これも今は昔、土佐判官代通清といふものありけり。
歌をよみ、源氏、狭衣などをうかべ、花の下、月の前とすきありきけり。
かかるすき物なれば、後徳大寺左大臣、「大内の花見んずるに、かならず」といざなはれければ、通清、目出き事にあひたりと思ひて、やがて破車に乗りて行くほどに、あとより車二三ばかりして人の来れば、疑ひなきこの左大臣のおはすると思ひて、尻の簾をかきあげて、「あなうたて、あなうたて。とくとくおはせ」と扉を開きて招きけり。
はやう、関白殿の物へおはしますなりけり。
招くを見て、御供の随身、馬を走らせて、かけ寄せて、車の尻の簾をかりおとしてけり。
其時、通清、あはて騒ぎで、前よりまろび落ちけるほどに、烏帽子落にけり。
いといと不便なりけりとか。
好きぬる者は、すこしをこにもありけるにや。