平家物語 巻第三 頼豪:概要と原文

大塔建立 平家物語
巻第三
頼豪
らいごう
少将都帰

〔概要〕
 
 昔白河天皇の皇子が生まれたとき、僧頼豪が怨霊になって皇子が死んだ挿話。(以上Wikipedia『平家物語の内容』)

 


 
 白河院御在位の時、京極の大殿の御娘、后に参らせ給ひけり。賢子の中宮とて、御最愛ありしかば、主上この后の御腹に、皇子誕生あらまほしう思し召して、その頃三井寺に、有験の僧と聞こえし頼豪阿闍梨を召して、「汝、この后の御腹に、皇子御誕生祈り申せ。御願成就せば、所望は請ふによるべし」と仰せくださる。
 頼豪かしこまり承つて、三井寺に帰り、肝胆をくだきて祈り申しければ、中宮やがて御懐妊あつて、承保元年十二月十六日、御産平安、皇子御誕生ありけり。
 

 主上なのめならず御感あつて、頼豪阿闍梨を召して、「さて汝が所望はいかに」と仰せければ、三井寺に戒壇建立の由を奏聞す。「一階僧正などをも申すべきかとこそ思し召しつるに、これこそ存の外の所望なれ。およそ皇子御誕生あつて、祚をつがしめん事、海内無為を思ふためなり。今汝が所望を達せば、山門憤つて、世上もしづかなるべからず。両門ともに合戦せば、天台の仏法滅びなんず」とて、聞こし召しも入れざりけり。
 

 頼豪、口惜しき事なりとて、急ぎ三井寺に帰つて、干死にせんとす。主上、なのめならず驚かせ給ひて、江帥匡房卿、その時はいまだ美作守と聞こえしを召して、「汝は頼豪に師檀の契りあんなり。行いてこしらへてみよ」と仰せければ、かしこまり承つて、三井寺に行きむかひ、頼豪阿闍梨が宿房に行いて、勅諚趣き仰せ含めんとするに、もつてのほかにふすぼつたる持仏堂に立て籠り、恐ろしげなる声して、「天子には戯れの言葉なし。綸言汗のごとしとこそ承れ。これほどの所望かなはざらんにおいては、我が祈り出だし奉る皇子なれば、取り奉て魔道へこそ行かんずらめ」とて、遂に対面もせざりけり。
 美作守帰り参りて、この由奏聞せられければ、主上なのめならず御歎きありけり。
 

 頼豪遂に干死にに死ににけり。
 

 さるほどに皇子御悩つかせ給ひて、さまざまの御祈りどもありけれども、かなふべしとも見えさせ給はず。白髪なる老僧の、錫杖もつたるが、常は皇子の御枕にたたずみ、人々の夢にも見え、幻にもたちけり。恐ろしなどもおろかなり。
 

 さるほどに、承暦元年八月六日、皇子御歳四歳にて遂に隠れさせ給ひぬ。敦文親王これなり。
 主上なのめならず御歎きあつて、その時山門に西京の座主、良信大僧正、その時はいまだ円融坊の僧都と聞こえしを内裏へ召して、「こはいかせん」と仰せければ、
 「いつもかやうの御願は、我が山の力でこそ成就することで候へ。されば九条右丞相師輔公、慈慧僧正に契り申させ給ひしによつてこそ、冷泉院の皇子御誕生は候ひしか。安いほどの御事候ふ」とて、山門に帰つて、百日肝胆をくだきて祈り申しければ、中宮やがて百日のうちに御懐妊あつて、承暦三年七月九日、御産平安、皇子御誕生ありけり。堀河天皇これなり。怨霊は昔もかく恐ろしき事どもなり。今度さしもめでたき御産に、大赦行はれたりといへども、この俊寛僧都一人、赦免なかりけるこそうたてけれ。
 

 同じき十二月八日、皇子東宮にたたせ給ふ。傅には小松の内大臣、大夫には池中納言頼盛卿とぞ聞こえし。
 

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