、艶にをかしかりしを思し出でて、桂の木の大きなるが隠るるまで、今も見送り給ふとぞ。
北の屋かげに消え残りたる雪の、いたう凍りたるに、さし寄せたる車の轅も、霜いたくきらめきて、有明の月さやかなれども、くまなくはあらぬに、人離れなる御堂の廊に、なみなみにはあらずと見ゆる男、女と長押に尻かけて物語するさまこそ、何ごとにかあらむ、尽きすまじけれ。
かぶしかたちなど、いとよしと見えて、えもいはぬ匂ひの、さと薫りたるこそ、をかしけれ。
けはひなど、はつれはつれ聞こえたるもゆかし。
高野の証空上人、京へのぼりけるに、細道にて、馬に乗りたる女の行きあひたりけるが、口ひける男、あしくひきて、聖の馬を堀へ落としてけり。
聖いと腹あしくとがめて、「こは希有の狼籍かな。四部の弟子はよな、比丘よりは比丘尼は劣り、比丘尼より優婆塞は劣り、優婆塞より優婆夷は劣れり。かくのごとくの優婆夷などの身にて、比丘を堀へ蹴入れさする、未曾有の悪行なり」といはれければ、口ひきの男、「いかに仰せらるるやらむ、えこそ聞き知らね」といふに、上人なほいきまきて、「何といふぞ、非修非学の男」とあららかにいひて、きはまりなき放言しつと思ひけるけしきにて、馬ひきかへして逃げられにけり。
「女の物言ひかけたる返事、とりあへず、よきほどにする男はありがたきものぞ」とて、亀山院の御時、しれたる女房ども、若き男達の参らるるごとに、「郭公や聞き給へる」と問ひて心見られけるに、某の大納言とかやは、「数ならぬ身は、え聞き給はず」と答へられけり。
堀川内大臣殿は、「岩倉にて聞きて候ひしやらん」と仰せられたりけるを、「これは難なし。数ならぬ身、むつかし」など定め合はれけり。
すべて、男をば、女に笑はれぬやうにおほしたつべしとぞ。
「浄土寺前関白殿は、幼くて安喜門院のやく教へ参らせさせ給ひける故に、御詞などのよきぞ」と、人の仰せられけるとかや。
山階左大臣殿は、「あやしの下女の見奉るも、いと恥づかしく、心づかひせらるる」とこそ仰せられけれ。
女のなき世なりせば、衣文も冠も、いかにもあれ、ひきつくろふ人も侍らじ。
かく人に恥ぢらるる女、いかばかりいみじきものぞと思ふに、女の性は皆ひがめり。
人我の相深く、貪欲甚だしく、物の理を知らず。
ただ、迷ひの方に心も速く移り、詞も巧みに、苦しからぬ事をも問ふ時は言はず。
用意あるかと見れば、また、あさましき事まで問はず語りに言ひ出だす。
深くたばかり飾れる事は、男の智恵にもまさりたるかと思へば、その事、あとよりあらはるるを知らず。
すなほならずして拙きものは、女なり。
その心に従ひてよく思はれん事は、心憂かるべし。
されば、何かは女の恥づかしからん。
もし賢女あらば、それもものうとく、すさまじかりなん。
ただ、迷ひを主としてかれに従ふ時、やさしくも、面白くも覚ゆべき事なり。
寸陰惜しむ人なし。
これ、よく知れるか、愚かなるか。
愚かにして怠る人のために言はば、一銭軽しといへども、これを重ぬれば、貧しき人を富める人となす。
されば、商人の、一銭を惜しむ心、切なり。
刹那覚えずといへども、これを運びて止まざれば、命を終ふる期、たちまちに至る。
されば、道人は、遠く日月を惜しむべからず。
ただ今の一念、空しく過ぐる事を惜しむべし。
もし、人来りて、我が命明日は必ず失はるべしと告げ知らせたらんに、今日の暮るる間、何事をか頼み、何事をか営まん。
我等が生ける今日の日、何ぞ、その時節に異ならん。
一日のうちに、飲食、便利、睡眠、言語、行歩、止む事を得ずして、多くの時を失ふ。
その余りのいとまいくばくならぬうちに、無益の事をなし、無益の事を言ひ、無益の事を思惟して時を移すのみならず、日を消し、月を亘りて、一生を送る、尤も愚かなり。
謝霊運は、法華の筆受なりしかども、心常に風雲の思ひを観ぜしかば、恵遠、白蓮の交はりを許さざりき。
しばらくもこれなき時は、死人に同じ。
光陰何のためにか惜しむとならば、内に思慮なく、外に世事なくして、止まん人は止み、修せん人は修せよとなり。
高名の木登りといひし男、人をおきてて、高き木に登せて梢を切らせしに、いと危ふく見えしほどは言ふこともなくて、降るるときに、軒たけばかりになりて、「あやまちすな。心して降りよ」とことばをかけ侍りしを、「かばかりになりては、飛び降るとも降りなん。いかにかく言ふぞ」と申し侍りしかば、「そのことにさうらふ。目くるめき、枝危ふきほどは、己が恐れはべれば申さず。あやまちは、やすき所になりて、必ずつかまつることにさうらふ」と言ふ。
あやしき下臈なれども、聖人の戒めにかなへり。
まりも、かたき所を蹴いだしてのち、やすく思へば、必ず落つと侍るやらん。
双六の上手といひし人に、そのてだてを問ひ侍りしかば、「勝たんとうつべからず。負けじとうつべきなり。いづれの手か疾く負けぬべきと案じて、その手をつかはずして、一めなりともおそく負くべき手につくべし」といふ。
道を知れる教へ、身を修め、国を保たむ道もまたしかなり。
「囲碁、双六好みて明かし暮らす人は、四重、五逆にもまされる悪事とぞ思ふ」と、ある聖の申しし事、耳に止まりて、いみじく覚え侍り。
明日は遠き国へ赴くべしと聞かん人に、心静かになすべからんわざをば、人言ひかけてんや。
俄かの大事をも営み、切に歎く事もある人は、他の事を聞き入れず、人の愁へ、喜びをも問はず。
問はずとて、などやと恨むる人もなし。
されば、年もやうやう闌け、病にもまつはれ、況んや世をも遁れたらん人、またこれに同じかるべし。
人間の儀式、いづれの事か去り難からぬ。
世俗の黙し難きに従ひて、これを必ずとせば、願ひも多く、身も苦しく、心の暇もなく、一生は、雜事の小節にさへられて、空しく暮れなん。
日暮れ、塗遠し。
吾が生すでに蹉跎たり。
諸縁を放下すべき時なり。
信をも守らじ。
礼儀をも思はじ。
この心をも得ざらん人は、物狂ひとも言へ。
うつつなし、情けなしとも思へ。
毀るとも苦しまじ。
誉むとも聞き入れじ。
四十にも余りぬる人の、色めきたる方、おのづから忍びてあらんはいかがはせん、言に打ち出でて、男、女の事、人の上をも言ひ戯るるこそ、にげなく、見苦しけれ。
大方、聞きにくく、見苦しき事、老人の、若き人に交はりて、興あらんと物言ひゐたる。
数ならぬ身にて、世の覚えある人を隔てなきさまに言ひたる。
貧しき所に、酒宴好み、客人に饗応せんときらめきたる。
今出川の大殿、嵯峨へおはしけるに、有栖川のわたりに、水の流れたる所にて、賽王丸、御牛を追ひたりければ、あがきの水、前板までささとかかりけるを、為則、御車のしりに候ひけるが、「希有の童かな。かかる所にて御牛をば追ふものか」と言ひたりければ、大殿、御気色悪しくなりて、「おのれ、車やらん事、賽王丸にまさりてえ知らじ。希有の男なり」とて、御車に頭を打ち当てられにけり。
この高名の賽王丸は、太秦殿の男、料の御牛飼ぞかし。
この太秦殿に侍りける女房の名ども、一人はひざさち、一人はことづち、一人ははふばら、一人はおとうしと付けられけり。
宿河原といふ所にて、ぼろぼろ多く集まりて、九品の念仏を申しけるに、外より入り来たるぼろぼろの、「もし、この御中に、いろをし房と申すぼろやおはします」と尋ねければ、その中より、「いろをし、ここに候ふ。かく宣ふは、誰そ」と答ふれば、「しら梵字と申す者なり。己が師、なにがしと申しし人、東国にて、いろをしと申すぼろに殺されけりと承りしかば、その人に逢ひ奉りて、恨み申さばやと思ひて、尋ね申すなり」と言ふ。
いろをし、「ゆゆしくも尋ねおはしたり。さる事侍りき。ここにて対面し奉らば、道場を汚し侍るべし。前の河原へ参りあはん。あなかしこ、わきざしたち、いづ方をもみつぎ給ふな。あまたのわづらひにならば、仏事の妨げに侍るべし」と言ひ定めて、二人、河原へ出であひて、心行くばかりにに貫き合ひて、共に死ににけり。
ぼろぼろといふもの、昔はなかりけるにや。
近き世に、ぼろんじ、梵字、漢字など言ひける者、その始めなりけるとか。
世を捨てたるに似て我執深く、仏道を願ふに似て闘諍を事とす。
放逸、無慙の有様なれど、死を軽くして、少しもなづまざるかたのいさぎよく覚えて、人の語りしままに書き付け侍るなり。
寺院の号、さらぬよろづのものにも、名をつくること、昔の人は少しも求めず、ただありのままに、やすくつけるなり。
このごろは、深く案じ、才覚をあらはさむとしたるやうに聞こゆる、いとむつかし。
人の名も、目なれぬ文字をつかむとする、益なきことなり。
何事も、珍しきことを求め、異説を好むは、浅才の人の必ずあることなりとぞ。
友とするにわろきもの七つあり。
一つには高くやむごとなき人、二つには若き人、三つには病なく、身強き人、四つには酒を好む人、五つにはたけく勇めるつはもの、六つにはそらごとする人、七つには欲深き人。
よき友三つあり。
一つには物くるる友、二つにはくすし、三つには知恵ある友。
鯉の羹食ひたる日には、鬢そそけずとなん。
膠に作るものなれば、粘りたるものにこそ。
鯉ばかりこそ、御前にても切らるるものなれば、やんごとなき魚なり。
鳥には雉、さうなきものなり。
雉、松茸などは、御湯殿の上にかかりたるも苦しからず。
そのほかは、心うき事なり。
中宮の御方の御湯殿の上の黒み棚に雁の見えつるを、北山入道殿の御覧じて、帰らせ給ひて、やがて御文にて、「かやうのもの、さながら、そのすがたにて御棚にゐて候ひし事、見慣はず、さまあしきことなり。はかばかしき人の候はぬ故にこそ」など申されたりけり。
鎌倉の海に、鰹といふ魚は、かの境ひには、さうなきものにて、この頃もてなすものなり。
それも、鎌倉の年寄りの申し侍りしは、「この魚、おのれら若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出づる事侍らざりき。頭は、下部も食はず、切りて捨て侍りしものなり」と申しき。
かやうの物も、世の末になれば、上ざままでも入りたつわざにこそ侍れ。
唐のものは、薬のほかは、なくとも事欠くまじ。
ふみどもは、この国に多く広まりぬれば、書きも写してむ。
もろこし舟の、たやすからぬ道に、無用の物どものみ取り積みて、所せくも渡しもて来る、いと愚かなり。
「遠き物を宝とせず」とも、また、「得がたき宝を貴まず」とも、ふみにも侍るとかや。
養ひ飼ふものには、馬、牛。
つなぎ苦しむるこそいたましけれど、なくてかなはぬものなれば、いかがはせむ。
犬は、守り防ぐつとめ、人にもまさりたれば、必ずあるべし。
されど、家ごとにあるものなれば、ことさらに求め飼はずともありなむ。
そのほかの鳥、獣、すべて用なきものなり。
走る獣は檻にこめ、くさりをさされ、飛ぶ鳥は翼を切り、篭に入れられて、雲を恋ひ、野山を思ふ憂へ、やむときなし。
その思ひ、わが身にあたりて忍びがたくは、心あらむ人、これを楽しまむや。
生を苦しめて目を喜ばしむるは、桀、紂が心なり。
王子猷が鳥を愛せし、林に楽しぶを見て、逍遥の友としき。
とらへ苦しめたるにあらず。
「およそ珍しき禽、あやしき獣、国に養はず」とこそ、文にも侍るなれ。
人の才能は、文あきらかにして、聖の教を知れるを第一とす。
次には手書く事、むねとする事はなくとも、これを習ふべし。
学問に便あらむためなり。
次に医術を習ふべし。
身を養ひ、人を助け、忠孝のつとめも、医にあらずはあるべからず。
次に弓射、馬に乗る事、六芸に出だせり。
必ずこれをうかがふべし。
文、武、医の道、誠に欠けてはあるべからず。
これを学ばむをば、いたづらなる人といふべからず。
次に、食は人の天なり。
よく味を調へ知れる人、大きなる徳とすべし。
次に細工、よろづに要多し。
この外の事ども、多能は君子の恥づるところなり。
詩歌に巧みに、糸竹に妙なるは、幽玄の道、君臣これを重くすといへども、今の世にはこれをもちて世を治むること、漸く愚かなるに似たり。
金はすぐれたれども、鉄の益多きにしかざるがごとし。
無益のことをなして時を移すを、愚かなる人とも、僻事する人とも言ふべし。
国のため、君のために、止むことを得ずしてなすべき事多し。
その余りの暇、いくばくならず。
思ふべし、人の身に止むことを得ずして営む所、第一に食ふ物、第二に着る物、第三に居る所なり。
人間の大事、この三つには過ぎず。
飢ゑず、寒からず、風雨に侵されずして、静かに過ぐすを楽しびとす。
ただし、人皆病あり。
病に冒されぬれば、その愁へ忍び難し。
医療を忘るべからず。
薬を加へて、四つの事、求め得ざるを貧しとす。
この四つ、欠けざるを富めりとす。
この四つのほかを求め営むを奢りとす。
四つの事倹約ならば、誰の人か足らずとせん。
是法法師は、浄土宗に恥ぢずといへども、学匠を立てず、ただ、明け暮れ念仏して、安らかに世を過ぐす有様、いとあらまほし。
人に後れて、四十九日の仏事に、ある聖を請じ侍りしに、説法いみじくして、皆人涙を流しけり。
導師帰りて後、聴聞の人ども、「いつよりも、殊に今日は尊く覚え侍りつる」と感じ合へりし返事に、ある者のいはく、「何とも候へ、あれほどの唐の狗に似候になん上は」と言ひたりしに、あはれもさめて、をかしかりけり。
さる、導師の讃めやうやはあるべき。
また、「人に酒勧むるとて、おのれまづたべて、人に強ひ奉らんとするは、剣にて人を斬らんとするに似たる事なり。二方に刃つきたるものなれば、もたぐる時、まづ我が頭を斬る故に、人をばえ斬らぬなり。おのれまづ酔ひて臥しなば、人はよも召さじ」と申しき。
剣にて斬り試みたりけるにや、いとをかしかりき。
「ばくちの、負け極まりて、残りなく打ち入れんとせんにあひては、打つべからず。立ち返り、続けて勝つべき時の至れると知るべし。その時を知るを、よきばくちといふなり」と、ある人申しき。
改めて益なき事は、改めぬをよしとするなり。
雅房大納言は、才賢く、よき人にて、大将にもなさばやと思しけるころ、院の近習なる人、「ただ今、あさましき事を見侍りつ」と申されければ、「何事ぞ」と問はせけるに、「雅房卿、鷹に飼はむとて、生きたる犬の足を切り侍りつるを、中垣の穴とり見侍りつ」と申されけるに、うとましく、憎くおぼしめして、日ごろのみけしきもたがひ、昇進もし給はざりけり。
さばかりの人、鷹をもたりけるは思はずなれど、犬の足は跡なきことなり。
そらごとは不便なれども、かかる事を聞かせ給ひて、憎ませ給ひける君の御心はいと尊きことなり。
おほかた、生けるものを殺し、痛め、闘はしめて遊び楽しまん人は、畜生残害のたぐひなり。
よろづの鳥、獣、小さき虫までも、心をとめて有様を見るに、子を思ひ、親をなつかしくし、夫婦をともなひ、ねたみ、怒り、欲多く、身を愛し、命を惜しめること、ひとへに愚癡なるゆゑに、人よりもまさりてはなはだし。
かれに苦しみを与へ、命を奪はんこと、いかでかいたましからん。
すべて一切の有情を見て、慈悲の心なからんは、人倫にあらず。
顔回は、志、人に労を施さじとなり。
すべて、人を苦しめ、物を虐ぐる事、賎しき民の志をも奪ふべからず。
また、いときなき子を賺し、威し、言ひ恥づかしめて興ずる事あり。
おとなしきひとは、まことならねば、事にもあらずと思へど、幼き心には、身にしみて恐ろしく、恥づかしく、あさましき思ひ、まことに切なるべし。
これを悩まして興ずる事、慈悲の心にあらず。
おとなしき人の、喜び、怒り、哀しび、楽しぶも、皆虚妄なれども、誰か実有の相に著せざる。
身をやぶるよりも、心を傷ましむる人は、人を害ふ事なほ甚だし。
病を受くる事も、多くは心より受く。
ほかより来る病は少し。
薬を飲みて汗を求むるには、験なきことあれども、一旦恥ぢ、恐るることあれば、必ず汗を流すは、心のしわざなりといふことを知るべし。
凌雲の額を書きて白頭の人となりし例、なきにあらず。
物に争はず、己れを枉げて人に従ひ、我が身を後にして、人を先にするにはしかず。
万の喜びにも、勝負を好む人は、勝ちて興あらんためなり。
己れが芸のまさりたる事を喜ぶ。
されば、負けて興なく覚ゆべき事、また知られたり。
我負けて人を喜ばしめんと思はば、さらに遊びの興なかるべし。
人に本意なく思はせて我が心を慰めん事、徳に背けり。
睦ましき中に戯るるも、人を計り欺きて、己れが智のまさりたる事を興とす。
これまた、礼にあらず。
されば、始め興宴より起こりて、長き恨みを結ぶ類多し。
これみな、争ひを好む失なり。
人にまさらん事を思はば、ただ学問して、その智を人にまさらんと思ふべし。
道を学ぶとならば、善にほこらず、輩に争ふべからうといふ事を知るべき故なり。
大きなる職をも辞し、利をも捨つるは、ただ、学問の力なり。
貧しき者は財をもて礼とし、老いたる物は力をもて礼とす。
おのが分を知りて、及ばざるときは速やかにやむを智といふべし。
許さざらんは、人の誤りなり。
分を知らずしてしひて励むは、おのれが誤りなり。
貧しくて分を知らざれば盗み、力衰へて分を知らざれば病を受く。
鳥羽の作道は、鳥羽殿建てられて後の号にはあらず。
昔よりの名なり。
元良親王、元日の奏賀の声、はなはだ殊勝にして、大極殿より鳥羽の作道まで聞こえけるよし、李部王の記に侍るとかや。
夜の御殿は、東御枕なり。
大方、東を枕として陽気を受くべき故に、孔子も東首し給へり。
寝殿のしつらひ、あるは南枕、常の事なり。
白河院は、北首に御寝なりけり。
「北は忌む事なり。また、伊勢は南なり。太神宮の御方を御跡にせさせ給ふこといかが」と、人申しけり。
ただし、太神宮の遥拝は、巽に向かはせ給ふ。
南にはあらず。
高倉院の法華堂の三昧僧、なにがしの律師とかやいふもの、ある時、鏡を取りて、顔をつくづくと見て、我がかたちの醜く、あさましき事余りに心うく覚えて、鏡さへ疎ましき心地しければ、その後長く、鏡を恐れて手にだに取らず、さらに、人に交はることなし。
御堂のつとめばかりにあひて、篭り居たりと聞き侍りこそ、ありがたく覚えしか。
賢げなる人も、人の上をのみはかりて、己れをば知らずして、外を知るといふ理あるべからず。
されば、己れを知るを、物知れる人といふべし。
かたち醜けれども知らず、心の愚かなるをも知らず、芸の拙きをも知らず、身の数ならぬをも知らず、年の老いぬるをも知らず、病の冒すをも知らず、死の近き事をも知らず、行ふ道の至らざるをも知らず。
身の上の非を知らねば、まして、外の謗りを知らず。
但し、かたちは鏡に見ゆ、年は数へて知る。
我が身の事知らぬにはあらねど、すべきかたのなければ、知らぬに似たりとぞ言はまし。
かたちを改め、齢を若くそよとにはあらず。
拙きを知らば、何ぞ、やがて退かざる。
老いぬと知らば、何ぞ、静かに居て、身を安くせざる。
行ひおろかなりと知らば、何ぞ、これを思ふことこれにあらざる。
すべて、人に愛楽せられずして衆に交じはるは恥なり。
かたち醜く、心おくれにして出で仕へ、無智にして大才に交じはり、不堪の芸をもちて堪能の座に列り、雪の頭を頂きて盛りなる人に並び、況んや、及ばざる事を望み、かなはぬ事を憂へ、来らざることを待ち、人に恐れ、人に媚ぶるは、人の与ふる恥にあらず、貪る心に引かれて、自ら身を恥づかしむるなり。
貪る事の止まざるは、命を終ふる大事、今ここに来れりと、確かに知らざればなり。
資季大納言入道とかや聞こえける人、具氏宰相中将にあひて、「わぬしの問はれんほどのこと、何事なりとも答へざらんや」と言はれければ、
具氏、「いかが侍らん」と申されけるを、
「さらば、あらがひ給へ」と言はれて、
「はかばかしき事は、片端も学び知り侍らねば、尋ね申すまでもなし。何となきそぞろごとの中に、おぼつかなき事をこそ問ひ奉れ」と申されけり。
「まして、ここもとの浅き事は、何事なりとも明らめ申さん」と言はれければ、近習の人々、女房なども、興あるあらがひなり。
「同じくは、御前にて争はるべし。負けたらん人は、供御をまうけらるべし」と定めて、御前にて召し合はせられたりけるに、
具氏、
「幼くより聞き習ひ侍れど、その心知らぬこと侍り。『むまのきつりやう、きつにのをか、なかくぼれいり、くれんとう』と申す事は、いかなる心にか侍らん。承らん」と申されけるに、
大納言入道、はたと詰まりて、
「これはそぞろごとなれば、言ふにも足らず」と言はれけるを、
「本より深き道は知り侍らず。そぞろごとを尋ね奉らんと定め申しつ」と申されければ、
大納言入道、負けになりて、所課いかめしくせられたりけるとぞ。
医師篤成、故法王の御前に候ひて、供御の参りけるに、「今参り侍る供御の色々を、文字も功能も尋ね下されて、そらに申し侍らば、本草に御覧じ合はせ侍れかし。一つも申し誤り侍らじ」と申しける時しも、六条故内府参り給ひて、「有房、ついでに物習ひ侍らん」とて、「先づ、『しほ』といふ文字は、いづれの偏にか侍らん」と問はれたりけるに、「土偏に候ふ」と申したりければ、「才のほど、既にあらはれたり。今はさばかりにて候へ。ゆかしき所しなし」と申されけるに、どよみになりて、まかり出でにけり。
花は盛りに、月はくまなきをのみ見るものかは。
雨に向かひて月を恋ひ、たれこめて春のゆくへ知らぬも、なほあはれに情け深し。
咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ、見どころ多けれ。
歌の詞書にも、「花見にまかれりけるに、早く散り過ぎにければ」とも、「障ることありてまからで」なども書けるは、「花を見て」といへるに劣れることかは。
花の散り、月の傾くを慕ふならひは、さることなれど、ことにかたくななる人ぞ、「この枝、かの枝散りにけり。今は見どころなし」などは言ふめる。
よろづのことも、始め終はりこそをかしけれ。
男女の情けも、ひとへに逢ひ見るをばいふものかは。
逢はでやみにし憂さを思ひ、あだなる契りをかこち、長き夜を独り明かし、遠き雲居を思ひやり、浅茅が宿に昔をしのぶこそ、色好むとは言はめ。
望月のくまなきを千里の外まで眺めたるよりも、暁近くなりて待ち出でたるが、いと心深う、青みたるやうにて、深き山の杉の梢に見えたる、木の間の影、うちしぐれたるむら雲隠れのほど、またなくあはれなり。
椎柴、白樫などの濡れたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身にしみて、心あらむ友もがなと、都恋しうおぼゆれ。
すべて、月、花をば、さのみ目にて見るものかは。
春は家を立ち去らでも、月の夜は閨のうちながらも思へるこそ、いと頼もしう、をかしけれ。
よき人は、ひとへに好けるさまも見えず、興ずるさまもなほざりなり。
片ゐなかの人こそ、色こく、よろづはもて興ずれ。
花のもとには、ねぢ寄り立ち寄り、あからめもせずまもりて、酒飲み、連歌して、はては、大きなる枝、心なく折り取りぬ。
泉には手、足さしひたして、雪には降り立ちて跡つけなど、よろづの物、よそながら見ることなし。
さやうの人の祭見しさま、いとめづらかなりき。
「見ごといと遅し。そのほどは桟敷不用なり」とて、奥なる屋にて酒飲み、物食ひ、囲碁、双六など遊びて、桟敷には人を置きたれば、「渡り候ふ」といふ時に、おのおの肝つぶるるやうに争ひ走り上りて、落ちぬべきまで簾張りいでて押しあひつつ、一事ももらさじとまもりて、「とあり、かかり」と物ごとにいひて、わたり過ぎぬれば、「また渡らむまで」といひて下りぬ。
ただ物をのみ見むとするなるべし。
都の人のゆゆしげなるは、ねぶりていとも見ず。
若く末々なるは、宮づかへに立ちゐ、人のうしろにさぶらふは、さまあしくも及びかからず、わりなく見むとする人もなし。
何となく葵かけわたしてなまめかしきに、明けはなれぬほど、忍びて寄する事どものゆかしきを、それかかれかなど思ひよすれば、牛飼、下部などの見知れるもあり。
をかしくもきらきらしくも、さまざまに行きかふ、見るもつれづれならず。
暮るるほどには、立てならべつる車ども、所なくなみゐつる人も、いづかたへか行きつらむ、ほどなくまれになりて、車どものらうがはしさもすみぬれば、簾、畳もとりはらひ、目の前にさびしげになり行くこそ、世のためしも思ひ知られてあはれなれ。
大路見たるこそ、祭見たるにてはあれ。
かの桟敷の前を、ここら行きかふ人の、見知れるがあまたあるにて知りぬ、世の人数もさのみは多からぬにこそ。
この人みな失せなむ後、わが身死ぬべきに定まりたりとも、ほどなく待ちつけぬべし。
大きなる器に水を入れて、細き穴をあけたらむに、したたることすくなしといふとも、怠る間なく漏り行かば、やがて尽きぬべし。
都の中に多き人、死なざる日はあるべからず。
一日に一人二人のみならむや。
鳥部野、舟岡、さらぬ野山にも、送る数多かる日はあれど、送らぬ日はなし。
されば棺をひさく者、作りてうち置くほどなし。
若きにもよらず、強きにもよらず、思ひかけぬは死期なり。
けふまでのがれ来にけるは、ありがたき不思議なり。
しばしも世をのどかには思ひなむや。
まま子だてといふものを、双六の石にて作りて、立て並べたるほどは、取られむことのいづれの石とも知らねども、数へあてて一つを取りぬれば、その外はのがれぬと見れど、またまた数ふれば、かれこれ間抜き行くほどに、いづれものがれざるに似たり。
兵の軍にいづるは、死に近きことを知りて、家をも忘れ、身をも忘る。
世をそむける草の庵には、しづかに水石をもてあそびて、これをよそに聞くと思へるは、いとはかなし。
しづかなる山の奥、無常の敵、競ひ来たらざらむや。
その死に臨めること、軍の陣に進めるに同じ。
「祭過ぎぬれば、後の葵不用なり」とて、ある人の、御簾なるを皆取らせられ侍りしが、色もなく覚え侍りしを、よき人のし給ふ事なれば、さるべきにやと思ひしかど、周防内侍が、
♪5 かくれども かひなき物は もろともに
みすの葵の 枯葉なりけり
と詠めるも、母屋の御簾に葵の、かかりたる枯葉を詠めるよし、家の集に書けり。
古き歌の詞書に、「枯れたる葵にさして遣はしける」とも侍り。
枕草子にも、「来しかた恋しき物、枯れたる葵」と書けるこそ、いみじくなつかしう思ひ寄りたれ。
鴨長明が四季物語にも、「玉垂に後の葵は留まりけり」とぞ書ける。
己れと枯るるだにこそあるを、名残なく、いかが取り捨つべき。
御帳にかかれる薬玉も、九月九日、菊に取り換へらるるといへば、菖蒲は菊の折までもあるべきにこそ。
枇杷皇太后宮かくれ給ひて後、古き御帳の内に、菖蒲、薬玉などの枯れたるが侍りけるを見て、「折ならぬ根をなほぞかけつる」と弁の乳母の言へる返事に、「あやめの草はありながら」とも、江侍従が詠みしぞかし。
家にありたき木は、松、桜。
松は五葉もよし。
花は一重なる、よし。
八重桜は奈良の都にのみありけるを、このごろぞ、世に多くなり侍るなる。
吉野の花、左近の桜、みな一重にてこそあれ、八重桜はことやうのものなり。
いとこちたくねぢけたり。
植ゑずともありなむ。
遅桜、またすさまじ。
虫のつきたるもむつかし。
梅は白き、うす紅梅。
一重なるがとく咲きたるも、重なりたる紅梅のにほひめでたきも、みなをかし。
遅き梅は、桜に咲きあひて、おぼえおとり、けおされて、枝にしぼみつきたる、心うし。
「一重なるがまづ咲きて塵たるは、心とく、をかし」とて、京極入道中納言は、なほ一重梅をなむ軒近く植ゑられたりける。
京極の屋の南むきに、今も二本侍るめり。
柳、またをかし。
卯月ばかりの若かへで、すべてよろづの花、紅葉にもまさりてめでたきものなり。
橘、かつら、いづれも木はものふり、大きなるよし。
草は山吹、かきつばた、なでしこ。
池にははちす。
秋の草は、荻、すすき、桔梗、萩、女郎花、ふじばかま、紫苑、われもかう、かるかや、りんだう、菊。
黄菊も。
つた、くず、朝顔、いづれもいと高からず、ささやかなる垣に繁からぬよし。
このほかの世にまれなるもの、唐めきる名の聞きにくく、花も見なれぬなど、いとなつかしからず。
おほかた、何も、珍しくありがたきものは、よからぬ人のもて興ずるものなり。
さやうのもの、なくてありなむ。
身死して財残ることは、知者のせざるところなり。
よからぬ物たくはへ置きたるもつたなく、よき物は心をとめけむとはかなし。
こちたく多かる、まして口をし。
「われこそ得め」などいふ者どもありて、後に争ひたる、あさまし。
後はたれにと志す物あらば、生けらむうちにぞ譲るべき。
朝夕なくてかなはざらむ物こそあらめ、そのほかは何も持たでぞあらまほしき。
悲田院の尭蓮上人は、俗姓は三浦のなにがしとかや、双なき武者なり。
ふるさとの人の来たりて物語りすとて、「あづまうどこそ、言ひつることは頼まるれ。都の人は、ことうけのみよくて、まことなし」
と言ひしを、聖、「それはさこそおぼすらめども、おのれは都に久しく住みて、慣れて見侍るに、人の心劣れりとは思ひ侍らず。なべて心柔らかに、情けあるゆゑに、人の言ふほどのこと、けやけく否びがたくて、よろづ、え言ひ放たず、心弱くことうけしつ。
偽りせんとは思はねど、乏しくかなはぬ人のみあれば、おのづから本意通らぬこと多かるべし。
あづまうどは、わがかたなれど、げには心の色なく、情けおくれ、ひとへにすくよかなるものなれば、初めより否と言ひてやみぬ。
にぎはひ豊かなれば、人には頼まるるぞかし」
とことわられ侍りしこそ、この聖、声うちゆがみ、荒々しくて、聖教のこまやかなる理、いとわきまへずもやと思ひしに、この一言ののち、心にくくなりて、多かる中に寺をも住持せらるるは、かくやはらぎたるところありて、その益もあるにこそと覚え侍りし。
心なしと見ゆる者もよき一言いふものなり。
ある荒夷の恐ろしげなるが、かたへに会ひて、「御子はおはすや」と問ひしに、「一人も持ち侍らず」と答へしかば、「さては、もののあはれは知り給はじ。情けなき御心にぞものし給ふらむと、いと恐ろし。子ゆゑにこそ、よろづのあはれは思ひ知らるれ」と言ひたりし、さもありぬべきことなり。
恩愛の道ならでは、かかる者の心に慈悲ありなむや。
孝養の心なき者も、子持ちてこそ、親の心ざしは思ひ知るなれ。
世を捨てたる人の、よろづにするすみなるが、なべてほだし多かる人の、よろづにへつらひ、望み深きを見て、むげに思ひくたすは僻事なり。
その人の心になりて思へば、まことに、かなしからむ親のため、妻子のためには、恥をも忘れ、盗みもしつべきことなり。
されば、盗人を縛め、僻事をのみ罪せむよりは、世の人の飢ゑず、寒からぬやうに、世をば行はまほしきなり。
人、恒の産なき時は、恒の心なし。
人、窮まりて盗みす。
世治まらずして、凍餒の苦しみあらば、咎の者絶ゆべからず。
人を苦しめ、法を犯さしめて、それを罪なはむこと、不便のわざなり。
さて、いかがして人を恵むべきとならば、上のおごり費やすところをやめ民を撫で農を勧めば、下に利あらむこと疑ひあるべからず。
衣食世の常なる上に僻事せむ人をぞ、まことの盗人とはいふべき。
人の終焉の有様のいみじかりし事など、人の語るを聞くに、ただ静かにして乱れずと言はば心にくかるべきを、愚かなる人は、あやしく、異なる相を語りつけ、言ひし言葉も振舞も、己れが好む方に誉めなすことこそ、その人の日ごろの本意にもあらずと覚ゆれ。
この大事は、権化の人も定むべからず。
博学の士も測るべからず。
己れ違ふ所なくは、人の見聞くにはよるべからず。
栂尾の上人、道を過ぎ給ひけるに、河にて馬洗ふ男、「あしあし」と言ひければ、上人立ち止まりて、「あな尊や。宿執開発の人かな。阿字阿字と唱ふるぞや。いかなる人の御馬ぞ。余りに尊く覚ゆるは」と尋ね給ひければ、「府生殿の御馬に候ふ」と答へけり。
「こはめでたき事かな。阿字本不生にこそあなれ。うれしき結縁をもしつるかな」とて感涙を拭はれけるとぞ。
御随身秦の重躬、北面の下野の入道信願を、「落馬の相ある人なり。よくよく慎み給へ」といひけるを、いとまことしからず思ひけるに、信願、馬より落ちて死ににけり。
道に長じぬる一言、神のごとしと人思へり。
さて、「いかなる相ぞ」と人の問ひければ、「きはめて桃尻にして、沛艾の馬を好みしかば、この相を負せ侍りき。いつかは申し誤りたる」とぞいひける。
明雲座主、相者にあひ給ひて、「己れも、もし兵杖の難やある」と尋ね給ひければ、相人、「まことに、その相おはします」と申す。
「いかなる相ぞ」と尋ね給ひければ、「傷害の恐れおはしますまじき御身にて、仮にも、かく思し寄りて、尋ね給ふ。これ、既にその危ぶみの兆しなり」と申しけり。
果たして、矢に当たりて失せ給ひにけり。
灸治、あまた所に成りぬれば、神事に穢れありといふ事、近く、人の言ひ出せるなり。
格式等にも見えずとぞ。
四十以後の人、身に灸を加へて、三里を焼かざれば、上気の事あり。
必ず灸すべし。
鹿茸を鼻に当てて嗅ぐべからず。
小さき虫ありて、鼻より入りて、脳を食むと言へり。
能をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得てさしいでたらんこそ、いと心にくからめ」と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。
いまだ堅固かたほなるより、上手の中に交じりて、そしり笑はるるにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜む人、天性その骨なけれども、道になづまず、みだりにせずして年を送れば、堪能の嗜まざるよりは、つひに上手の位に至り、徳たけ、人に許されて、ならびなき名を得ることなり。
天下のものの上手といへども、初めは不堪の聞こえもあり、むげの瑕瑾もありき。
されども、その人、道のおきて正しく、これを重くして放埒せざれば、世の博士にて、万人の師となること、諸道変はるべからず。
ある人の云はく、年五十になるまで上手に至らざらん芸をば捨つべきなり。
励み習ふべき行く末もなし。
老人の事をば、人もえ笑はず。
衆に交はりたるも、あいなく、見苦し。
大方、よろづのしわざは止めて、暇あるこそ、めやすく、あらまほしけれ。
世俗の殊に携はりて生涯をクラスは、下愚の人なり。
ゆかしく覚えん事は、学び訊くとも、その趣を知りなば、おぼつかなからずして止むべし。
もとより望むことなくして止まんは、第一の事なり。
西大寺の静然上人、腰かがまり、眉白く、まことに徳たけたる有様にて、内裏へ参られたりけるを、西園寺の内大臣殿、「あなたふとのけしきや」とて、信仰の気色ありければ、資朝の卿これを見て、「年のよりたるに候ふ」と申られけり。
後日に、むく犬のあさましく老いさらぼひて、毛はげたるを引かせて、「このけしき尊く見えて候ふ」とて、内府へ参らせられたりけるとぞ。
為兼大納言入道、召し捕られて、武士どもうち囲みて、六波羅へ率て行きければ、資朝卿、一条わたりにてこれを見て、「あなうらやまし。世にあらん思ひ出、かくこそあらまほしけれ」とぞ言はれける。
この人、東寺の門に雨宿りせられたりけるに、かたは者どもの集まりゐたるが、手も足もねぢ歪み、うち反りて、いづくも不具に異様なるを見て、とりどりに類なき曲者なり、尤も愛するに足れりと思ひて、目守り給ひけるほどに、やがてその興尽きて、醜く、いぶせく覚えければ、ただ素直に珍しからぬ物には如かずと思ひて、帰りて後、この間、植木を好みて、異様に曲折あるを求めて、目を喜ばしめつるは、かのかたはを愛するなりけりと、興なく覚えければ、鉢に植ゑられける木ども、皆掘り捨てられにけり。
さもありぬべき事なり。
世に従はん人は、まづ機嫌を知るべし。
ついで悪しきことは、人の耳にも逆ひ、心にも違ひて、そのこと成らず。
さやうのをりふしを心得べきなり。
ただし、病をうけ、子産み、死ぬることのみ、機嫌をはからず、ついで悪しとて、やむことなし。
生、住、異、滅の移りかはる、まことの大事は、猛き河のみなぎり流るるがごとし。
しばしも滞らず、ただちに行ひゆくものなり。
されば、真、俗につけて、必ず果たし遂げんと思はんことは、機嫌をいふべからず。
とかくのもよひなく、足を踏みとどむまじきなり。
春暮れてのち夏になり、夏果てて秋の来るにはあらず。
春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通ひ、秋はすなはち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり産めもつぼみぬ。
木の葉の落つるも、まづ落ちて芽ぐむにはあらず。
下よりきざしつはるに堪へずして落つるなり。
迎ふる気、下に設けたるゆゑに、待ちとるついで、甚だはやし。
生老病死の移り来ること、またこれに過ぎたり。
四季はなほ定まれるついであり。
死期はついでを待たず。
死は前よりしも来らず、かねて後ろに迫れり。
人みな死あることを知りて、待つこと、しかも急ならざるに、おぼえずして来る。
沖の干潟はるかなれども、磯より潮の満つるがごとし。
大臣の大饗は、さるべき所を申し請けて行ふ、常の事なり。
宇治の左大臣殿は、東三条殿にて行はる。
内裏にてありけるを、申されけるによりて、他所へ行幸ありけり。
させる事の寄せなけれど、女院の御所など借り申す、故実なりとぞ。
筆を取れば物書かれ、楽器を取れば音を立てんと思ふ。
盃を取れば攤打たん事を思ふ。
心は、必ず、事に触れて来る。
仮にも、不善の戯れをなすべからず。
あからさまに聖教の一句を見れば、何となく、前後の文も見ゆ。
卒爾にして多年の非を改むる事もあり。
仮に、今、この文を披げざらましかば、この事を知らんや。
これすなはち、触るる所の益なり。
心さらに起こらずとも、仏前にありて、数珠を取り、経を取らば、怠るうちにも善業自ら修せられ、散乱の心ながらも縄床に座せば、覚えずして禅定成るべし。
事、理もとより二つならず。
外相もし背かざれば、内証必ず熟す。
強ひてこれを尊むべし。
「盃の底を捨つる事は、いかが心得たる」と、ある人の尋ねさせ給ひしに、「凝当と申し侍るは、底に凝りたるを捨つるにや候ふやらん」と申し侍りしかば、「さにはあらず。魚道なり。流れを残して、口の付きたる所をすすぐなり」と仰せられし。
「みなむすびといふは、糸を結びかさねたるが、蜷といふ貝に似たればいふ」と、あるやんごとなき人仰せられき。
「にな」といふは、あやまりなり。
門に額懸くるを「打つ」と言ふはよからぬにや。
勘解由小路二品禅門は、「額懸くる」と宣ひき。
「見物の桟敷打つ」もよからぬにや。
「平張打つ」などは、常の事なり。
「桟敷構ふる」など言ふべし。
「護摩焚く」と言ふもわろし。
「修する」「護摩する」など言ふなり。
「行法も、法の字を清みて言ふ、わろし。濁りて言ふ」と、清閑寺僧正仰せられき。
常に言ふ事に、かかる事のみ多し。
花の盛りは、冬至より百五十日とも、時正の後七日とも言へど、立春より七十五日、大様違はず。
遍照寺の承仕法師、池の鳥を日ごろ飼ひつけて、堂の内まで餌を撒きて、戸ひとつ開けたれば、数も知らず入り篭りける後、己れも入りて、たて篭めて、捕らへつつ殺しけるよそほひ、おどろおどろしく聞こえけるを、草刈る童聞きて、人に告げければ、村の男どもおこりて、入りて見るに、大雁どもふためき合へる中に、法師交りて、打ち伏せ、ねぢ殺しければ、この法師を捕らへて、所より使庁へ出したりけり。
殺す所の鳥を首に懸けさせて、禁獄せられにけり。
基俊大納言、別当の時になん侍りける。
太衝の「太」の字、点打つ、打たずといふ事、陰陽の輩、相論の事ありけり。
盛親入道申し侍りしは、「吉平が自筆の占文の裏に書かれたる御記、近衛関白殿にあり。点打ちたるを書きたり」と申しき。
世の人相逢ふ時、しばらくも黙止する事なし。
必ず言葉あり。
その事を聞くに、多くは無益の談なり。
世間の浮説、人の是非、自他のために、失多く、得少なし。
これを語る時、互ひの心に、無益の事なりといふ事を知らず。
東の人の、都の人に交はり、都の人の、東に行きて身を立て、また、本寺、本山を離れぬる、顕密の僧、すべて、我が俗にあらずして人に交はれる、見ぐるし。
人間の、営み合へるわざを見るに、春の日に行き仏を作りて、そのために金銀、珠玉の飾りを営み、堂を建てんとするに似たり。
その構へを待ちて、よく安置してんや。
人の命ありと見るほども、下より消ゆること雪のごとくなるうちに、営み待つこと甚だ多し。
一道にたづさはる人、あらぬ道のむしろに臨みて、「あはれ、わが道ならましかば、かくよそに見侍らじものを」といひ、心にも思へること、常のことなれど、よにわろくおぼゆるなり。
知らぬ道のうらやましくおぼえば、「あなうらやまし。などか習はざりけむ」といひてありなむ。
わが知をとりいでて人に争ふは、角あるものの角をかたぶけ、牙あるものの牙をかみいだす類なり。
人としては善にほこらず、物と争はざるを徳とす。
他にまさることのあるは大なる失なり。
品の高さにても、才芸の優れたるにても、先祖のほまれにても、人にまされりと思へる人は、たとひことばにいでてこそいはねども、内心にそこばくのとがあり。
慎みてこれを忘るべし。
をこにも見え、人にもいひけたれ、禍ひをも招くは、ただこの慢心なり。
一道にもまことに長じぬる人は、みづからあきらかにその非を知るゆゑに、志常に満たずして、つひに物に誇ることなし。
年老いたる人の、一事すぐれたる才のありて、「この人の後はたれにか問はむ」などいはるるは、老いの方人にて、生けるもいたづらならず。
さはあれど、それもすたれたるところのなきは、一生このことにて暮れにけりとつたなく見ゆ。
「今は忘れにけり」といひてありなん。
おほかたは、知りたりともすずろにいひ散らすは、さばかりの才にはあらぬにやと聞こえ、おのづから誤りもありぬべし。
「さだかにもわきまへ知らず」などいひたるは、なほまことに道のあるじともおぼえぬべし。
まして知らぬことしたり顔に、おとなしく、もどきぬべくもあらぬ人のいひ聞かするを、さもあらずと思ひながら聞きゐたる、いとわびし。
「何事の式といふ事は、後嵯峨の御代までは言はざりけるを、近きほどより言ふ詞なり」と人の申し侍りしに、建礼門院の右京大夫、後鳥羽院の御位の後、また内裏住みしたる事を言ふに、「世の式も変はりたる事はなきにも」と書きたり。
さしたることなくて人のがり行くは、よからぬことなり。
用ありて行きたりとも、そのこと果てなば、とく帰るべし。
久しくゐたる、いとむつかし。
人と向ひたれば、ことば多く、身もくたびれ、心も静かならず、よろづのこと障りて時を移す、互ひのため益なし。
いとはしげに言はむもわろし。
心づきなきことあらむをりは、なかなかそのよしをも言ひてむ。
同じ心に向かはまほしく思はむ人の、つれづれにて、「いましばし、今日は心静かに」など言はむは、この限りにはあらざるべし。
阮籍が青き眼、たれもあるべきことなり。
そのこととなき人の来りて、のどかに物語して帰りぬる、いとよし。
また、文も、「久しく聞こえさせねば」などばかり言ひおこせたる、いとうれし。
貝を覆ふ人の、我が前なるをば措きて、余所を見渡して、人の袖のかげ、膝の下まで目を配る間に、前なるをば人に覆はれぬ。
よく覆ふ人は、余所までわりなく取るとは見えずして、近きばかり覆ふやうなれど、多く覆ふなり。
碁盤の隅に石を立てて弾くに、向かひなる石を目守りて弾くは、当たらず、我が手許をよく見て、ここなる聖目を直に弾けば、立てたる石、必ず当たる。
よろづの事、外に向きて求むべからず。
ただ、ここもとを正しくすべし。
清献公が言葉に、「好事を行じて、前程を問ふことなかれ」と言へり。
世を保たん道も、かくや侍らん。
内を慎まず、軽く、ほしきままにして、みだりなれば、遠き国必ず叛く時、初めて謀を求む。
「風に当たり、湿に臥して、病を神礼に訴ふるは、愚かなる人なり」と医書に言へるがごとし。
目の前なる人の愁へを止め、恵みを施し、道を正しくせば、その化遠く流れん事を知らざるなり。
禹の行きて三苗を征せし時も、師をかへして徳を敷くには如かざりき。
若きときは、血気うちにあまり、心、物に動きて、情欲多し。
身を危ぶめてくだけやすきこと、珠を走らしむるに似たり。
美麗を好みて宝を費やし、これを捨てて苔の袂にやつれ、勇める心さかりにして、物と争ひ、心に恥ぢうらやみ、好むところ日々に定まらず。
色にふけり情けにめで、行ひをいさぎよくして百年の身を誤り、命を失へるためし願はしくして、身の全く久しからんことをば思はず。
好けるかたに心ひきて、長き世語りともなる。
身をあやまつことは、若きときのしわざなり。
老いぬる人は、精神衰へ、淡くおろそかにして、感じ動くところなし。
心おのづから静かなれば、無益のわざをなさず。
身を助けて愁へなく、人の煩ひなからんことを思ふ。
老いて知の若きときにまされること、若くしてかたちの老いたるにまされるがごとし。
小野小町が事、極めて定かならず。
衰へたる様は、「玉造」といふ文に見えたり。
この文、清行が書けりといふ説あれど、高野大師の御作の目録に入れり。
大師は承和のはじめにかくれ給へり。
小町が盛りなる事、その後の事にや。
なほおぼつかなし。
小鷹によき犬、大鷹に使ひぬれば、小鷹にわろうなるといふ。
大に付き小を捨つる理、まことにしかなり。
人事多かる中に、道を楽しぶより気味深きはなし。
これ、まことの大事なり。
一度道を聞きて、これに志さん人、いづれのわざか廃れざらん。
何事をか営まん。
愚かなる人といふとも、賢き犬の心に劣らざらんや。
世には、心得ぬ事の多きなり。
ともある毎には、まづ、酒を勧めて、強ひ飲ませたるを興とする事、いかなる故とも心得ず。
飲む人の、顔いと堪え難げに眉をひそめ、人目を測りて捨てんとし、逃げんとするを、捉へて引き止めて、すずろに飲ませつれば、うるはしき人も、忽ちに狂人となりてをこがましく、息災なる人も、目の前に大事の病者となりて、前後も知らず倒れ伏す。
祝ふべき日などは、あさましかりぬべし。
明くる日まで頭痛く、物食はず、によひ臥し、生をへだてるやうにして、昨日の事覚えず、公、私の大事を欠きて、煩らひとなる。
人をしてかかる目を見する事、慈悲もなく、礼儀にも背けり。
かく辛き目に逢ひたらん人、ねたく、口惜しと思はざらんや。
人の国にかかる習ひあなりと、これらになき人言にて伝へ聞きたらんは、あやしく、不思議に覚えぬべし。
人の上にて見たるだに、心憂し。
思ひ入りたるさまに、心にくしと見し人も、思ふ所なく笑ひののしり、詞多く、烏帽子ゆがみ、紐外し、脛高く掲げて、用意なき気色、日来の人とも覚えず。
女は額髪晴れらかに掻きやり、まばゆからず顔うちささげてうち笑ひ、盃持てる手に取り付き、よからぬ人は、肴取りて、口にさし当て、自らも食ひたる、様あし。
声の限り出だして、おのおの歌ひ舞ひ、年老いたる法師召し出だされて、黒く穢き身を肩脱ぎて、目も当てられずすぢりたるを、興じ見る人さへうとましく、憎し。
或はまた、我が身いみじき事ども、かたはらいたく言ひ聞かせ、或は酔ひ泣きし、下ざまの人は、罵り合ひ、争ひて、あさましく、恐ろし。
恥ぢがましく、心憂き事のみありて、果ては、許さぬ物ども押し取りて、縁より落ち、馬、車より落ちて、過ちしつ。
物にも乗らぬ際は、大路をよろぼひ行きて、築泥、門の下などに向きて、えも言はぬ事どもし散らし、年老い、袈裟掛けたる法師の、小童の肩を押さへて、聞こへぬ事ども言ひつつよろめきたる、いとかはゆし。
かくうとましと思ふものなれど、おのづから捨て難き折りもあるべし。
月の夜、雪の朝、花の本にても、心長閑に物語して、盃出したる、万の興を添ふるわざなり。
つれづれなる日、思ひの外に友の入り来て、とりおこなひたるも、心慰む。
慣れなれしからぬあたりの御簾のうちより、御果物、御酒など、よきやうなる気はひしてさし出だされたる、いとよし。
冬、狭き所にて、火にて物煎りなどして、へだてなきどちさし向かひて、多く飲みたる、いとをかし。
旅の仮屋、野山などにて、「御肴何がな」など言ひて、芝の上にて飲みたるもをかし。
いたういたむ人の、強いられて少し飲みたるも、いとよし。
よき人の、とり分きて、「いまひとつ。上少なし」など宣はせたるもうれし。
近づかまほしき人の、上戸にて、ひしひしと馴れぬる、またうれし。
さは言へど、上戸は、をかしく、罪許さるるものなり。
酔ひくたびれて朝寝したる所を、あるじの引き開けたるに、惑ひて、惚れる顔ながら、細きもとどり差し出だし、物も着あへず抱き持ち、ひきしろひて逃ぐる、掻取姿の後ろ手、毛生ひたる細脛のほど、をかしく、つきづきし。
黒戸は、小松御門、位に即かせ給ひて、昔、ただ人にておはしましし時、まさな事せさせ給ひしを忘れ給はで、常に営ませ給ひける間なり。
御薪に煤けたれば、黒戸と言ふとぞ。
鎌倉中書王にて御鞠ありけるに、雨降りて後、未だ庭の乾かざりければ、いかがせんと沙汰ありけるに、佐々木隠岐入道、鋸の屑を車に積みて、多く奉りければ、一庭に敷かれて、泥土の煩ひなかりけり。
「取り溜めけん用意、ありがたし」と、人感じ合へりけり。
この事をある物の語り出でたりしに、吉田中納言の、「乾き砂子の用意やはなかりける」と宣ひたりしかば、恥づかしかりき。
いみじと思ひける鋸の屑、賎しく、異様の事なり。
庭の儀を奉行する人、乾き砂子を設くるは、故実なりとぞ。
ある所の侍ども、内侍所の御神楽を見て、人に語るとて、「宝剣をばその人ぞ持ち給ひつる」など言ふを聞きて、内なる女房の中に、「別殿の行幸には、昼御座の御剣にてこそあれ」と忍びやかに言ひたりし、心にくかりき。
その人、古き典侍なりけるとかや。
入宋の沙門、道眼上人、一切経を持来して、六波羅のあたり、やけ野といふ所に安置して、殊に首楞厳経を講じて、那蘭陀寺と号す。
その聖の申されしは、「那蘭陀寺は、大門北向きなりと、江師の説とて言ひ伝へたれど、西域伝、法顕伝などにも見えず、さらに所見なし。江師はいかなる才学にてか申されけん、おぼつかなし。唐土の西明寺は、北向き勿論なり」と申しき。
さぎちやうは、正月に打ちたる毬杖を、真言院より神泉苑へ出だして、焼き上ぐるなり。
「法成就の池にこそ」とはやすは、神泉苑の池をいふなり。
「『降れ降れ粉雪、たんばの粉雪』といふ事、米つき篩ひたるに似たれば、粉雪と言ふ。『たまれ粉雪』といふべきを、誤りて『たんばの』とは言ふなり。『垣や木の股に』と謡ふべし」と、ある物知り申しき。
昔より言ひける事にや。
鳥羽院幼くおはしまして、雪の降るにかく仰せされける由、讃岐典侍が日記に書きたり。
四条大納言隆親卿、乾鮭といふものを供御に参らせたりけるを、「かくあやしき物、参る様あらじ」と人の申しけるを聞きて、大納言、「鮭といふ魚、参らぬ事にてあらんにこそあれ、鮭の白乾し、なでふ事かあらん。鮎の白乾しは参らぬかは」と申されけり。
人突く牛をば角を截り、人喰ふ馬をば耳を截りて、そのしるしとす。
しるしを付けずして人を傷らせぬるは、主の咎なり。
人喰ふ犬をば養ひ飼ふべからず。
これ皆咎あり。
律の禁なり。
相模守時頼の母は、松下禅尼とぞ申しける。
守を入れ申さるることありけるに、すすけある明り障子のやぶればかりを、禅尼手づから小刀して切りまはしつつ張られければ、
兄の城介義景、その日のけいめいして候ひけるが、「たまはりて、なにがし男に張らせ候はむ。さやうのことに心得たる者に候ふ」と申されければ、
「その男、尼が細工によもまさり候はじ」とてなほ一間づつ張られけるを、
義景「みな張りかへ候はむは、はるかにたやすく候ふべし。まだらに候も見苦しくや」と重ねて申されければ、
「尼も後はさはさはと張りかへむと思へども、けふばかりはわざとかくてあるべきなり。物は破れたる所ばかりを修理にて用ふることぞと、若き人に見ならはせて、心づけむためなり」と申されける、いとありがたかりけり。
世を治むる道、倹約を本とす。
女性なれども聖人の心に通へり。
天下を保つほどの人を子にて持たれける、まことにただ人にはあらざありけるとぞ。
城陸奥守泰盛は、双なき馬乗りなりけり。
馬を引き出ださせけるに、足をそろへて閾をゆらりと越ゆるを見ては、「これは勇める馬なり」とて、鞍を置きかへさせけり。
また、足をのべて閾に蹴あてぬれば、「これは鈍くしてあやまちあるべし」とて乗らざりけり。
道を知らざらむ人かばかり恐れなんや。
吉田と申す馬乗りの申し侍るは、「馬ごとにこはきものなり。人の力争ふべからずと知るべし。乗るべき馬をば、まづよく見て、強き所、弱き所を知るべし。次に、轡、鞍の具に危き事やあると見て、心にかかる事あらば、その馬を馳すべからず。この用意を忘れざるを馬乗りとは申すなり。これ、秘蔵のことなり」と申しき。
よろづの道の人、たとひ不堪なりといへども、堪能の非家の人に並ぶ時、必ず勝る事は、弛みなく慎みて軽々しくせぬと、ひとへに自由なるとの等しからぬなり。
芸能芸能所作のみにあらず。
大方の振舞、心づかひも、愚かにして慎めるは、得の本なり。
巧みにしてほしきままなるは、失の本なり。
或者、子を法師になして、「学問して因果の理をも知り、説教などして世わたるたづきともせよ」といひければ、教へのままに説教師にならむために、まづ馬に乗り習ひけり。
輿、車持たぬ身の、導師に請ぜられむ時、馬など迎へにおこせたらむに、桃尻にて落ちなむは、心憂かるべしと思ひけり。
次に、仏事ののち、酒など勧むることあらむに、法師のむげに能なきは、檀那すさまじく思ふべしとて、早歌といふことを習ひけり。
二つのわざやうやう境に入りければ、いよいよよくしたくおぼえてたしなみけるほどに、説教習ふべきいとまなくて年よりにけり。
この法師のみにもあらず、世間の人、なべてこのことあり。
若きほどは、諸事につけて、身を立て、大いなる道をも成し、能をもつき、学問をもせむと、行く末久しくあらますことども、心にはかけながら、世をのどかに思ひてうち怠りつつ、まづさしあたりたる目の前のことにのみまぎれて月日を送れば、事々なすことなくして身は老いぬ。
つひに者の上手にもならず、思ひしやうに身をも持たず、悔ゆれどもとり返さるるよはひならねば、走りて坂をくだる輪のごとくに衰へゆく。
京に住む人、急ぎて東山に用ありて、すでに行きつきたりとも、西山に行きてその益まさるべきことを思ひ得たらば、門よりかへりて西山へ行くべきなり。
ここまで来つくぬれば、このことをばまづいひてむ。
日をささぬことなれば、西山のことはかへりてまたこそ思ひ立ためと思ふゆゑに、一時の懈怠、すなはち一生の懈怠となる。
これを恐るべし。
一事を必ず成さむと思はば、他のことの破るるをもいたむべからず。
人のあざけりをも恥づべからず。
万事にかへずしては、一の大事成るべからず。
人のあまたありける中にて、或者、「ますほの薄、まそほの薄などいふことあり。わたのべの聖、この事を伝へ知りたり」と語りけるを、登蓮法師、その座に侍りけるが聞きて、雨の降りけるに、「簑笠やある、貸し給へ。かの薄のこと習ひに、わたのべの聖のがり尋ねまからむ」といひけるを、「あまりに物騒がし。雨やみてこそ」と人のいひければ、「むげの事をも仰せらるるものかな。人の命は雨のはれ間をも待つものかは。我も死に、聖も失せなば、尋ね聞きてむや」とて、走り出でて行きつつ、習い侍りにけりと申し伝へたるこそ、ゆゆしくありがたうおぼゆれ。
「敏きときは則ち功あり」とぞ論語と云ふ文にも侍るなる。
この語をいぶかしく思ひけるやうに、一大事の因縁をぞ思ふべかりける。
今日はそのことをなさむと思へど、あらぬ急ぎまづ出で来て、まぎれ暮らし、待つ人は障りありて、頼めぬ人は来り、頼みたる方のことは違ひて、思ひよらぬ道ばかりはかなひぬ。
わづらはしかりつることはことなくて、やすかるべきことはいと心苦し。
日々に過ぎゆくさま、かねて思ひつるには似ず。
一年のうちもかくのごとし。
一生の間もまたしかりなり。
かねてのあらまし、みな違ひゆくかと思ふに、おのづから違はぬこともあれば、いよいよものは定めがたし。
不定と心得ぬるのみ、まことにて違はず。
妻といふものこそ、男の持つまじきものなれ。
「いつも独り住みにて」など聞くこそ心にくけれ、「誰がしが婿になりぬ」とも、また、「いかなる女を取り据ゑて相住む」など聞きつれば、無下に心劣りせらるるわざなり。
殊なる事なき女をよしと思ひ定めてこそ添ひゐたらめと、いやしいくも推し測られ、よき女ならば、らうたくしてぞ、あが仏と守りゐたらむ。
たとへば、さばかりにこそと覚えぬべし。
まして、家の内を行ひ治めたる女、いと口惜し。
子など出で来て、かしづき愛したる、心憂し。
男なくなりて後、尼になりて年寄りたる有様、亡き跡まであさまし。
いかなる女なりとも、明け暮れ添ひ見んには、いと心づきなく、憎かりなん。
女のためにも、半空にこそならめ。
よそながら時々通ひ住まんこそ、年月経ても絶えぬ仲らひともならめ。
あからさまに来て、泊まり居などせんには、珍しかりぬべし。
「夜に入りて、物の映えなし」といふ人、いと口惜し。
よろづのものの綺羅、飾り、色ふしも、夜のみこそめでたけれ。
昼は、ことそぎ、およすけたる姿にてもありなん。
夜は、きららかに、はなやかなる装束、いとよし。
人の気色も、夜の火影ぞ、よきはなく、物言ひたる声も、暗くて聞きたる、用意ある、心にくし。
匂ひも、ものの音も、ただ、夜ぞひときはめでたき。
さして殊なる事なき夜、うち更けて参れる人の、清げなるさましたる、いとよし。
若きどち、心止めて見る人は、時を分かぬものなれば、殊に、うち解けぬべき折節ぞ、褻、晴れなくひきつくろはまほしき。
よき男の、日暮れてゆするし、女も、夜更くるほどに、すべりつつ、鏡取りて、顔などつくろひて出づるこそ、をかしけれ。
神、仏にも、人の詣でぬ日、夜参りたる、よし。
くらき人の、人を測りて、その智を知れりと思はん、さらに当たるべからず。
つたなき人の、碁打つ事ばかりにさとく、巧みなるは、賢き人の、この芸におろかなるを見て己れが智に及ばずと定めて、よろづの道の匠、我が道を人の知らざるを見て、己れすぐれたりと思はん事、大きなる誤りなるべし。
文字の法師、暗証の禅師、互ひに測りて、己れに如かずと思へる、ともに当たらず。
己れが境界にあらざるものをば、争ふべからず、是非すべからず。
達人の、人を見る眼は、少しも誤る所あるべからず。
例へば、ある人の、世に虚言を構へ出だして、人を謀る事あらんに、素直に、まことと思ひて、言ふままに謀らるる人あり。
余りに深く信を起こして、なほ煩はしく、虚言を心得添ふる人あり。
また、何としも思はで、心をつけぬ人あり。
また、いささかおぼつかなく覚えて、頼むにもあらず、頼まずもあらで、案じゐたる人あり。
また、まことしくは覚えねども、人の言ふ事なれば、さもあらんと止みぬる人もあり。
また、さまざまに推し、心得たるよしして、賢げにうちうなづき、ほほ笑みてゐたれど、つやつや知らぬ人あり。
また、推し出だして、「あはれ、さるめり」と思ひながら、なほ、誤りもこそあれと怪しむ人あり。
また、「異なるやうもなかりけり」と、手を打ちて笑ふ人あり。
また、心得たれども、知れりとも言はず、おぼつかなからぬは、とかくの事なく、知らぬ人と同じあうにて過ぐる人あり。
また、虚言の本意を、初めより心得て、少しもあざむかず、構へ出だしたる人と同じ心になりて、力を合はする人あり。
愚者の中の戯れだに、知りたる人の前にては、このさまざまの得たる所、詞にても、顔にても、隠れなく知られぬべし。
まして、明らかならん人の、惑へる我等の姿を見んこと、掌の上の物を見んがごとし。
但し、かやうの推し測りにて、仏法までをなずらへ言ふめきにはあらず。
ある人、久我縄手を通りけるに、小袖に大口着たる人、木造りの地蔵を田の中の水におし浸して、なんごろに洗ひけり。
心得難く見るほどに、狩衣の男二三人出で来て、「ここにおはしましけり」とて、この人を具して去にけり。
久我内大臣殿にてぞおはしける。
尋常におはしましける時は、神妙に、やんごとなき人にておはしけり。
東大寺の神輿、東寺の若宮より帰座の時、源氏の公卿参られけるに、この殿、第府にて先を追はれけるを、土御門相国、「社頭にて、警蹕いかが侍るべからん」と申されければ、「随身の振舞は、兵杖の家が知る事に候ふ」とばかり答へ給ひけり。
さて、後に仰せられけるは、「この相国、北山抄を見て、西宮の説をこそ知らざりけれ。眷属も悪鬼、悪神恐るる故に、神社にて、殊に先を追ふべき理あり」とぞ仰せられける。
諸寺の僧のみにもあらず、定額の女孺といふ子と、延喜式に見えたり。
すべて、数定まりたる公人の通号にこそ。
揚名介に限らず、揚名目といふものあり。
政事要略にあり。
横川行宣法師が申し侍りしは、「唐土は、呂の国なり。律の音なし。和国は単律の国にて、呂の音なし」と申しき。
呉竹は、葉細く、河竹は葉広し。
御溝に近きは河竹、仁寿殿の方に寄りて植ゑられたるは呉竹なり。
退凡、下乗の卒塔婆、外なるは下乗、内なるは退凡なり。
十月を神無月と言ひて、神事に憚るべきよりは、記したる物なし。
本文も見えず。
但し、当月、諸社の祭りなき故に、この名あるか。
この月、よろづの神達太神宮に集まり給ふなど言ふ説あれども、その本説なし。
さる事ならば、伊勢には殊に祭月とすべきに、その例もなし。
十月、諸社の行幸、その例も多し。
但し、多くは不吉の例なり。
勅勘の所に靫(ゆぎ)懸くる作法、今は絶えて、知れる人なし。
主上の御悩、大方、世の中の騒がしき時は、五条の天神に靫を懸けらる。
鞍馬に靫の明神といふも、靫懸けられたりける神なり。
看督長の負ひたる靫をその家に懸けられぬれば、人出で入らず。
この事絶えて後、今の世には、封を著くることになりにけり。
犯人を笞にて打つ時は、拷器に寄せて結ひ付くるなり。
拷器の様も、寄する作法も、今はわきまへ知れる人なしとぞ。
比叡山に、大師勧請の起請といふ事は、慈恵僧正書き始め給ひけるなり。
起請文といふ事、法曹にはその沙汰なし。
古の聖代、すべて、起請文につきて行はるる政はなきを、近代、この事流布したるなり。
また、法令には、水火に穢れを立てず。
入れ物には穢れあるべし。
徳大寺故大臣殿、検非違使の別当の時、中門にて、使庁の評定行はれけるほどに、官人章兼が牛放たれて、庁の内へ入りて、大理の座の浜床の上に登りて、にれうちかみて臥したりけり。
重き怪異なりとて、牛を陰陽師のもとへつかはすべきよし、各々申しけるを、父の相国聞き給ひて、「牛に分別なし。足あれば、いづくへか登らざらん。尫弱の官人、たまたま出仕の微牛を取らるやうなし」とて、牛をば主に返して、臥したりける畳をば換へられにけり。
あへて凶事なかりけるとなん。
「怪しみを見て怪しまざる時は、怪しみかへりて破る」と言へり。
亀山殿建てられんとて地を引かれけるに、大きなる蛇、数も知らず凝り集まりたる塚ありけり。
「この所の神なり」と言ひて、事の由を申しければ、「いかがあるべき」と勅問ありけるに、「古くよりこの地を占めたる物ならば、さうなく掘り捨てられ難し」と皆人申されけるに、この大臣、一人、「王土にをらん虫、皇居を建てられんに、何の祟りをかなすべき。鬼神はよこしまなし。咎むべからず。ただ、皆掘り捨つべし」と申されければ、塚を崩して、蛇を大井川に流してけり。
さらに祟りなかりけり。
経文などの紐を結ふに、上下よりたすきに交へて、二筋の中よりわなの頭を横様に引き出す事は、常のことなり。
さやうにしたるをば、華厳院弘舜僧上、解きて直させけり。
これは、このごろやうのことなり。いとにくし。
うるはしくは、ただ、くるくると巻きて上より下へ、縄の先を挟む。
古き人にて、かやうの事知れる人になん侍りける。
人の田を論ずる者、うたへに負けて、ねたさに、「その田を刈りて取れ」とて人をつかはしけるに、まづ道すがらの田をさへ刈りもてゆくを、
「これは論じ給ふところにあらず。いかにかくは」といひければ、刈る者ども、「その所とても、刈るべき理なけれども、僻事せむとてまかる者なれば、いづくをか刈らざらむ」とぞいひける。
理いとをかしけり。
「喚子鳥は春のものなり」とばかり言ひて、いかなる鳥ともさだかに記せるものなし。
ある真言書の中に、「喚子鳥鳴く時、招魂の法を行ふ次第あり。これは鵺なり。万葉集の長歌に、霞立つ、長き春日の」など続けたり。
鵺鳥も喚子鳥のことざまに通ひて聞こゆ。
よろづの事は頼むべからず。
愚かなる人は、深くものを頼む故に、恨み、怒る事あり。
勢ひありとて頼むべからず。
こはき者まづ滅ぶ。
財多しとて頼むべからず。
時の間に失ひ易し。
才ありとて頼むべからず。
孔子も時に遇はず。
徳ありとて頼むべからず。
顔回も不幸なりき。
君の寵をも頼むべからず。
誅を受くる事すみやかなり。
奴従へりとて頼むべからず。
背き走る事あり。
人の志をも頼むべからず。
必ず変ず。
約をも頼むべからず。
信あること少し。
身をも人をも頼まざれば、是なる時は喜び、非なる時は恨みず。
左右広ければ、障らず、前後遠ければ、塞がらず。
狭き時は拉げ砕く。
心を用ゐる事少しきにして厳しき時は、ものに逆ひ、争ひて破る。
緩くして柔らかなる時は、一毛も損せず。
人は天地の霊なり。
天地は限る所なし。
人の性、何ぞ異ならん。
寛大にして極まらざる時は、喜怒これに障らずして、もののために煩はず。
秋の月は、限りなくめでたきものなり。
いつとても月はかくこそあれとて、思ひ分かざらむ人は、無下に心うかるべきことなり。
御前の火炉に火を置く時は、火箸して挟むことなし。
土器より直ちに写すべし。
されば、転び落ちぬやうに心得て、炭を積むべきなり。
八幡の御幸に、供奉の人、浄衣を着て、手にて炭をさされければ、ある有職の人、「白き物を着たる日は、火箸を用ゐる、苦しからず」と申されけり。
相夫恋といふ楽は、女、男を恋ふる故の名にはあらず、本は相府蓮、文字の通へるなり。
晋の王倹、大臣として、家に蓮を植ゑて愛せし時の楽なり。
これより、大臣を蓮府といふ。
廻忽も廻鶻なり。
廻鶻国とて、夷の、こはき国あり。
その夷、漢に伏して後に、来りて、己れが国の楽を奏せしなり。
平宣時朝臣、老いの後、昔語りに、「最明寺入道、ある宵の間に呼ばるることありしに、『やがて。』と申しながら、直垂のなくてとかくせしほどに、また使ひ来たりて、『直垂などの候はぬにや。夜なれば異様なりともとく。』とありしかば、なえたる直垂、うちうちのままにてまかりたりしに、銚子に土器取り添へて持て出でて、『この酒を一人たうべんがさうざうしければ、申しつるなり。肴こそなけれ。人は静まりぬらん。さりぬべき物やあると、いづくまでも求め給へ。』とありしかば、紙燭さして、くまくまを求めしほどに、台所の棚に、小土器に味噌の少しつきたるを見出でて、『これぞ求め得て候ふ。』と申ししかば、『こと足りなん。』とて、心よく数献に及びて、興に入られ侍りき。その世にはかくこそ侍りしか」と申されき。
最明寺入道、鶴岡の社参の次に、足利左馬入道のもとへ、まづ使を遣して、立ち入られたりけるに、あるじまうけられたりける様、一献に打ち鮑、二献に海老、三献にかいもちひにて止みぬ。
その座には、亭主夫婦、隆辨僧正、主方の人にて座せられけり。
さて、「年ごとに給はる足利の染物、心もとなく候ふ」と申されければ、「用意し候ふ」とて、いろいろの染物三十、前にて、女房どもに小袖に調ぜさせて、後に遣はされけり。
その時見たる人の、近くまで侍りしが、語り侍りしなり。
ある大福長者のいはく、「人はよろづをさしおきて、ひたぶるに徳をつくべきなり。貧しくては生けるかひなし。富めるのみを人とす。
徳をつかむと思はば、すべからくまづその心づかひを修行すべし。その心といふは、他の事にあらず。人間常住の思ひに住して、かりにも無常を観ずることなかれ。これ第一の用心なり。
次に、万事の用をかなふべからず。人の世にある、自他につけて所願無量なり。欲に随ひて志を遂げむと思はば、百万の銭ありといふとも、しばらくも住すべからず。所願は止む時なし。財は尽くる期あり。限りある財をもちて、限りなき願ひにしたがふ事、得べからず。
所願心にきざす事あらば、われを滅ぼすべき悪念来たれりと、かたく慎み恐れて、小要をもなすべからず。
次に、銭を奴のごとくして使ひ用ゐる物と知らば、ながく貧苦をまぬかるべからず。君のごとく神のごとく恐れたふとみて、従へ用ゐる事なかれ。次に、恥に臨むといふとも、怒り恨むる事なかれ。次に、正直にして約を固くすべし。この義をまぼりて利を求めむ人は、富の来たる事、火のかわけるにつき、水のくだれるに従ふがごとくなるべし。銭積りて尽きざる時は、宴飲声色と事とせず、居所をかざらず、所願を成ぜざれども、心とこしなへに安く楽し」と申しき。
そもそも、人は所願を成ぜむがために財を求む。
銭を財とすることは、願ひをかなふるがゆゑなり。
所願あれどもかなへず、銭あれども用ゐざらむは、全く貧者とおなじ。
何をか楽しびとせむ。
このおきては、ただ人間の望みをたちて、貧を憂ふべからずと聞こえたり。
欲を成じて、楽しびとせむよりは、しかじ、財なからむには。
癰、疽を病む者、水に洗ひて楽しびとせむよりは、病まさらむにはしかじ。
ここにいたりては、貧富分く所なし。
究竟は理即にひとし。大欲は無欲に似たり。
狐は人に食ひつくものなり。
堀川殿にて、舎人が寝たる足を狐に食はる。
仁和寺にて、夜、本寺の前を通る下法師に狐三つ飛びかかりて食ひつきければ、刀を抜きてこれを防ぐ間、狐二匹を突く。
一つは突き殺しぬ。二つは逃げぬ。
法師は、あまた所食はれながら、事故なかりけり。
四条黄門命ぜられていはく、「竜秋は、道にとりては、やんごとなき者なり。先日来りていはく、『短慮の至り、極めて荒涼の事なれども、横笛の五の穴は、いささかいぶかしき所の侍るかと、ひそかにこれを存ず。その故は、干の穴は平調、五の穴は下無調なり。その間に、勝絶調を隔てたり。上の穴、双調。次に、鳧鐘調を置きて、夕の穴、黄鐘調なり。その次に鸞鏡調を置きて、中の穴、盤渉調、中と六とのあはひに、神仙調あり。かやうに、間々に皆一律をぬすめるに、五の穴のみ、上の間に調子を持たずして、しかも、間を配る事等しき故に、その声不快なり。されば、この穴を吹く時は、必ずのく。のけあへぬ時は、物に合はず。吹き得る人難し。』と申しき。料簡の至り、まことに興あり。先達、後生を畏るといふこと、この事なり」と侍りき。
他日に、景茂が申し侍りしは、「笙は調べおほせて、持ちたれば、ただ吹くばかり。笛は、吹きながら、息のうちにて、かつ調べもてゆく物なれば、穴ごとに、口伝の上に性骨を加へて、心を入るること、五の穴のみに限らず。ひとへに、のくとばかりも定むべからず。あしく吹けば、いづれに穴も心よからず。上手はいづれをも吹き合はす。呂律の、ものに適はざるは、人の咎なり。器の失にあらず」と申しき。
「何事も、辺土はいやしく、かたくななれども、天王寺の舞楽のみ都に恥ぢず」といふ。
天王寺の伶人の申し侍りしは、「当寺の楽は、よく図を調べ合はせて、ものの音のめでたく調り侍る事、外よりもすぐれたり。故は、太子の御時の図、今に侍るを博士とす。いはゆる六時堂の前の鐘なり。その声、黄鐘調の最中なり。寒、暑に従ひて上がり、下がりあるべき故に、二月涅槃会より聖霊会までの中間を指南とす。秘蔵の事なり。この一調子をもちて、いづれの声をも調べ侍るなり」と申しき。
凡そ、鐘の声は黄鐘調なるべし。
これ、無常の調子、祇園精舎の無常院の声なり。
西園寺の鐘、黄鐘調に鋳らるべしとて、あまた鋳かへられけれど、かなはざりけるを、遠国より尋ね出されけり。
浄金剛院の鐘の声、また黄調なり。
「建治、弘安のころは、祭りの日の放免の付け物に、異様なる紺の布四五反にて馬を作りて、尾、髪には灯心をして、蜘蛛の網描きたる水干に付けて、歌の心など言ひて渡りし事、常に見及び侍りしなども、興ありてしたる心地にてこそ侍りしか」と、老いたる道志どもの今日も語り侍るなり。
このごろは、付け物、年を送りて、過差殊の外になりて、よろづの重き物を多く付けて、左右の袖を人に持たせて、自らは鉢をだに持たず、息づき、苦しむ有り様、いと見苦し。
竹谷乗願房、東二条院へ参られたりけるに。
「亡者の追善には、何事か勝利多き」と尋ねさせ給ひければ、「光明真言、宝篋印陀羅尼」と申されたりけるを、弟子ども、「いかにかくは申し給ひけるぞ。念仏に勝る事候ふまじとは、など申し給はぬぞ」と申しければ、「我が宗なれば、さこそ申さまほしかりつれども、正しく、称名を追福に修して巨益あるべしと説ける経文を見及ばねば、何に見えたるぞと重ねて問はせ給へば、いかが申さんと思ひて、本経の確かなるにつきて、この真言、陀羅尼をば申しつるなり」とぞ申されける。
鶴の大臣殿は、童名、たづ君なり。
鶴を飼ひ給ひける故にと申すは、僻事なり。
陰陽師有宗入道、鎌倉より上りて、尋ねまうで来りしが、まづさし入りて、「この庭のいたづらに広きこと、あさましく、あるべからぬ事なり。道を知る者は、植うる事を努む。細道一つ残して、皆畠に作り給へ」と諌め侍りき。
まことに、少しの地をもいたづらに置かんことは、益なき事なり。
食ふ物、薬種など植ゑ置くべし。
多久資が申しけるは、通憲入道、舞の手の中に興ある事どもを撰びて、磯の禅師といひける女に教へて舞はせけり。
白き水干に、鞘巻を差させ、烏帽子を引き入れたりければ、男舞とぞ言ひける。
禅師が娘、静と言ひける、この芸を継げり。
これ、白拍子の根元なり。
仏神の本縁を歌ふ。
その後、源光行、多くの事を作れり。
後鳥羽院の御作もあり。
亀菊に教へさせ給ひけるとぞ。
後鳥羽院の御時、信濃の前司行長、稽古のほまれありけるが、楽府の御論議の番に召されて、七徳の舞を二つ忘れたりければ、五徳の冠者と異名をつきにけるを、心うきことにして、学問を捨てて遁世したりけるを、慈鎮和尚、一芸ある者をば下部までも召しおきて、不便にさせ給ひければ、この信濃の入道を扶持し給ひけり。
この行長入道、平家物語を作りて、生仏といひける盲目に教へて語らせけり。
さて山門のことを、ことにゆゆしく書けり。
九郎判官のことは、くはしく知りて書きのせたり。
蒲の冠者のことは、よく知らざりけるにや、多くのことどもをしるしもらせり。
武士のこと、弓馬のわざは、生仏、東国の者にて、武士に問ひ聞きて書かせけり。
かの生仏が生まれつきの声を、今の琵琶法師は学びたるなり。
六時礼讃は、法然上人の弟子、安楽といひける僧、経文を集めて作りて、勤めにしけり。
その後、太秦善観房といふ僧、節博士を定めて、声明になせり。
一念の念仏の最初なり。
後嵯峨院の御代より始まれり。
法事讃も、同じく、善観房始めたるなり。
千本の釈迦念仏は、文永のころ、如輪上人、これを始められけり。
よき細工は、少しにぶき刀をつかふといふ。
妙観が刀はいたくたたず。
五条内裏には、妖物ありけり。
藤大納言殿語られ侍りしは、殿上人ども、黒戸にて碁を打ちけるに、御簾を掲げて見るものあり。
「誰そ」と見向きたれば、狐、人のやうについゐて、さし覗きたるを、「あれ狐よ」とどよまれて、惑ひ逃げにけり。
未練の狐、化け損じにこそ。
「『園の別当入道はさうなき庖丁者なり。ある人のもとにて、いみじき鯉をいだしたりければ、みな人、別当入道の庖丁を見ばやと思へども、たやすくうちいでむもいかがとためらひけるを、別当入道さる人にて、「このほど百日の鯉を切り侍るを、けふ欠き侍るべきにあらず。まげて申しうけむ」とて切られける、いみじくつきづきしく、興ありて人ども思へりける。』と、ある人、北山の太政入道殿に語り申されたりければ、
『かやうのこと、おのれはよにうるさくおぼゆるなり。「切りぬべき人なくばたべ。切らむ」といひたらむはなほよかりなむ。なんでふ百日の鯉を切らむぞ。』と宣ひたりし、をかしくおぼえし」と人の語り給ひける、いとをかし。
おほかた、ふるまひて興あるよりも、興なくてやすらかなるが、まさりたることなり。
まれ人の饗応なども、ついでをかしきやうに取りなしたることもまことによけれども、ただそのこととなくて取りいでたる、いとよし。
人に物を取らせたるも、ついでなくて、「これを奉らむ」といひたる、まことの志なり。
惜しむよしして乞はれむと思ひ、勝負の負けわざにことつけてなどしたる、むつかし。
すべて、人は、無智、無能なるべきものなり。
ある人の子の、身ざまなど悪しからぬが、父の前にて、人ともの言ふとて、史書の文を引きたりし、賢しくは聞こえしかども、尊者の眼にてはさらずとも覚えしなり。
また、ある人のもとにて、琵琶法師の物語を聞かんとて琵琶を召し寄せたるに、柱の一つ落ちたりしかば、「作りて付けよ」と言ふに、ある男の中に、悪しからずと見ゆるが、「古き柄杓の柄ありや」などいふを見れば、爪を生ふしたり。
琵琶など弾くにこそ。
盲法師の琵琶、その沙汰にも及ばぬことなり。
道に心得たるよしにやと、かたはらいたかりき。
「柄杓の柄は、桧物木とかやいひて、よからぬ物に」とぞある人仰せられし。
若き人は、少しの事も、よく見え、わろく見ゆるなり。
よろづの咎あらじと思はば、何事にもまことありて、人を分かずうやうやしく、ことば少なからむにはしかじ。
男女老少みなさる人こそよけれども、ことに若くかたちよき人の言うるはしきは、忘れがたく思ひつかるるものなり。
よろづのとがは、なれたるさまに上手めき、所得たるけしきして、人をないがしろにするにあり。
人の物を問ひたるに、知らずしもあらじ、ありのままに言はむはをこがましとにや、心まどはすやうに返り事したる、よからぬことなり。
知りたることも、なほさだかにと思ひてや問ふらむ。
また、まことに知らぬ人もなどかなからむ。
うららかにいひきかせたらむは、おとなしく聞こえなまし。
人はいまだ聞き及ばぬことを、わが知りたるままに、「さてもその人のことのあさましさ」などばかりいひやりたれば、いかなることのあるにかと、おし返し問ひにやるこそ心づきなけれ。
世にふりぬることをも、おのづから聞きもらすあたりもあれば、おぼつかなからぬやうに告げやりたらむ、あしかるべきことかは。
かやうのことは、ものなれぬ人のあることなり。
主ある家には、すずろなる人、心のままに入り来ることなし。
あるじなき所には、道行き人みだりにたち入り、狐、梟やうのものも、人げにせかれねば、ところえ顔に入り住み、こだまなどいふけしからぬ形もあらはるるものなり。
また鏡には色形なきゆゑに、よろづの影来りてうつる。
鏡に色形あらましかばうつらざらまし。
虚空よく物を容る。
われらが心に、念々のほしきままに来たり浮かぶも、心といふもののなきにやあらむ。
心に主あらましかば、胸の中にそこばくのことは入り来たらざらまし。
丹波に出雲といふ所あり。
大社をうつして、めでたくつくれり。
しだのなにがしとかやしる所なれば、秋のころ、聖海上人、そのほかも、人あまた誘ひて、「いざ給へ、出雲拝みに。かいもちひ召させん」とて具しもていきたるに、おのおの拝みて、ゆゆしく信おこしたり。
御前なる獅子、狛犬、そむきて、後ろさまに立ちたりければ、上人いみじく感じて、「あなめでたや。この獅子の立ちやう、いとめづらし。ふかきゆゑあらん」と涙ぐみて、「いかに殿ばら、殊勝の事は御覧じとがめずや。むげなり」と言へば、おのおのあやしみて、「まことに他に異なりけり。都のつとに語らん」など言ふに、
上人なほゆかしがりて、おとなしく物知りぬべき顔したる神官を呼びて、「この御社の獅子の立てられやう、さだめてならひあることに侍らん。ちと承らばや」と言はれければ、「そのことに候ふ。さがなき童べどものつかまつりける、奇怪に候ふことなり」とて、さしよりて、据ゑなほして往にければ、上人の感涙いたづらになりにけり。
柳筥に据うる物は、縦様、横様、物によるべきにや。
「巻物などは、縦様に置きて、木の間より紙ひねりを通して、結ひ付く。硯も、縦様に置きたるを、筆転ばず、よし」と、三条右大臣殿仰せられき。
勘解由小路の家の能書の人々は、仮にも縦様に置かるる事なし。
必ず、横様に据ゑられ侍りき。
御随身近友が自讃とて、七箇条書き止めたる事あり。
皆、馬芸、させることなき事どもなり。
その例を思ひて、自讃の事七つあり。
一、人あまた連れて花見ありきしに、最勝光院の辺にて、男の馬を走らしむるを見て、「今一度馬を馳するものならば、馬倒れて、落つべし。しばし見給へ」とて立ち止まりたるに、また、馬を馳す。
止むるに所にて、馬を引き倒して、乗る人、泥土の中に転び入る。
その詞の誤らざる事を人皆感ず。
一、当代、未だ坊におはしまししころ、万里小路殿御所なりしに、堀川大納言伺候し給ひし御曹司へ用ありて参りたりしに、論語の四、五、六の巻をくりひろげ給ひて、「ただ今、御所にて、紫の朱奪ふことを悪むといふ文を御覧ぜられたき事ありて、御本を御覧ずれども、御覧じ出だされぬなり。『なほよく引き見よ。』と仰せ事にて、求むるなり」と仰せらるるに、「九の巻のそこそこに侍る」と申したりしかば、「あな嬉し」とて、もて参らせ給ひき。
かほどの事は児どもも常の事なれど、昔の人はいささかのことをもいみじく自讃したるなり。
後鳥羽院の、御歌に、「袖と袂と、一首の中に悪しかりなんや」と定家卿に尋ね仰せられたるに、「『秋の野の草の袂か花薄穂に出でて招く袖と見ゆらん』と侍れば、何事か候ふべき」と申されたる事も、「時に当たりて本歌を覚悟す。道の冥加なり、高運なり」など、ことごとしく記し置かれ侍るなり。
九条相国伊通公の款状にも、殊なる事なき題目をも書き載せて、自讃せられたり。
一、常在光院の撞き鐘の銘は、在兼卿の草なり。
行房朝臣清書して、鋳型に模さんとせしに、奉行の入道、かの草を取り出でて見せ侍りしに、「花のほかに夕を送れば、声百里に聞こゆ」いふ句あり。
「陽唐の韻と見ゆるに、百里誤りか」と申したりしを、「よくぞ見せ奉りける。己れが高名なり」とて、筆者のもとへ言ひ遣りたるに、「誤り侍りけり。数行と直さるべし」と返事侍りき。
数行もいかなるべきにか。もし数歩の心地か。おぼつかなし。
数行なほ不審。数は四五なり。鐘四五歩不幾なり。ただ、遠く聞こゆる心なり。
一、人あまた伴ひて、三塔巡礼の事侍りしに、横川の常行堂の中、竜華院と書ける、古き額あり。
「佐理、行成の間疑ひありて、未だ決せずと申し伝へたり」堂僧ことごとしく申し侍りしを、「行成ならば、裏書あるべし。佐理ならば、裏書きあるべからず」と言ひたりしに、裏は、塵積もり、虫の巣にていぶせげなるを、よく掃き拭ひて、各々見侍りしに、行成位書、名字、年号、定かに見え侍りしかば、人皆興に入る。
一、那蘭陀寺にて、道眼聖談義せしに、八災といふを忘れて、「これや覚え給ふ」と言ひしを、所化皆覚えざりしに、局の内より、「これこれにや」と言ひ出だしたれば、いみじく感じ侍りき。
一、賢助僧正に伴ひて、加持香水を見侍りしに、未だ見果てぬほどに、僧正帰り出で侍りしに、陣の外まで僧都見えず。
法師どもを帰して求めさするに、「同じ様なる大衆多くて、え求め逢はず」と言ひて、いと久しくて出でたりしを、「あなわびし。それ求めておはせよ」と言はれしに、帰り入りて、やがて具して出でぬ。
一、二月十五日、月明かき夜、打ち更けて、千本の寺に詣でて、後ろよりは入りて、ひとり顔深く隠して聴聞し侍りしに、優なる女の、姿、匂ひ、人より殊なるが、分け入りて、膝に居かかれば、匂ひなども移るばかりなれば、便ありと思ひて、すり退きたるに、なほ居寄りて、同じ様なれば、立ちぬ。
その後、ある御所様の古き女房の、そぞろごと言はれしついでに、「無下に色なき人におはしけりと、見おとし奉る事なんありし。情けなしと恨み奉る人なんある」と宣ひ出だしたるに、「さらにこそ心得侍らね」と申してやみぬ。
この事、後に聞き侍りしは、かの聴聞の内より、人の御覧じ知りて、候ふ女房を作り立てて出し給ひて、「便よくは、言葉などかけんものぞ。その有様参りて申せ。興あらん」とて謀らせ給ひけるとぞ。
八月十五日、九月十三日は、婁宿なり。
この宿、清明なる故に、月をもてあそぶに良夜とす。
しのぶの浦の蜑の見るめも所せく、くらぶの山も守る人繁からんに、わりなく通はん心の色こそ、浅からず、あはれと思ふ、節々の忘れ難き事も多からめ、親、はらから許して、ひたふるに迎へ据ゑたらん、いとまばゆかりぬべし。
世にありわぶる女の、似げなき老法師、あやしの東人なりとも、賑ははしきにつきて、「誘ふ水あらば」など言ふを、仲人、いづかたも心にくき様に言ひなして、知られず、知らぬ人を迎へもて来たらんあいなさよ。
何事をか打ち出づる言の葉にせん。
年月のつらさをも、「分け来し葉山の」なども相語らんこそ、尽きせぬ言の葉にてもあらめ。
すべて、余所の人の取りまかなひたらん、うたて心づきなき事多かるべし。
よき女ならんに付けても、品下り、醜く、年も長けなん男は、かくあやしき身のために、あたら身をいたづらになさんやはと、人も心劣りせられ、我が身は、向かひゐたらんも、影恥づかしく覚えなん。
いとこそあいなからめ。
梅の花かうばしき夜の朧月にたたづみ、御垣が原の露分け出でん有明の空も、我が身様にしのばるべくもなからん人は、ただ、色好まざらんには如かじ。
望月のまどかなる事は、暫くも住せず、やがて欠けぬ。
心止めぬ人は、一夜のうちにさまで変はるさまも見えぬにやあらん。
病の重るも、住する隙なくして、死期すでに近し。
されども、未だ病急ならず、死におもむかざるほどは、常住平生の念に習ひて、生のうちに多くの事を成じて後、静かに道を修せんと思ふほどに、病を受けて死門に臨む時、所願一事も成ぜず。
言ふかたなくて、年月の懈怠を悔いて、このたび、もし立ち直りて命を全くせば、夜を日に継ぎて、この事、かの事、怠らず成じてんと願ひを起こすらめど、やがて重りぬれば、我にもあらず取り乱して果てぬ。
この類のみこそあらめ。
この事、まづ、人々、急ぎ心に置くべし。
所願を成じて後、暇ありて道に向かはんとせば、所願尽くべからず。
如幻の生のうちに、何事をかなさん。
すべて、所願皆妄想なり。
所願心に来たらば、妄心迷乱すと知りて、一事をもなすべからず。
直に万事を放下して道に向かふ時、障りなく、所作なくて、心身長く静かなり。
とこしなへに違順に使はるる事は、ひとへに苦楽のためなり。
楽といふは、好み愛する事なり。
これを求むること、止む時なし。
楽欲する所、一つには名なり。
名に二種あり。
行跡と才芸との誉れなり。
二つには色欲、三つには味はひなり。
よろづの願ひ、この三つには如かず。
これ、顛倒の想より起こりて、若干の煩ひあり。
求めざらんには如かじ。
八つになりし年、父に問うていはく、「仏はいかなるものにか候ふらむ」といふ。
父がいはく、「仏には人のなりたるなり」と。
また問ふ、「人はなにとして仏にはなり候ふやらん」と。
父また「仏の教へによりてなるなり」と答ふ。
また問ふ、「教へ候ひける仏をば、何が教へ候ひける」と。
また答ふ、「それもまたさきの仏の教へによりてなり給ふなり」と。
また問ふ、「その教へはじめ候ひける第一の仏は、いかなる仏にか候ひける」といふ時、父「空よりや降りけん、土よりやわきけん」といひて笑ふ。
「問ひつめられてえ答へずなり侍りつ」と諸人に語りて興じき。