灌頂巻 | 建礼門院(清盛の娘・高倉天皇皇后・平徳子)の後日談。清盛の物語(平家の栄華)は若い高倉天皇と共に始まり共に終わった。 | |
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章題 読み方 |
原文冒頭 | |
概要※ | ||
1 |
女院出家 にょいんしゅっけ 異:大原入 |
建礼門院は、東山のふもと |
元暦2年 (1185年) 徳子は東山の吉田で出家(屋代本などではこの章は巻11)。 | ||
1-2 |
大原入 おおはらいり |
建礼門院は、東山のふもと |
文治元年 (1185年) 地震があり、徳子は大原寂光院に移る。 (以後の章段は、屋代本などでは巻12) | ||
2 |
大原御幸 おおはらごこう |
かかりしほどに、文治二年の春の頃 |
文治2年 (1186年) 後白河法皇が寂光院を訪問(平家物語のすべての巻に登場する唯一の人物が後白河法皇である)。 春過ぎ夏きたって、北祭も過ぎしかば、法皇夜をこめて大原の奥へぞ御幸なる。 |
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3 |
六道之沙汰 ろくどうのさた 異:六道 |
世をいとふ御習ひ、何かは苦しう候ふべき |
自分の生涯は六道だったと徳子が後白河院に語る。 | ||
3-2 |
女院死去 にょいんしきょ 異:六道 正節:御往生 ごおうじょう |
さるほどに寂光院の鐘の声 |
建久2年 (1191年) 徳子死去。「かぎりある御事なれば、建久二年きさらぎの中旬に、一期遂に終らせ給ひぬ」 |
※概要はWikipedia#平家物語の内容から引用。