章題 読み方 |
原文冒頭 | |
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概要※ | ||
1 |
赦文 ゆるしぶみ |
治承二年正月一日、院の御所には拝礼行はれて、四日の日朝覲の行幸ありけり。 |
治承2年 (1178年) 中宮徳子が懐妊。安産祈願のため藤原成経と平康頼を恩赦。ただし俊寛は赦免されない。 「鬼界が島の流人、少将成経、康頼法師、赦免」とばかり書かれて、俊寛といふ文字はなし。 |
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1-2 |
足摺 あしずり 異:赦文 |
さるほどに鬼界が島の流人ども、召し帰さるべき事定められて、入道相国の赦文書いて下されけり。 |
鬼界が島から本土に帰る舟にとりつく俊寛。 「ともづなといておし出せば、僧都綱に取りつき、腰になり脇になり、たけの立つまではひかれて出づ」 |
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2 |
御産 ごさん |
さるほどに、二人の人々は、鬼界が島を出でて、肥前国鹿瀬の庄にぞ着き給ふ。 |
徳子は安徳天皇を生む。 | ||
3 |
公卿揃 くぎょうぞろえ 異:付 公卿揃 |
御乳には、前右大将宗盛卿の北の方と定められたりしが |
誕生祝いに公卿がそろって清盛宅に挨拶。 | ||
4 |
大塔建立 だいとうこんりゅう |
御修法の結願に勧賞ども行はる。仁和寺の御室は東寺修造せらるべし。 |
平家が厳島神社を信仰しはじめたいわれ。 | ||
5 |
頼豪 らいごう |
白河院御在位の時、京極の大殿の御娘、后に参らせ給ひけり。 |
昔白河天皇の皇子が生まれたとき、僧頼豪が怨霊になって皇子が死んだ挿話。 | ||
6 |
少将都帰 しょうしょう(の)みやこがえり |
さるほどに今年も暮れぬ、治承も三年になりにけり。 |
治承3年 (1179年) 成経と康頼は都へ帰った。 | ||
7 |
有王 ありおう |
さるほどに、鬼界が三人流されたりし流人 |
俊寛の召使有王が、俊寛に会いに鬼界が島へいく。 | ||
7-2 |
僧都死去 そうずしきょ 異:有王 |
僧都、「ここにて何事も言はばやとは思へども、いざ我が家へ」 |
俊寛はやせこけていたが、さらに断食をして死んだ。 「其庵のうちにて、遂にをはり給ひぬ。年三十七とぞ聞えし」 |
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8 |
飈/辻風 つじかぜ 異:付 辻風 |
さるほどに、同じき五月十二日の午の刻ばかり |
都の竜巻で多くの家が倒れた(『方丈記』や『明月記』によればこれは治承4年のこと)。 | ||
9 |
医師問答 いしもんどう 異:小松殿死去 |
小松の大臣、かやうの事どもを伝へ聞き給ひて |
清盛の長男、重盛が病死。 本サイト注:清盛の長子重盛は一貫して横暴な清盛を諫め、心を痛める人格者として描かれており、その一環としてこの死も描かれており、これで清盛を止める者がいなくなった大きな意味合いがある。 |
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10 |
無文 むもん |
すべてこの大臣は、天性不思議の人にて |
重盛が病死する前に、長男の維盛に葬式用の無文の太刀を譲った。 | ||
11 |
燈炉之沙汰 とうろうのさた 異:燈籠 |
またこの大臣は(滅罪生善の志深うおはしければ)当来の浮沈を歎き |
重盛は東山に四十八間の阿弥陀堂を建立、燈籠の大臣と呼ばれた。 | ||
12 |
金渡 かねわたし (こがねわたし) |
またこの大臣は滅罪生善の志深うおはしければ「我が朝には |
重盛は宋の育王山に三千両を寄進したことがあった。 | ||
13 |
法印問答 ほういんもんどう 異:法印問答 付 地震 |
入道相国、小松殿には後れ給ひぬ。よろづ心細くや思はれけん、福原へ馳せ下り、閉門してこそおはしけれ。 |
清盛が後白河院の悪行を静憲法印に語る。法印は人臣の礼からはずれないようにと忠告。 | ||
14 |
大臣流罪 だいじんるざい |
法印御所に帰り参つて、この由奏聞せられければ |
清盛のクーデター。関白基房と太政大臣藤原師長を流罪(治承三年の政変)。 同十六日、入道相国、此日ごろ思ひ立ち給へる事なれば、関白殿を始め奉って、太政大臣以下の公卿殿上人、四十三人が官職をとどめて、追つ籠めらる。 |
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15 |
行隆之沙汰 ゆきたかのさた 異:法皇被流 付 江大夫判官遠成自害・行隆卿補本位事 |
また、前関白松殿の侍に、江大夫判官遠成といふ者あり。 |
藤原行隆は父親が清盛と親しく、とりたてられた。 | ||
15-1 |
異:江大夫判官遠成自害 ごうたいふのはんがんとおなりのじがい |
また、前関白松殿の侍に、江大夫判官遠成といふ者あり。 |
15-2 |
異:行隆卿補本位事 ゆきたかきょうほんいにほすこと |
その頃前左少弁行隆と申ししは、故中山中納言顕時卿の長男なり。 |
16 |
法皇被流 ほうおうながされ |
同じき十一月二十日、法住寺殿には、軍兵四面をうち囲む |
後白河法皇は洛南の鳥羽殿に幽閉された。 | ||
17 |
城南之離宮 せいなんのりきゅう |
「百行の中には、孝行をもつて先とす。 |
高倉天皇〔平徳子の夫〕は出家を希望する。 |
※概要はWikipedia#平家物語の内容を参照。