章題 読み方 |
原文冒頭 | |
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概要※ | ||
1 |
生ずきの沙汰 いけずきのさた 異:生ずきするすみ・小朝拝・宇治川 |
寿永三年正月一日、院の御所は大膳大夫成忠が宿所、 |
「其ころ鎌倉殿にいけずき・する墨といふ名馬あり」(高野本) 寿永3年 (1184年) 頼朝は梶原景季に名馬する墨、佐々木高綱に名馬いけずきを与えた。 ★生飡・ウススミ(延慶本)、池月・摺墨(長門本)、生唼・磨墨(盛衰記) |
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1-2 |
宇治川先陣 うじがわのせんじん 異:宇治川 |
寿永三年正月一日、院の御所は |
宇治川の戦い。鎌倉軍は大手が源範頼、搦手は源義経。梶原と佐々木の先陣争い。 「そのまに佐々木はつっとはせぬいて、河へざっとうちいれたる(中略)。いけずきといふ世一の馬には乗ったりけり、宇治河はやしといへども、一文字にざっとわたいて、むかへの岸にうちあがる」 |
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2 |
河原合戦 かわらかっせん |
戦敗れにければ、飛脚をもつて鎌倉殿へ |
六条河原の戦い。義仲主従は京を落ちるときには7騎。その中に女武者、巴御前もいた。 「去年信濃を出でしには五万余騎ときこえしに、今日四の宮河原を過ぐるには、主従七騎になりにけり」 |
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3 |
木曾最期 きそのさいご |
木曾は信濃より、巴、山吹とて二人の美女を具せられたり。 |
「おのれは、とうとう、女なれば、いづちへも行け」と義仲は巴と別れた。粟津の戦い。義仲と今井兼平の最期。 | ||
4 |
樋口被討罰 ひぐちのちゅうばっせられ ひぐちのきられ 異:樋口誅 ひぐちのきられ |
今井が兄の樋口次郎兼光は |
今井の兄樋口兼光は討ち死にをやめて降伏したが斬首。平家は一ノ谷(福原)を回復。 | ||
5 |
六ヶ度軍 ろくかどのいくさ 異:六箇度合戦 ろくかどのかっせん |
さるほどに平家一の谷へ渡り給ひて後は |
中納言教盛(忠盛の四男)の次男、能登守平教経は、瀬戸内の海上戦で6度勝利。 | ||
6 |
三草勢揃 みくさせいぞろえ 異:勢揃 |
同じき正月二十九日、範頼、義経院参して |
大手が源範頼、搦手が義経で、一ノ谷の戦いに出発。 | ||
6-2 |
三草合戦 みくさかっせん 異:勢揃 |
平家の方の大将軍には |
三草山の戦いで義経は夜襲。 | ||
7 |
老馬 ろうば |
大臣殿より、安芸右馬助能行を使者で |
一ノ谷の裏山を、土地の者は、鹿なら通るという。 「鹿の通はんずる所を、馬の通らざるべきやうやある」と義経は案内させた。 |
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8 |
一二之懸/一二懸 いちにのかけ |
六日の夜半ばかりまでは、熊谷、平山からめ手にぞ |
熊谷直実と平山季重は、搦手からさらに西の播磨路へ回り、先陣争い。 | ||
9 |
二度之懸 にどのかけ |
さるほどに、成田五郎も出で来たり |
範頼が攻める大手(生田口)では、梶原景時は子の景季を求めて敵軍中を捜索し、救出した。 | ||
10 |
坂落 さかおとし 異:逆落 |
これを始めて、秩父、足利、三浦、鎌倉 |
搦手の鵯越から義経の三千余騎(『吾妻鏡』によれば70騎)が逆落しで参戦。 それより下を見くだせば、大盤石の苔むしたるが、つるべおとしに十四五丈ぞくだったる。兵どもうしろへとってかへすべきやうもなし、又さきへおとすべしとも見えず。「ここぞ最後」と申してあきれてひかへたるところに、佐原十郎義連すすみいでて申しける 平家は混乱し逃走。 |
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10-2 |
越中前司最期 えっちゅうのぜんじさいご 異:坂落・盛俊最期 |
さるほどに大手にも浜の手にも |
越中前司平盛俊は猪俣範綱を殺そうとしたが、猪俣は降参した者の首をとってよいのかと命乞い。それで助けたら逆に殺された。 猪俣、「まさなや、降人の頸かく様や候」。越中前司「さらばたすけん」 |
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11 |
忠度最期/忠教最期 ただのりさいご 異:薩摩守最期 さつまのかみさいご |
薩摩守忠度は、一の谷西の手の大将軍にて |
薩摩守忠度は清盛の弟(忠盛の六男)。殺されたとき、箙には辞世の歌が結ばれていた。 「敵もみかたも是を聞いて、「あないとほし、武芸にも歌道にも達者にておはしつる人を。あったら大将軍を」とて、涙をながし袖をぬらさぬはなかりけり」 |
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11-2 |
重衡生捕 しげひらいけどり 異:薩摩守最期 |
本三位中将重衡卿は、生田の森の副将軍にて |
清盛の五男、三位中将重衡の馬が矢にやられた。換えの馬に乗る部下後藤盛長は、馬を渡さずに逃げた。重衡は生捕。 | ||
12 |
敦盛最期 あつもり(の)さいご |
一の谷の戦破れにしかば |
平敦盛は清盛の弟経盛(忠盛の三男)の末子。 「さては、汝にあうては名乗るまいぞ。 汝がためにはよい敵ぞ。名乗らずとも首を取って人に問へ。見知らうずるぞ」と言い残して熊谷次郎直実に殺された。 |
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13 |
知章最期 ともあきらさいご 異:武蔵守最期・浜軍 さつまのかみのさいご・はまいくさ |
門脇殿の末の子、蔵人大夫業盛は |
平知章は清盛の三男中納言知盛の子。父知盛と戦おうとする相手を殺したが、その部下に殺された。逃げた知盛は嘆く。 「いかなる親なれば、子の討たるるを助けずして、これまでは逃れ参って候ふやらん。」 |
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13-2 |
落足 おちあし 異:武蔵守最期 |
小松殿の末の子、備中守師盛 |
重盛の五男平師盛も舟が転覆して殺された。教盛(忠盛の四男)の長男平通盛も取り囲まれて殺された。平家は船で一ノ谷を出る。 | ||
14 |
小宰相身投 こざいしょうみなげ 異:小宰相 |
越前三位通盛卿の侍に、君太滝口時算といふ者あり |
通盛の妻小宰相が身投。「泣く泣くはるかにかきくどき、「南無」ととなふる声共に、海にぞ沈み給ひける」 |
※概要はWikipedia#平家物語の内容から引用。