章題 読み方 |
原文冒頭 | |
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概要※ | ||
1 |
首渡/頚渡 くびわたし |
寿永三年二月七日、摂津国一の谷にて討たれし |
多くの平家の首が京にさらされた。 | ||
2 |
内裏女房/内裡女房 だいり(の)にょうぼう |
同じき十四日、生け捕り本三位中将重衡卿 |
三位中将重衡の引き回し。重衡は愛人の内裏女房と面会できた。 | ||
3 |
八島院宣 やしまいんぜん 異:院宣請文 いんぜんうけぶみ |
さるほどに、平三左衛門重国 |
屋島へ院宣。三種の神器を返還すれば重衡を許すと。 | ||
3-2 |
請文 うけぶみ 異:院宣請文 |
大臣殿、平大納言のもとへは |
平家の棟梁、清盛の次男宗盛は、三種の神器の返還を拒否。 | ||
4 |
戒文 かいもん |
三位中将、これを聞いて |
重衡は法然と面会し受戒。 | ||
5 |
海道下 かいどうくだり |
さるほどに、本三位中将重衡卿をば |
重衡を鎌倉へ護送。 | ||
6 |
千手前 せんじゅのまえ 異:千手 |
兵衛佐、急ぎ見参して申されけるは |
手越の長者の娘、千手前が派遣され、今様を歌い琵琶を弾き、重衡を一晩もてなす。 「よはひ廿ばかりなる女房の、色白うきよげにて、まことに優にうつくしきが、目結の帷に染付の湯巻して、湯殿の戸をおしあけて参りたり」 |
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7 |
横笛 よこぶえ |
さるほどに、小松の三位中将維盛卿は |
以後重盛の長男維盛の物語が6章段続く。維盛は屋島を出て高野山に行く。高野山の斎藤時頼(滝口入道)と横笛の挿話。 | ||
8 |
高野巻 こうやのまき |
滝口入道、三位中将を見奉て |
維盛と滝口入道は高野山をめぐる。 | ||
9 |
惟盛出家 これもりのしゅっけ |
維盛が身のいつとなく雪山の鳥の鳴くらんやうに |
維盛と2人の従者は出家。 | ||
10 |
熊野参詣 くまのさんけい |
やうやうさし給ふほどに、日数ふれば |
維盛らは熊野三山を参詣する。 | ||
11 |
惟盛入水 これもりのじゅすい 異:入水 |
三の御山の参詣、事故なく遂げ給ひしかば |
維盛は那智の沖で入水。2人の従者も後を追う。 「高声に念仏百返計となへつつ、南無と唱ふる声共に、海へぞ入り給ひける」 |
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12 |
三日平氏 みっかへいじ 異:付 池大納言関東下向 いけのだいなごんかんとうげこう |
舎人武里も、同じく入らんとしけるを |
伊勢の三日平氏の乱を義経が平定(この乱は平定までに3日ではなく1ヶ月余要した。平家物語の作者は三日平氏の乱 (鎌倉時代)と混同したのかもしれない)。 | ||
12-2 |
異:藤戸 ・北方出家 |
さるほどに、小松の三位の中将維盛の卿の北の方は、 |
13 |
藤戸 ふじと |
これを鎌倉の兵衛佐かへり聞き給ひて、 |
源範頼軍と平資盛(『吾妻鏡』によれば基盛の子平行盛)軍が備前国で藤戸の戦い。佐々木盛綱は浅瀬を見つけて馬で渡って戦った。 | ||
13-2 |
大嘗会之沙汰 だいじょうえのさた 異:藤戸 |
同じき二十七日、都には九郎判官義経 |
都では大嘗会。範頼は屋島へ追撃をしなかった。 「参河守範頼、(中略)室、高砂にやすらひて、遊君遊女共召しあつめ、あそびたはぶれてのみ月日をおくられけり」(これは範頼への酷評。『吾妻鏡』によれば範頼は屋島攻撃はしなかったが、葦屋浦の戦いをして九州を平定した)。 |
※概要はWikipedia#平家物語の内容から引用。