章題 読み方 |
原文冒頭 | |
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概要※ | ||
1 |
新院崩御 しんいん(の)ほうぎょ |
治承五年正月一日、内裏には |
治承5年 (1181年) 高倉上皇崩御。 | ||
2 |
紅葉 こうよう |
人の思ひつき参らする事は、延喜、天暦の帝と申すとも |
高倉上皇が紅葉を愛した挿話。 | ||
3 |
葵前 あおいのまえ 異:葵女御 あおいのにょうご |
何よりもまたあはれなりし事には |
高倉上皇の挿話2。少女葵前を愛し「しのぶれど いろに出でにけり」(平兼盛)の歌を送った。葵前は早世した。 | ||
4 |
小督 こごう 異:小督局 上 こごうのつぼね |
主上恋慕の御涙に思し召し沈ませ給ひたるを |
高倉上皇の挿話3。女房小督が愛され、徳子(清盛の娘)より先に子(皇女)を生んだ。それで清盛の怒りを買い尼になった。 | ||
4-2 | 異:小督局 下 | さればこそ、君の御こと思ひ出で参らせ給ひて |
5 |
廻文 めぐらしぶみ 異:廻文 付 諸国背平家同心源氏 しょこくへいけをそむきげんじにどうしん |
入道相国は、かやうにいたく情なう |
源義仲の出生と挙兵。「さる程に其ころ信濃国に、木曾冠者義仲といふ源氏ありときこえけり」 | ||
5-2 |
飛脚到来 ひきゃくとうらい 異:廻文 付 諸国背平家同心源氏 |
木曾といふ所は、信濃にとつても南の端 |
九州や四国の武士も源氏の味方になったと飛脚が来た。 | ||
6 |
入道死去 にゅうどうしきょ 異:廻文 付 諸国背平家同心源氏 |
その後四国の兵ども、皆河野四郎に従ひつく |
「思ひおく事とては、伊豆国の流人、前兵衛佐頼朝が頸を見ざりつるこそやすからね」と言い残し、清盛死去。享年64歳。 | ||
6-2 | 異:入道死去 | 同じき二十三日、院の御所にて、俄かに公卿詮議あり |
7 |
築島/築嶋 つきしま 異:経島/慈心坊 |
やがて葬送の夜、不思議の事あまたあり |
清盛の挿話1。福原に経が島を作った。これはよいことだった。 | ||
7-2 |
慈心房/慈心坊 じしんぼう |
古い人の申しけるは、清盛公は悪人とこそ思へども |
清盛の挿話2。清盛は延暦寺の慈恵僧正の生まれ変わりだと閻魔が言った。 | ||
8 |
祇園女御 ぎおんにょうご |
またある人の申しけるは、清盛は忠盛が子にはあらず |
清盛の挿話3。本当は白河院とその愛人祇園女御の子だという説。 | ||
8-2 |
異:須俣合戦 すのまたかっせん |
同じき閏二月二十日、五条大納言邦綱卿失せ給ひぬ |
9 |
嗄声/喘涸声 しわがれごえ 異:横田河原合戦 |
さるほどに越後国の住人、城太郎助永 |
越後守城助長は義仲追討に出発しようとしたが、空からしわがれ声が聞こえて落馬し死んだ。 「俄に身すくみ心ほれて落馬してんげり。輿にかき乗せ館へ帰り、うちふす事三時ばかりして遂に死ににけり」 |
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9-2 |
横田河原合戦 よこたがわらのかっせん |
八月七日、官の庁にて大仁王会行はる |
養和2年 (1182年) 信濃国の現川中島、横田河原の戦いで、義仲が助長の弟城長茂に勝利。 |
※概要はWikipedia#平家物語の内容から引用。